責任を果たさない奴らのケツを拭くことばかりで嫌になるぜ…
「責任を果たす」という意味
最近長いタイトルが好みだ。
今日もこんな愚痴っぽい話である。
「職責を果たす」というのは給料を貰っている以上当たり前の話だと僕は思っている。
もちろん、完全に、100%の水準でできるかどうかは別としてそこに向かって取り組むべきだし、そうでない場合には何らかの自責の念というか、反省というか、申し訳なさというか、そういうものを感じて然るべきなのではないか、と僕は思っている。
挙句、その「足りていない部分」を誰かがカバーしなければならなくて、そのカバーしていることに対しての感謝の念もないという状況というのは如何なものなのか。
それも、メンバーが職責を全うできないのであれば、その上司であるマネージャーがそのケツを拭くべきで、他課のマネージャーがそれを被るっていうのはおかしいのでは?
何だか書いていてとても嫌な気分(オレのケツの穴が小さいだけか?)になるけれど、今日はそんな話である。
「でもさ」と「頼むよ」
プロフェッショナリズム。
たとえ日本という(ぬるま湯の)国で、サラリーマンという(ぬるま湯の)仕事をしているとしても、それなりのプロ意識というのは必要なのではないか、と僕は考えている。
もちろんガチガチ・ムキムキ・ゴリゴリのプロ意識を持てよ、とまでは思わないけれど、少なくとも「それなりの給料貰っているしなあ…」くらいの感覚は持ってもいいのではないだろうか。
当たり前の話であるが、仕事には対価が発生する。
また、仕事と対価が100%釣り合うなんてことはないのも事実である。
でもさ、というのが今日の話である。
そして、頼むよ、という願いに繋がっていく。
仕事ができない部下のカバーは誰がする?
「あの人は仕事ができないから仕方がないよね」という言明。
職場において時々聞かれるものである。
この仕事のできなさ、という項目には、質もあったり、量もあったり、経験値的なものもあったり、メンタル的なものもあったりする。
だから、仕事をやらせない。
この時点でも「うーん…」と思わないことはないのだけれど、百歩譲って、まあ良しとしよう。
更に僕が唸って天を仰いでしまうのは、その直属の上司がその事態を看過していることである。
そしてその仕事を自身でカバーしようとしないことである。
もちろん限界はあるだろう。
あまりにも自分の部下が仕事ができないなら、それを直属の上司が全てカバーするというのは無理な話である、それも理解できる。
でも「順番はあるのでは?」というのが今日の話である。
そのワンクッションなしに、「何で他課のマネージャーであるオレがそのケツを拭かにゃならんのだ?」と僕は思うのである。
優先順位はあって然るべきでは?
「何をそんなみみっちいことを…」
そうお感じになる方もいると思う。
いや、僕だってこんなことを言いたくはないのだ。
自分で言っていて、凄く嫌な気分になるのも事実なのである。
でも、この話の厄介なところは、良かれと思ってケツを拭いてやると、それが常態化してしまう、というところにある。
感謝の念もなく、もっと言えば「いやいや、あなたがやっていて当たり前でしょ?」みたいな謎の空気が醸成されることになる。
セクショナリズムは僕も大嫌いだけれど、仕事というのはどこかで領域を切り分けなければならないのも事実で、その為に各セクションが存在する訳である。
もちろんその切り分け方にはある程度の「淡い」の部分があって然るべきで、何でもかんでも「これはウチの仕事じゃない!」と突っぱねるのは違うと僕も思う。
そして組織の形態上、人員が不足したり、能力が不足したりすることで、他セクションの応援を仰がなければならない、という状況も理解できる。
でもさ。
そこには順番があるでしょ?
僕はそう思うのである。
自分の卑小さに嫌気はさすけれど…
仕事ができる人には仕事が回ってくる。
世の常ではある。
でも、「それって本当はおかしいよね?」と思うことがある。
ましてやその仕事内容が後ろ向きのものである場合、この違和感は倍増することになる。
本当に下世話な話にはなるけれど、「じゃあその分の給料をよこせよ」と僕は思う(本当にみみっちい奴だ)。
それならまあ多少は納得できる。
でも、そうでないなら、やっぱり優先順位は付けて欲しいのだ。
良心の呵責は感じて欲しい
属人と組織。
後者に問題があるのが日本社会で、組織の問題を属人性でカバーしてしまおうとするところにもさらに問題がある。
だからその状態を改善すべく、マネジメントが必要なのだと僕は思っている。
そしてそのような組織の状況をマネジメントによって改善する為には、良いマネージャーを育成する必要がある。
持ち場持ち場で、責任を果たすことが当たり前であるような文化の醸成。
もちろん、程度の問題ではある。
でも、そこからはみ出した時には、何らかの良心の呵責は感じて欲しいのだ。
当然じゃねえぞ?
別に仕事をやることが嫌なわけではないのだ。
カバーすることだって、そりゃ持ちつ持たれつで、よくある話である。
ただ、「当然じゃねえぞ!」とは言いたいのである。
何だか嫌な話になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
ジョブディスクリプションなんて無理。
本文のような話が日常的に起こる日本の職場において、仕事内容を明確にすることなんて可能なのか?
僕はそんなことを思います。
反面、それができたら、だいぶ良いだろうなとは思います。
僕は自分の仕事に集中したい。
やるべきことに取り組みたい。
それって我が儘なことなのでしょうか?
モンスター達が跋扈する社会を何とか生き抜いていきましょう。