タバコ休憩は労働時間なのか問題

UnsplashAndres Siimonが撮影した写真

タバコ休憩と日本の労働観

定期的に提起されるこの「タバコ休憩は労働時間なのか問題」

要は「タバコ休憩をしている人は、デスクにおらず、実質的には仕事をしていないので、休憩時間なんじゃないの?」という問題提起である。

ここから、「じゃあ、トイレ休憩はどうなのか?」とか、「タバコ休憩が許されるなら、YouTube視聴休憩とか、スマホゲーム休憩とかもOKなんじゃないの?」とか、そういった議論に繋がっていく。

そして、「いやいや、トイレ休憩は生理現象なのだから仕方ないのでは?」とか、「タバコも嗜好品だし、動画視聴でリフレッシュするのと何が違うの?」という話も飛び出してくることになる。

そして、その矛先がマネージャーに向かうことだってある。

「マネージャーはそれを許容するのか?」と。

いやいや、根が深い

ここに「労働」に対する日本の価値観(労働観)がある種凝縮されているような気がしたので、私見も含めて今日はこのテーマで書いていこうと思う。

それでは始めていこう。

私見:タバコ休憩は労働時間ではない

まずは私見から。

僕は「タバコ休憩は労働時間ではない」と考えている。

ただ同時に「それって問題なの?(というか程度問題では?)」とも思っている。

この考えから、トイレ休憩はもとより、YouTube視聴休憩やスマホゲーム休憩も労働時間ではなくなることを(僕の中では)意味することになる。

異論があることは認める。

でも、「論理性(一貫性)を持たせるためには仕方がないのでは?」とも思うのだ。

トイレに1日何回も行き、1回当たりも長かったら?

「いやいや、トイレ休憩が労働時間ではないなんて暴論だ!」

そう青筋を立てる人の気持ちはよくわかる。

僕も最初は「トイレ休憩くらいはOKなのでは?」と思っていた。

でも、「じゃあトイレに1日5回も10回も行って、それも1回が10分とかかかったとして、タバコ休憩と何が違うのか?」とも思ったのである。

ここで議論が元に戻ってくる。

要は、人がタバコ休憩に腹を立てるのは、「私が働いているのに、アイツ(ら)は働いていない。不公平だ」という感情があるからである。

ごもっともだ。

「じゃあ、全部休憩時間にしてしまえば?」というのが僕の考え方である。

もちろん、労働基準法上の考え方や、両方の判例(タバコ休憩が労働時間であるとも労働時間でないとも、どちらの判例もある)があったりするので、厳密な議論は法務畑の人に委ねるとして、僕は現場のマネージャーとしての考え方みたいなものを以下に書いていこうと思う。

机の前にいる=労働時間?

この議論で難しいのは、「結局のところ、机の前にいることが労働時間である」と多くの人が考えているということである。

これは「働かないおじさん問題」「残業居座り問題(仕事がないのに残業代の為に居残りを続ける人)」にも繋がってくる。

要は、アウトプットではなく、「そこにいること」それ自体に意味がある、と考えている人が大勢を占めるということである。

もちろん、業種や業態によっても異なるだろう。

実際の場面として、電話が鳴り続けていて、かたやタバコ休憩している人がいるのに、もう1方ではその対応をし続けている人がいる、というのは確かにおかしい。

だから、(繰り返すが)タバコ休憩は休憩時間にしてしまえば、この種の議論はなくなる(少なくなる)のではないだろうか、と思うのだ。

それを前提として、あとはチーム内でどのくらいの休憩時間を許容するか、というのを議論すればいいように僕は思っている。

メンバー間で良いなら良いのでは?

営業という仕事をしている僕のチームでは、顧客からの電話対応を、タバコ休憩している別のメンバーの代わりにしているメンバーが一定数生じることがある。

現状そこまで不平不満が出ていないのだけれど、それなりに不公平だと思っているようには感じる時がある。

でも、一方で、そのタバコ休憩をしている人は昼食休憩を早めに切り上げて働いていたり電話対応している人はたっぷりと1時間休んでいたりもする。

上手く表現できないのだけれど、メンバー間で「暗黙の均衡」みたいなものを保っているのではないか、というのが僕の仮説である。

そしてそれはある種の「自治」とも言える。

もちろん、そこから更にエスカレートしてしまったら話は別であるが、それまではマネージャーが口に出さないで、メンバー間でやり繰りさせた方が良いように僕は思うのだ。

程度問題に過ぎない、というのはそのような意識から生じたものである。

あともう少し私見を書いて、本稿を終えようと思う。

アウトプットとプロセスと

結局のところ、この話はアウトプットよりもプロセスを大事に考える、という価値観が根底にあるから生じていると僕は思っている。

そしてこれは休暇日数残業時間、その他諸々の話にも繋がっている。

僕は普段から「どれだけ休んでもいいから、きちんと成果は出してね」ということを明言しているので、この辺の問題は起きづらい。

休みたいと部下が言ってくれば休ませるし、早く帰りたければ帰ってもらう。

それでいいのでは?

子供じゃないんだし。

ただ、その代わりやることはやってもらう。

プロなのだから。

それ以上でもそれ以外でもないのでは?

成果主義にしてしまえば?

そういう意味では、評価体系をもう少し成果主義寄りにすることもこの種の問題を緩和する1つの方法になるような気もする。

大事なのは成果である。

もちろん、そうは言っても程度問題ではあるけれど。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

職場における不公平感。

その1つの縮図がこの「タバコ休憩は労働時間なのか問題」です。

僕自身はタバコは吸わないので、喫煙者たちの代わりに延々と電話対応をしていたりすると、「確かに不公平だよな…」と思う時はあります。

でも、完全に公平というのもまた実現不可能です(というか、メチャクチャギスギスしてしまいそうです)。

基本的にはそこにいる成員たちでどのようにすべきなのかを決めるのが望ましいと僕は考えていますが(自治)、それが無理なら、本文で書いたように全て休憩時間にするしかないように思います。

だって働いてはいないのだから。

ただ、僕はそんなディストピアも願い下げです。

寛容さがどんどんと失われる社会で、何とか生き残っていきましょう。