部下の「どうやって?」に応える為に

UnsplashJohannes Plenioが撮影した写真

マイクロマネジメントに陥らない具体化

マネジメントにおいて大事なのは、部下からの「どうやって?」という問いに対して応えることである。

だがしかし、これができるマネージャーは殆どいない。

大風呂敷を広げる人は多い。

でも、それをダウンサイジングし、具体的な動きまで指示できる人は非常に少ない。

もっと言えば、その具体的な指示をマイクロマネジメントに陥らすことなく、部下に適切な自由を与えながら、自分がやりたいことを実現させられるマネージャーは皆無に等しい。

あらゆることを煎じ詰めれば、それがマネジメントの本質であるような気がしたので、今日はそんなことを書いていく。

大きな目標の弊害

組織で働いていると、上司が「べき論」を振り回し、「言っていることはわかるけれど、現実的じゃないよな…」と感じることは、皆さんもご経験があると思う。

この亜種として、「総論はわかるけれど、各論は違うのでは?」というものもある。

大きな方向性を示すことはリーダーの役割ではあるが、それがあまりにも現実とかけ離れていると、部下のやる気はなくなる。

これが最近流行りのビジョン経営(パーパス経営)に対する僕の素朴な気持ちである。

なにそれおいしいの?

もちろん、大きな目標を示すことによって鼓舞される部下もいるだろう(対外的な、IR的な視点は今回は捨象する)。

でも、僕が何年もマネージャーをやってきて思うのは、多くの部下はそうではないということである。

「なにそれおいしいの?」というのが、多くの部下の反応なのだ。

そういう人たちに腹落ちさせ、前向きに仕事に取り組んでもらうのが、何よりも難しいのである。

そしてそれこそがマネージャーの仕事なのである。

その「返し」が成果を左右する

でも、この部分はあまりフォーカスされていないような気がする。

部下が「言っていることはわかりますけれど、じゃあそれってどうやってやるんですか?」と言ってきた時に、あなたは何と返すか?

それがその後の成果を左右するのである。

具体論浅く、抽象論は深く?

そういう意味では、安易な受け答えはやめた方がいい、と僕は思っている。

具体論、というのは、ちょっと聞かれてそれに答えられるくらい浅いものではない。

でも、そんな風に軽く考えている人が多いような気がしている。

一方、抽象論には時間を掛けている(掛け過ぎている)、というか。

このアンバランスさが、マネジメントから重力を奪っている気さえするのだ。

本音と建前の間の絶妙なバランス

何年もマネージャーをやってきて思うのは、如何にマネジメントに重さを付与するか、ということである。

重さを付与する、というのは、言葉を浮かさないということと同義で、できるだけ純度を失わずに自分の意図を伝える、というニュアンスに近い。

仕事の性質上、マネージャーはたくさんの建前を言わなければならない。

綺麗事を並べなければならない。

でも、それだけでは部下は動かない。

そして自分も楽しくない。

そういった理想と現実の間で、組織と個人のせめぎ合いの中で、自分の考えを出しながら、組織の目標も叶えていくことに、マネジメントの面白さがある。

ただ、それには絶妙なバランス感覚が必要で、建前や綺麗事を並べることで浮きがちな空気感を、できるだけ地面に近いものにしておく(地上に留めておく)ことが大事なのである。

抽象論者は具体論がド下手

頭の良い人たちは抽象論を振り回す。

確かにそれは心地の良いものではある。

コンサルタントや専門家のように、抽象化することは物事をクリアにする為には不可欠な作業ではある。

でも、こういう人たちは、(僕から言わせれば)悉く具体化が下手である。

しかし、それこそがビジネスには必要なのだ。

プロセスを共に踏むこと自体に価値がある

そして繰り返すようだが、具体化というのはそんなに簡単に素晴らしい解決策が出てくるようなシロモノではない。

だからこそ、部下と共に思い悩むことが大事なのだ。

この過程、プロセスを踏むこと、それ自体に途轍もない価値がある。

これを理解しているマネージャーは本当に少ない。

何かスペシャルな指示や知恵を授けなければならない、という幻想に囚われているように僕には見える。

それができれば、確かに望ましいだろう。

でも、上記したように、それはかなり難易度が高いのである。

舐め過ぎ。

それが僕が具体論を軽く考える多くのマネージャーに思うことである。

ない、という答えでもいい

真剣な対話。

ブレインストーミング。

言葉は何でもいい。

同じ地平に立って、頭を絞る行為。

これこそが部下の「どうやって?」に応える術である。

もしかしたら、その解はないのかもしれない。

でも、それでいいのである。

ないならない、というのが答えなのだ。

そのような「答え」を探す為に、部下の要請に「応える」ことがマネジメントなのである。

全能であるフリはいらない

指示?

指揮?

まあ、確かに重要だろう。

でも、それはそのような対話に基づいた(一次情報に基づいた)ものから生まれたものでなければ力を持たないし、遠くまでは行けない。

裏を返せば、そのような対話から生まれた戦略や戦術は、物凄い訴求力と射程を持つのだ。

あなたに必要なのは、全能なフリをすることではない。

凡庸な、一人の人間としての、「素」を晒すことである。

でも、そこに具体論が生まれるのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

営業担当時代の僕の強みは、何気ない対話の中でアイディアを共に練ることができる、という点だったように思います。

もちろん事前準備をして、スペシャルな解決策を提案することもありましたが、それよりは下らない遠回りをしながら、相手の頭を整理する為に自分を使ってもらう、そんな点が重宝されていたように思います。

部下からの「どうやって?」も一緒で、マネージャーだから何か素晴らしい解答をしなければならない、と考えている人が多過ぎるように僕は感じています。

わからないことは別に恥ずかしいことではない。

というか、わからないことをわかると言ってしまうことが、現代のビジネス環境にはそぐわない。

だから、一緒に頭を捻る。

そこに付加価値が生まれるような気がしています。

共に悩んでいきましょう。