ウォーターフォールとアジャイルと

UnsplashMike Lewis HeadSmart Mediaが撮影した写真

アジャイル的・マネジメント

ソフトウェア開発でよく使われる概念として、ウォーターフォール・モデルアジャイル・モデルというものがある。

ウォーターフォール・モデルはその言葉通り、「水が落ちる」ように上から順に開発を進めていき(段階ごとに開発を完了させていき)、その都度成果物をチェック(テスト)、当初計画した完成品(に近いもの)を世に出すやり方を指す。

一方、アジャイル・モデルは、短い期間の反復(イテレーション)を繰り返し回していきながら、ある種未完成のものを世に出しながら、ユーザーからのフィードバックも加味して機能をブラッシュアップしていくやり方のことを指す。

これはどちらが優れているとか劣っているとか、そういう話ではない。

それぞれのプロジェクトにおいて使い分ける必要がある。

ただ、現代のマネジメントにおいては、アジャイル的にやっていく方が有用なのではないかと思うので、今日はそんなことを書いていく。

見えている世界が変わると、知覚できるものが変わっていく

ウォーターフォールの欠点は、手戻りができない(もしくは大変)という点にある。

当初定めた計画通りにコトが進んでいくなら何の問題もないのだけれど、現代のビジネス環境においては、例えそもそもの計画が妥当だったとしても、変化のスピードが速いので、ある程度走りながら修正していく必要が生じるものだ。

このような可変性がアジャイルにはある。

フィードバック・ループを速く回すことで、ユーザーの反応をダイレクトに反映させたものを作り、それが新しい反応を引き起こす。

それによって見えている世界が変わる。

見えている世界が変わると、知覚できるものが変わっていく。

それが新たな気づきとなり、それを現実世界に適応していく。

それがまた新たな反応を…、というようにループしながら上昇していくのだ。

これがアジャイルの良さである。

ウォーターフォール型マネジメントが有効なのは、組織が永続する場合だけ

もちろんマネジメントにおける難易度は上がる。

トップダウンで計画通りに物事を進め、それに外れた社員を罰する、その方がマネジメントは格段に楽である。

だから多くのマネージャーはこのようなウォーターフォール型マネジメントを行う(意識しているかどうかは別として)。

そしてそれを良いことだと思っている。

自分は組織の忠実なる犬であって、そこへの適合度合いが高ければ高いほど望ましい、という概念を持っている(ように僕には見える)。

ただ、それは組織が永続する場合のみだ。

もう少し正確に言うなら、組織が良い状態のまま、自分が望ましいポジションで働ける場合だけなのである。

内部よりも外部を信頼する

僕は自分が所属している組織をアテにしていない。

信じていなくはないけれど、寄りかかったら危ないな、とは思っている。

それよりも、ユーザーというか顧客や外部の人達を信頼している。

大上段に構えた企業理念も、最近流行りのパーパスも、顧客からポジティブに受け止められなければ、ただの絵空事に終わる。

そしてコンサルはそこで金を稼ぐ。

モノホンとモノホンっぽいもの

世の中には本物と本物っぽいものがあって、多くの場合それは見分けがつかない。

本物っぽい動機で始められた様々な施策は、水が流れ落ちるように現場に落ちてくる間に、どんどんと偽物に変わっていく。

でも、計画は当初計画のままである。

もう時代はズレてしまっているのに。

思考+試行

僕は頭の良い人達をあまり信用していない。

彼(彼女)らは思考を優先させる。

でも、大事なのは試行なのである。

思考よりも試行。

いや、思考+試行が重要なのだ。

最適化は最適とは言えない

何かにつけて「最適化」を図ること、それも事前に目論むことは、かえって本質に辿り着かない。

そこには試行回数が足りないから。

絶対的なデータ量が不足しているから。

脳内での思考は、いくら回数を重ねても、脳内に留まる。

それを現実世界で試行しなければ、有益なフィードバックは得られない。

対話しながら面白がっていく感覚

期待値の高い製品(例えば大作のゲーム)が世に出た途端酷評されることがあるのは、ユーザーの望んでいるものとの乖離が大きいからである。

もちろんこれはユーザーに迎合しろということではない。

ユーザーは「速い馬」しか想像できないから(フォードの言葉を参照されたい)。

でも、こちらからの問いかけ(仕掛け)によって駆動されたユーザーは、「速い馬」以上のものをイメージしていく。

それを対話しながら面白がっていく。

仮説をバージョンアップさせていく

「それは無理だ」とか「現実的じゃない」とか「予算がない」とか、そういう限界を先に決めない。

「この仕事は向いていない」とか「私はこれが得意だ」とか「教わっていないのでとできない」とか、勝手に定めない。

仮説を基にした試行を繰り返すこと。

そのサイクルを速く回していくこと。

それが仮説を更にバージョンアップさせていく。

それが続くと、見えている世界が変わる。

同じ世界でも、知覚できるものが変わる。

それを次のイテレーションに活かしていく。

いつまでも未完成

人間というのは、いつまでも未完成なのだ。

そしてそれはネガティブな意味ではなく、ポジティブな意味なのである。

最適化や完成はいらない。

計画も工程管理も最低限でいい。

いつまでも途上。

それを楽しもう。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

バッファーがあると、不安になる人が一定数いるようです。

特にマネージャーには多いような気がします。

僕はそこで起こる化学反応が面白くて仕方ないのですが、それはある種の人にとっては不確実性と捉えられるようです。

楽譜を楽譜通りに引くなら、ライブに行く必要ってあるのだろうか?

僕はそんなことを思ってしまいます。

魔法がかかる瞬間を大切にしていきましょう。