マネジメントの速度とビジネスの速度

UnsplashMathew Schwartzが撮影した写真

働きづらいのは速度差があるからでは?

今日は体感の話をする。

マネジメントの速度とビジネスの速度には乖離があって、その「速度差」によって働きづらくなっているのではないか、ということを思ったので、それを文章にしてみようと思う。

もちろんあくまでも「体感」の話である。

理論的根拠や数字の裏付けなんてものはない(いつもか)。

僕が感じている温度差みたいなものを書いていこうと思っている。

それでは始めていこう。

指数関数的なビジネス。線形的なマネジメント。

旧時代のマネジメントと新時代のマネジメント。

ブログの初期から僕の頭にあるのはこんな図式である。

旧時代のマネジメントは未だに力を持っていて、多数派でもある。

でも、時代はどんどんと変わっていて、そこに追い付いていけていない。

だから新時代のマネジメントが必要である。

そういう意味では今日の話もその焼き直しと言えるのかもしれない。

ただ、ちょっと違ったエッセンスを加えるとするなら、ビジネスというものが加速度的に膨らんでいく(指数関数的)のに対し、マネジメントというのは線形であって、その進み方(スピード)が大幅に違うのではないか、ということである。

差があるだけ(優劣ではない)

ここにはSNS的なイメージ(バズり)が含まれている。

そして、線形であることは必ずしも悪いことではない、ということを付け加えていく。

あくまでも「速度差がある」ということであって、「優劣」ということではないというか。

意味が分からないと思うので、もう少し詳しく書いていく。

刹那的かつ爆発的

現代のビジネス環境は刹那的爆発的である。

一旦ハマると、等比級数的に拡大していく。

そして近視眼的とも言えるし、感覚的とも言えるし、単純化の極致とも言える。

僕はそんな風に現代のビジネスというものを捉えている。

ネットにおける検索結果みたいに、パッと思い付いたものがサッと表示されること、それが済んだら忘れ去られること、その連続、その波にどうやって乗っていくか。

頭よりも体。

グルーヴに身を任せるのだけれど、わかり易いリズムである必要があるというか。

結果として、ビジネスはアート的なものが必要とされるようになっている。

理性よりも感性というか。

「遅さ」という美点

一方、マネジメントというのは、そもそもの性質からしてそこにはそぐわないものである。

のったりとしているというか、じっくりとしているというか。

ある種の「遅さ」というのがその美点でもあるのが、マネジメントという仕事である。

現代のような速いビジネス環境に身を置いていると、何というか、「速さこそ至上」みたいな感覚になってしまうのだけれど、必ずしもそうではないのではないか、というのが僕が最近考えていることである。

脱成長論とは異なる

ここで勘違い頂きたくないのは、最近流行りの「脱成長」みたいなものとは概念が異なる、ということである。

「現代ビジネスは速度が速すぎる、そしてその経済成長は地球環境の耐久性(サステナビリティ)を考慮していない、だからその速度を落とすべきだ」というのが「脱成長論」であるとするなら、僕の立場はそれとは異なるものである。

上手く表現できないのだけれど、「人間とはそもそもそういうものであるから、抑制するなんて現実的じゃないよ」というのが、僕が脱成長論に感じる違和感であるのだ。

進化を求めるのは本能。でも…

人間というのは元来「速さ」を求める性質を持っている。

それは本能とも言えるものだ(だからホモサピエンスが生き残ったのだろう)。

テクノロジーの進化を求めるのは自然ですらあって、それを無理やり抑制することはできない。

だからと言って、「そのまま野放しでOK!」という訳でもない。

何らかの枠組みみたいなものが必要となる。

それがマネジメントなのではないか、というのが今考えていることである。

そもそもの本能を取り締まる(抑制する)のは不可能なので、何らかの仕組みによって効果的にその本能を活用する、というか。

抑制は不可能。上手く付き合っていくしかない。

人間が行うビジネス、それも資本主義社会におけるビジネス、というのは、速さこそが至上なのである。

それは「そういうもの」としか言いようがないものだ。

「善悪」とか「優劣」とかではなく、「そういうもの」なのである。

でも一方で、人間が作り出したビジネスというものは、ある一定の閾値を超えた瞬間、僕たちの手では制御できないもの(ある種の怪物)に転じてしまう。

それを無理やり制御しようとするのが旧時代のマネジメントで、上手に付き合っていこうとするのが新時代のマネジメントなのではないか。

僕はそんなことを最近考えているのだ。

檻を大きくしたり、強くするのではないアプローチを

怪物は檻から出てしまっている。

旧時代のマネジメントはより大きな檻より強い檻でその怪物を押しとどめようとしている。

でも僕からすれば、それは不可能である。

それなら、その怪物の特性を調べたり、行動パターンを分析したりして、被害を抑制したり、その力を有効活用したりすればいいのではないか。

正解・不正解ではない、二者択一でもないもの。

線形と非線形

もしかしたらマネジメントにテクノロジーを導入するなんてことも必要なのかもしれない。

不自由ではなく、自由でありながらも羽目を外し過ぎないというか。

「線形のマネジメントから非線形のマネジメントへ」というよりも、「非線形のマネジメントでありながら線形的に運用する」というか。

いつも通りよくわからない着地になった。

次回はもう少し役に立つものを書こう。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

現代のビジネスは、動物である我々人間の認知能力を超えて、自己増殖的加速(それも爆発的に)をしているのではないか。

それが僕が最近考えていることです。

でも、我々は動物でしかなくて、動物である我々には「それ用」のマネジメント(遅さ)が必要である(生物であることの制約があるから)。

その「速度差」が我々を働きづらくしている。

ビジネスの速度に合わせたマネジメントはたぶん人間には限界(無理)で、AIでしか対応できないのだと僕は思っています。

でもそうすると、人間はいらなくなる。

僕が考えているのは、その差をどうやって超克するか、ということです。

旧時代のマネジメントでは追いつけないもの。

それを見つけたいと僕は思っています。

訳が分からないとは思いますが、懲りずにまた読んで頂けたら幸いです。