部下の「本音」はほどほどに

UnsplashKristina Flourが撮影した写真

飲み会は本音を語り合う場ではない

コロナウイルスによって飲み会が消滅し、最近はまたそれが復活してきている。

その飲み会の有無によって、マネジメント手法は変わるのだろうか?

、というのが僕の答えである。

もちろん、気分転換というか、マネージャー自身の気晴らしという意味での飲み会はあって然るべきだし、僕自身も嫌いではないので、大いにやったらいいと思う。

でも、もし飲み会を「そこでしか聞けない話」「本音を語り合う場」みたいに捉えているなら、それはちょっと違うように思うのだ。

部下の「本音」なんて聞くもんじゃない、というか、聞いたってあまり仕事の役には立たない。

もっと言えば、その「本音」に応えようとすると痛い目を見ることだってある。

今日はそんなことを書いていこうと思う。

本音を聞くと、仕事に役立つ?

酒を飲み、酔っぱらうと本音が聞ける。

マネージャーならそんなことを考えている人もいると思う。

僕はこの点については、半信半疑である。

確かに酔うことによって、普段抑制している感情が表に出ることはあるだろう。

それによって、仕事に役に立つことが聞き出せることがない、とまでは言えないことも確かだ。

でも、だからと言って、「それがなくたって仕事に何の支障もないのでは?」というのが今日の話である。

もう少し正確に言うなら、「本音を聞くことのデメリットだって相応にあるから、そこまで深く入り込まなくてもいいんじゃないの?」ということになるのかもしれない。

部下との距離感

部下と気心が知れてくると、それなりに本音ベースで話をしてもらえる関係性ができることがある。

でも、何というか、上司は上司、部下は部下で、それ以上の関係性になるのはあまり好ましいことではないのではないか、と僕は考えている。

もちろん、人事異動や転職など、直接的な利害関係がなくなれば話は別だ。

しかし、在任中というか、同じチームにいる間そこまで距離を詰めなくていいし、むしろそれが有害になることだってある、という風に思うのである。

酔って言ったことは本音なのか?

上手く言えないけれど、「酔っぱらっていれば何を言ってもOK」と考えている人が相応にいるのが日本社会だと僕は思っている。

無礼講とまではいかなくても、「私は酔っているんだし、だからこそ今日は言いたいことを言わせてもらいますよ」というノリの人はそれなりにいる。

そして、それに応えようとする人もそれなりにいる。

古くから「飲みニュケーション」と言われる類のものだ。

もちろん飲みニュケーションにはメリットも多い。

ただ、そこで吐露された「本音」がどこまで本音であるか、というのは吟味した方がいいのではないか、と僕は思うのだ。

「本音」と「本音っぽく聞こえる愚痴」

僕の経験上、飲み会で話された言葉が本当に本音である、というのはちょっと違うような気がしている。

もちろん、本心がそこに含まれていない、とは言わない。

でも、100%、心からの言葉であるか、というのもまた違うような気がするのだ。

特に、酔いの度合いが深い時、というか、相当に酔っぱらった時に出された言葉というのは本音ではないと思っている。

表現が難しいのだけれど、それは「本音っぽく聞こえる愚痴」に過ぎないのだ。

不全感が含まれたもの=本音?

人間だれしも不満はある。

そしてその不満が全て職場に起因するものではない。

でも、そのような不全感というかやるせなさというか、その種類のものはなかなか家庭では発散できない。

そのような混在物が吐き出されるのが、飲み会での「本音」であると僕は考えている。

人生を受け止めるのは不可能

これを正面から受け止めるのはなかなか大変なことである。

というか、僕が冷めているだけかもしれないけれど、部下の人生の不満みたいなものを受け止めようという気概は僕にはない。

残念ながら僕は仕事としてマネージャーをやっているだけであって、彼(彼女)らの人生を好転させたいというような願望はない。

でも、吐露される本音には人生が少なからず(多めに?)含まれている。

それには程々に付き合ったらいいのではないか、というのが今日の話である。

心情を吐露する(される)ことの弊害

職場での付き合いなんて、職場での付き合いでしかない。

そう言うと方々から非難を浴びそうだけれど、マネージャーという仕事をやっていると、部下との距離感に違和感を覚えることがしばしばあるのが実情である。

僕は教師ではないし、親でもないし、親友でも、恋人でも、家族でもない。

職場での悩みは別として、それ以外の感情についてはできれば心の奥にしまっておいて欲しい。

もちろん、部下の中にはそうは言っても気が合うというか、チームを離れても付き合っていきたい人はいる。

ただ、それは多くないし、それ以外の人とはそこまで深い話をしなくてもいいように思うのだ。

薄情で結構

薄情なヤツ?

冷たいヤツ?

確かにそう聞こえるかもしれない。

でも、マネジメントの問題というのは、この種の「本音」を変な形で捉えることから生じていることが多いような気もしているのだ。

飲み会なんて話半分でいいのでは?

飲み会での話なんて真に受ける必要がない。

というか、飲み会でしか話せない話なんて、結局その程度の話なのである。

そのような割り切りができれば、マネジメントの面倒くささは多少は緩和されるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

本文では上手く書けませんでしたが、人間関係における距離感がバグっている人が相応にいるのが日本社会である、と僕は思っています。

それは会社においても同様で、上司部下という関係を必要以上に「神聖化」しようとする人が多いように感じます。

「仕事は仕事」という書き方をすると、「なんて薄情な!」と憤る人がいるのですが、それによって本来の仕事における目が曇るのであれば、それはちょっと違うのではないか、と僕は考えています。

適度な距離感を保っていきましょう、