課長の予備校的幸福論
トレード・オフと優先順位
マネージャーとして仕事を始めてもう7年以上になる。
その中で僕が感じるのは、自分の価値観の軸を定めておくことの重要性である。
もう少し平たい言葉で言うなら、「何を幸せと感じるか、そしてその優先順位は?」ということになるのかもしれない。
あらゆることはトレード・オフで、全てを手にすることは不可能だ。
あちらに手を伸ばせば、こちらのものは取り落としてしまう。
その際に何を選び取るのか?
今日はそんなことを書いていこうと思う。
いい仕事をしたい、それだけ。
ブログを書き始めるにあたって、何か「締めの言葉」があるといいなあと考えて、そこで僕が思いついたのが「いい仕事をしましょう」という文言である。
これは咄嗟に思いついたにしては僕の仕事に対する姿勢をよく表していて、結構気に入っている言葉だ。
そう、僕はいい仕事をしたいのである。
それが僕が幸せを感じる、優先順位1位のものである。
僕はダサい仕事をしたくなくて、誰かが良いと思うものや、誰かに感謝されるものよりも、自分がその仕事に納得できるかどうか、ということを最優先に仕事をしているし、これからもしていきたいと考えている。
ただ、組織に属している以上、それもマネージャー職である以上、いい仕事を妨害する様々な障害が生じてくる。
それにどうやって対処するか、という僕なりの方法論をこのブログには書いている(つもりである)。
そうやって、価値観の芯の部分(いい仕事をしたい)を守っている。
きっとまた僕はここに辿り着くだろう
最優先はいい仕事をすることである。
となると、他のものについては、必然的に捨てなければならないことになる。
地位や名声、金と権力、人望や評判、その他諸々。
でも、それでいいのだと僕は思っている。
もちろん未練はある。
僕だって煩悩を抱えた人間である。
それを両取りする未来があったかもしれない、と思わない時がないとは言えない。
でも、もしタイムマシンで過去に戻って、再チャレンジしてもいいよ、と神様に言われたとしても、僕は同じ選択肢を選び、またここに辿り着くような気もしている。
そういう意味では、僕はいま幸福なのだろう。
ミッドライフ・クライシス
仕事をする上で、自分が何に価値を置いているのか、を考える時間が皆さんにもあると思う。
僕はある程度の歳を重ねて、会社員としてのある程度のゴール(というか将来的な到達点)が見えてきた時点で、「結局オレは何のために仕事をしているのだろうか?」と考えるようになった(典型的な中年の危機の症状だ)。
それなりの給料を貰い、それなりの社会的地位を得、それなりのプライドも満たされて、でも、そこに物足りなさも感じている。
その欠乏感の正体とは?
生きるために働く。それは当然大事。でもさ?
生きていくために働く、家族を養うためには仕方なく、まあそれも立派な理由だろう。
というか、それが働く理由のほとんど全てと言ってもいいのかもしれない。
でもさ、というのが今日の話である。
それはそれなりに幸福ではある。
でも、何か足りないのでは?
いい仕事をする為の条件
最近めっきり聞かなくなったFIRE論の類。
でも、僕は自分が会社に入った時から、この種の考え方をずっと持ち続けている。
以前にも書いたと思うけれど、「早期退職(RE)」は別として「経済的自立(FI)」を達成することはいい仕事をする上でとても大事なことだと思っている。
カネの為に働かなければならない、というのは真理ではあるけれど、僕たち人間はそれだけでは物足りないのも事実で、それを埋めるのが経済的自立という状態である。
というか、そういう状態でなければ、嫌な仕事もやらなくちゃならなくなるし、付き合いたくない人とも付き合わなければならなくなるし、下げたくもない頭を下げなくてはならなくなる。
そんなことを入社当時から僕はずっと考えていた。
幸いなことに、紆余曲折を経ながらも、それなりに仕事で結果も出せて、それなりのお給料も貰えるようになった。
若い時には、その給料(ボーナス)の額が自分の仕事の成果の証明書みたいなことを感じて、それなりに誇らしくもあったのだけれど、流石に歳を重ねるとそんなことは思わなくなって、それよりも「何が心地よいのか」ということを優先させるようになっている。
そして、その心地よさを維持する為には、ある程度のカネは必要なのだ。
タレブ的に言うなら「ファック・ユー・マネー」が必要なのだ。
どうしようもなく耐えられなくなった時に、目の前の上司に「ファック・ユー!」と言って仕事を辞められる権利を手にしておくこと。
それが僕が考える「いい仕事」をするためには、必要不可欠なことである。
死ぬなよ?
組織の理不尽な命令、クソみたいな同僚、どうしようもない部下、その他諸々の事象。
その種のものに直面するたびに、僕たちはどんどん「削られて」いく。
本当にシリアスな場合には、死を考えたりもする。
自殺でなくても、過労死したりもする。
そんなに頑張っているのに(頑張ったのに)、死んだら何にもならないだろう?
僕はそんなことを思う。
半身? OK!
仕事に縛られる生き方。
それを優先させる人(第1順位に置く人)もいるだろう。
でも、たとえそうであっても、そこからの逃走経路は用意しておいた方がいいのでは?
そんな僕みたいなスタンス、「半身状態」でも「いい仕事」は可能なのだ。
死ぬ前に脱出を。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
僕は基本的に悲観主義者であるので、ポジティブなものを増やすよりもネガティブなものを減らしたいと考えて暮らしています。
でも、会社という組織に属していると、それもマネージャーという仕事をしていると、否が応でもこの種のネガティブなものに巻き込まれていってしまいます。
その中で「いい仕事」をするためにはどうしたらいいのか?
もっと言うなら、死ぬまで追い込まれないようにするためにはどうしたらいいのか?
過労死や自殺やメンタル不調のニュースを目にする度に、その種の同僚の話を見聞きする度に、僕は居たたまれない気持ちになります。
そこまで頑張る必要なんてないぜ?
それが僕が今回言いたかったことです。
死に美学を感じるのはやめようぜ?
そこまで思い詰めるなら、Fワードを叫ぼうぜ?
あなたの毎日が少しでも幸福なものでありますように。
また読んで頂けたら幸いです。