ボス確認ラリーってめんどくね?
無意味な仕事の応酬
上下関係をはっきりとさせるために無意味な指示を履行させること(そして履行すること)をこの記事では「ボス確認ラリー」と名付けることにする。
これは最近の日本社会でよく見られる現象である。
上司が無意味な仕事の指示をし、それを忠実に履行させることで忠誠度を測る、部下もそれを理解している、というか。
その度に、「何だこれ?」と思うのだ。
僕が考える「まともな仕事」はそっちのけで、このボス確認ラリーをずっとやっているのだから、そりゃ日本で生産性なんて上がる訳がないのである。
というか、社内でボス確認をしたところで何の意味があるのだ?
今日はそんな不毛めいたことを書いていこうと思う。
それって脅迫では?
僕がマネージャーとして優れている点を挙げるとするなら、この種の「ボス確認ラリー」をやらないことである、そう言ってもいいかもしれない。
そのくらい多くの「上司」と呼ばれる立場の人達は、部下に対してこのボス確認ラリーをおこなっている。
「誰がボスであるか、お前はきちんとわかっているのだろうな?」というある種の脅迫。
その場面を目撃する度に、僕は暗澹たる気持ちになるのだ。
そして「ここは軍隊だったっけ?」と思うことになるのである。
自信がないからボスが誰かを確認したくなる
これは上司である立場から考えると、自信がないことが関係しているのだろうな、と推察できる。
僕は(偉そうだけれど)自信があるので、「誰がボスか?」とすごまなくても、勝手にボスだと認められていると思っている。
虚勢を張る必要はないし、そのままの状態で仕事をしていれば、僕がそれなりに役立つ上司であることは部下に理解してもらえるし、それなりに役立つことが理解してもらえれば、そこにはそれなりの敬意が生じる。
好きとか嫌いとかではなく、「まあ、この人の言っていることにも一理あるよね」と思って貰えることで、日常的な言葉が穿った見方をされることなく、ストレートに伝わるようになる。
でも、自信がない多くのマネージャー達はこれができないようである。
自分がボスであることを定期的に確認しないと耐えられない、というか。
はい&いいえ
無意味な仕事をさせること、その履行状況で自分がボスであることを確認し、主従関係めいたものを強いるクダリ、その「ごっこ感」に、僕は眩暈がする時がある。
もちろん傍観者でいられる場合だけでなく、その矢が僕にも飛んでくることがある。
「お前はオレの子分だよな?」という確認が。
「イエス&ノー」というのが僕の答えである。
時と場合による、というか。
空気が読めないフリをする(いや、実際に読めていないのだろう)
僕は無意味な仕事をやろうとすると、蕁麻疹が出そうになる。
もちろん組織人として仕事をする上では、それもマネージャー職をしている上では、それなりの無意味な仕事をせざるを得ない局面は訪れる。
流石の僕も、それくらいは心得ているし、程度にもよるけれど、履行もする。
でも、今回のテーマであるような、「オレがボス。お前は部下。そうだろう?」というラリーが目的であることが明確にわかるような仕事はやらないようにしている。
圧倒的に空気が読めない感を出して、「いや、やらないっす」と言ってしまう。
僕が煙たがられる理由がわかるだろう?
上司の劣化状態の現われ
そして厄介なことに、僕は会社から求められる成果以上の成果を出し続けているので、上司からすれば、あからさまに邪険にもできない訳である。
僕は僕のチームにいる山賊たちの親分的な立場であり、僕がノーと言えば、部下達もそれに従うことはないことがわかっているので、まあやりづらい存在なのだろうなと思ってしまう。
僕だって本当はこんなことを言いたくない。
そんな無意味なことを頼むなよ、と思う。
「劣化」という言葉が割と気軽に使われる現代において、「上司の劣化」ということを身に染みて感じるのが、このボス確認ラリーの頻度の増加という点である。
それをやらなければ、自分が上司であることを確認できないほど、自信がないのか?
僕はそう思ってしまうのだ。
はい&イエス
上手く表現できないのだけれど、僕が会社に入った時の上司というのは、もっと「大物」であったような気がする。
もちろん「ザ・体育会系」みたいなノリがあって、「ハイかイエス」以外の回答がなかったのも事実ではあるけれど、そこには「ケツは拭く」「責任は取る」というような、有無を言わせないだけの自信と責任感があったように思うのだ。
でも、現在はそうではない。
ただの無意味な仕事。
その応酬。
ケツの穴の小さい上司ばかり。
保身。保身。保身。
いや、部下側にもきっと問題があるのだ。
誰もボスに意見できない。
意見をすることで、自分の身が危うくなるくらいなら、黙っておいた方がいい。
仕事への大義よりも、自己保身。
なんとまあ現代的な。
そうやって僕たちは沈んできたし、これからも沈んでいくのだろう。
対話? 笑っちゃうね。
対話という言葉の中身が矮小化されて、意見が違うことを認められない小物たちが、権力を笠に脅迫めいたことを履行させることが対話だと思っている現実に、僕はもう耐えられそうにない。
ちゃんとした仕事がしたい。
僕の願いはそれだけなのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
パワハラがご時世的にあからさまにできなくなって、生まれてきたのがこのボス確認ラリーです。
僕はこれを脅迫だと思うのですが、多くの人はそうは思わないようです。
もっと言うと、露骨にパワハラがあった時代の方がまだマシだったかなと思うくらいです。
この手の人達は、ニコニコしながら服従を求めてきます。
飼い犬らしく、手を嚙んでいきましょう。