インプットの習慣をつける

UnsplashSigmundが撮影した写真

「Re」ではなく

マネジメントは言葉を扱う仕事で、言葉を扱う仕事には継続的なインプットが必要になる。

この「継続的」というのがポイントである。

というのも、最近流行りの「リスキリング」という言葉がどうも苦手で、何というか、「急に新しいものに変わる」みたいなイメージを持ってしまうのだけれど、スキルというのは「Re(再)」するものではなくて、漸進的に身に付けるものなのではないか、と僕は思っている。

普段何もしていないのに、「さあ今日から新しいスキルを!」というのは、僕からすればとても甘い考えのように思えるのだ(厳しすぎるか…)。

新年を迎えたこともあるので、今日はそんなことを書いていく。

日本の社会人は勉強しなさすぎ

日本の社会人はとにかく勉強しなさすぎ。

よく出てくる話である。

95%以上の社会人が「勉強時間は0」と回答している始末。

それで「いい仕事」なんてできるはずがない。

気ままに

というか、「勉強」というものを難しく考えすぎているのではないか、と僕は思っている。

学生時代の勉強と、社会人の勉強は違う。

というか、というか、(たぶん本当は一緒なのだけれど)学生と違って社会人は必ずしもテストに向かって勉強する必要がないので、自分が学びたいことを学ぶことができるのがその利点のはずだ。

何も自分が携わる仕事に関係するものだけが勉強ではなくて、興味があることをつまみ食いするというか。

ガチじゃないヤツを

いや、ここまで書いてきて「勉強」という言葉が良くないのではないか、と思ってきた。

ただ、興味があることを興味の赴くままに任せておけばいいのだ。

でも、それに当てはまる適切な言葉がない。

「学習」「習得」「自己研鑽」「インプット(今回のテーマにしてしまっているけれど…)」も何か違う。

そんなに「ガチ」じゃなくていいのだ。

もっとフワッとした概念、例えば「学び」みたいなものでいいのだ、と僕は考えている。

頭にスペースを作る

社会人の「勉強」というと、「資格取得」みたいなものに偏ってしまいがちな印象が僕にはある。

もちろん資格を取るのはとても大事なことではある。

でも、多くの資格取得者が気づいているように、大事なのはその勉強をしている過程そのものであって、資格を取ることではない。

頭のOSを作る作業というか、「そっち」の方向の内容が入ってくる準備を整える作業というか。

そういう意味では、必ずしも「資格取得」に関わらず、頭のOSを作る作業を多方面においてやっておけばいいのではないか、というのが今日の話となる。

僕なりにそれを言うなら「乱読」ということになるのかもしれない。

もう少し詳しく書いていく。

乱読のススメ

僕はよく図書館に行く。

昔は本を買っていたのだけれど、あまりにも嵩張るし、再読したい本に出合うことは滅多にないので、とにかく図書館で予約してそれを読むという生活をひたすら続けている。

そして予約受け取りのタイミングにもよるけれど、3冊くらいを同時並行的に読んでいる(本当に面白い本は別だ)。

このブログではマネジメントのことを中心に書いているけれど、僕は色々な物事に興味があって、気になったものは片っ端から読むようにしている。

脳内カクテル

よく読書の話をすると、「どの本から読んだらいいですか?」と聞かれるのだけれど、たくさんの本を読んでいる人間からすると、「何でもいいから読めよ」と思ってしまうのである。

1冊の本にそこまで大層な気持ちを僕は持っていない。

もちろん事後的に心に残る本というのは存在するけれど、それは何百・何千という本の内の数冊でしかなくて、それを事前に予期するのは不可能であるし、やめたほうがいい、と僕は思っている。

読書において大事なのは「セレンディピティ(偶然の出会い)」であって、それによって脳内OSが変化していく行為そのものが楽しいのである。

興味の方向性はあるのだけれど、予想外の角度から物事が繋がっていくというか。

色々なジャンルの本を読んでいても、根底の部分は繋がっているというか。

そうやって、人工的に脳内をシャッフルしていく。

それ自体がとても楽しいのである。

ウォーム・スタンバイ

僕は色々な分野のお客様や専門家の方から、「その通り!」とか「面白いね!」とか「よくわかってるね!」とか言われることがある。

それはもちろん多種多様な本を読んでいるからでもあるのだけれど、ある種の「真理」「ポイント」みたいなものを探すことに長けているからだと思っている。

そしてその「真理」や「ポイント」というのは、どの分野であってもそんなには変わらない。

もっと言うと、僕は心からの好奇心を持って聞くことができるのだと思う。

僕の脳内OSは既に温まっていて、新しい情報であっても柔軟に捉えることができる。

そして的確な「返し」ができる(これはもしかしたらアウトプット論に繋がっていくのかもしれない)。

そうやって今度は対話が盛り上がっていく(インプロビゼーションが起きる)のだ。

わからないものをわからないままにしていること耐えられる状態を作る

インプットはできれば能動的であるものが望ましい。

それは上記したように、脳内を揺さぶることが大事であるからだ。

オンラインの動画視聴なども悪くはないけれど、大事なのはそれを基に自分で考えて、概念をシャッフルすることなのである。

わかった気になるのではなく、わからないものをわからないままにしていることに耐えられる状態を作るというか。

またよく分からない話になってしまった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

多様性には知性が必要で、知性とはわからないものをわからない状態のまま受け入れられることである。

僕はそんなことを考えています。

多くの人は「わかりたい」ようですが、わかってしまうというのは多様性を放棄することでもあり、その危険性を十分には理解していないように見えます。

わからないからこそ面白い、というか。

有用性やコストパフォーマンスでは辿りつけない領域。

自分の頭を揺さぶっていきましょう。