言葉は整え過ぎない方がいい
雑味を残す
マネジメントをする上で、大事な概念の1つに「言語化」というものがある。
具体的な事物を抽象化し、それを濃縮した上で再び具体化する作業をマネジメントと呼ぶなら、その過程において言語化は不可欠である。
ただし、というのが今日の話である。
抽象化する過程において、エッセンスを抽出し過ぎるのもどうなのかな、と僕は思っている。
これは言い換えれば(裏を返せば)、雑味を残す、ということになる。
洗練された言葉は、一見綺麗に見えるけれど、何も伝わらない。
漂白された言語は無意味だ。
今日はそんな話をしていく。
シャープな言葉
言葉の純度、というものを考える時がある。
本質だけを掘り下げて掘り下げて、最後に残った結晶のようなものだけで作られた言葉は、純度が高い言葉であると言える。
それはある程度の段階以降では有用な言葉である。
専門家同士が専門用語を使うように、同じような言語運用をしている者同士であれば、言葉は研ぎ澄まされているに越したことはない。
ただ、それをそのままメンバーに使用するのはどうかな、と思うのだ。
理解する手がかりがある言葉
やや差別的な言い方になってしまうけれど、具体的事物を抽象化する作業をできる人というのはそんなに多くないし、そこで抽象化された言葉を理解できる人もそんなに多くない、と僕は思っている。
そこには何らかの具体的な残置物が必要なのだ。
彼(彼女)らが理解する手掛かりとなるような、「とっかかり」があった方がいい、そんな風に僕は考えている。
ある程度ラフな言葉。
粗さの残った言葉。
それをマネージャーは上手に使う必要がある。
綺麗な言葉は毒にも薬にもならない
コンプライアンスやポリティカルコレクトネスによって言葉狩りが進んで、僕たちが職場で使う言葉はどんどん整えられてきていると僕は思っている。
綺麗な言葉。
角が取れた言葉。
それは耳触りがいい。
でも、毒にも薬にもならない。
僕はそんな風に捉えている。
オフィシャルな場で引っかかりをもたらすような言葉を
1対多の場面での言語運用においては、どうやったって言葉は丸く整ったものにならざるを得ない、それは事実である。
そしてマネージャーは、そのような場面での発言を求められることが多い。
その時にどれだけ雑味を残せるかどうか。
部下に何らかの引っかかりをもたらせるかどうか。
それが大事だと思うのだ。
粗い言葉を選択する
これは1対1の場面でも同様である。
1対多の状況よりはマシだけれど、それでも言語警察はそこかしこに蔓延っているので、気をつけて話をしなければならないことは変わらない。
ただ、言葉の選択肢は広がる。
その時に、やや粗い言葉を選択できるかどうか。
それがマネジメントの性質を変える一手となるのだ。
よくわからないものを2人で眺める
これは「過程を開示する」とも言える。
マネージャー自身もまだ抽象化の途中段階である言葉を、その状態のまま提供する。
それはまだ形が定まっていなくて、進む方向も不明確な言葉である。
それをそっと差し出してみる。
そしてその「よくわからないもの」を2人で眺める。
この作業が大事であるように思うのだ。
言葉の体温と耐久度
洗練された言葉は体温を失いがちだ。
というか、洗練させるということは言葉から体温を奪うことである。
そうやって言葉は硬質になっていく。
だからこそ耐久性(時間的にも)を帯びられるのだ。
でも、一方で瞬発力はなくなる。
温度は低くなる。
結果として、それは相手の体温を上げることには繋がりにくくなるのである。
わかっているフリは不要
まだ「概念」の状態である言葉は、概念であるが故に、熱を帯びている。
ホカホカの状態だ。
湯気だってきっと出ている。
輪郭も定まっていなくて、固体と液体の中間みたいな状態になっている。
それをできるだけそのままの状態で使う。
変に格好つけなくていい。
わかっているフリをしなくていい。
ただそのままの状態を、そのままの表現で使う。
わからないということを明示しながらも、でもこれはきっと有用な概念であることを期待した状態で使う。
それがチームに熱量を呼ぶのだ。
アンチ・コンサルティング
僕がコンサルタントというものにあまりポジティブな印象を持たないのは、言葉を整え過ぎているからではないか、ということをここまで書いてきて思う。
当然仕事であるので、途中経過を開示する訳にはいかないだろうし、不純物が混じっていてはいけないのだろうとは思う。
でも、それだけでは組織は動かない。
よく言われる話ではあるが、組織改編には具体と抽象のバランスが大事で、それは概念だけでなく使われる言葉の性質にも左右される。
現場の言葉。
生の言葉。
それだけではもちろんダメだ。
でも、それを加工し、洗練させ過ぎてもいけないのだと僕は思う。
覚悟を持った者だけが使うことを許される言葉がある
ビジョンやパーパスやお題目。
それは間違っていない。
むしろ正しいとすら言える。
でもね、というのが今日の話である。
格好いい言葉には、それだけの裏付けが必要なのだ。
それだけの覚悟を持った者だけが許される言葉がある。
それができないなら、その勇気がないなら、地の言葉を使った方がいい。
もちろんそのままの状態でなく、少しだけ角を取ったものを。
その繰り返しが、チームをきっと変えていくのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
今回の話を書くに当たって、念頭にあったのは「官僚的答弁」です。
誰からも揚げ足を取られない言葉は誰にも届かない。
でも、現代ではそのような言語運用をせざるを得ない。
それが現代においてマネジメントをより難しいものにしています。
何年もマネージャーをやっていて思うのは、言葉の純度と硬度と射程についてです。
それは高ければ高いほどいいってもんじゃない。
乱れた言い回しが、体温を上昇させることがある。
そんなイメージを大切にしていきましょう。