勉強しようぜ
まずは自分で勉強してみたら?
皆さんは勉強していますか?
今日はそんな問いかけから文章を始めてみる。
社会人になって数年が経った後、もっと言えば、マネージャーになってから勉強していますか?
この問いに対し、「Yes!」と大きな声で言える人はそんなに多くないのではないか、というのが、僕の実感である。
もう少し平たい言い方を許して頂けるなら、「勉強していない人が大半」ということになる。
そんな人たちから「マネジメントについて教えて下さい」と言われることが増えてきて、「うーん、気持ちはわかるけれど、まずは自分で勉強してみたら?」と思ったのが今回のこの文章に繋がってくる。
それでは始めていこう。
苦しみ(もしくはトレードオフ)があること
社会人にとっての「勉強」とは何を指すのか?
この部分の定義如何によって、冒頭の問いへの答えの割合も変わってくるだろう。
僕の定義はこうだ。
「苦しみがそこに内在していること」
もしくは「それによって失われるもの(トレードオフ)が存在していること」
地味で辛い作業を続けているという事実を持っているか否か
もちろん、勉強というのは、潜り抜けた後には(大なり小なり)楽しくなるものではある。
でも、その過程というか最中においては、地味で辛い作業が殆どである。
そして僕がマネジメントという仕事において大事だと思うのは、この地味で辛い作業を大人になっても続けているというその事実を持っていることである。
これは、向上心を持っているかどうか、と言い換えることができるかもしれない。
それを維持し続けることができれば、マネジメントという仕事を続けることができるし、それなりに上手になることも可能だと僕は思っている。
勉強=資格試験対策?
これは何も「資格試験対策」だけを指すわけではない。
多くの「自称勉強している社会人」に話を聞いてみると、大抵は資格試験の勉強をしているものである。
もちろん自分のキャリア形成において、新しい資格を取得したり、それに向けて勉強したりすることは大事だ。
でも、今回の「勉強」という言葉には、もう少し広い意味が含まれている。
仕事に直接関係がない分野(例えば語学や楽器、武道など)だっていい。
もちろん、独学で全然構わない。
何というか、「教えられている感覚」「初学者である感覚」が大事であると思うのだ。
マネージャーは「上がり」なのか?
いつも言うように、ここには僕が大事にしている「志向性」という概念が関わってくる。
今は何物でもないかもしれないけれど、何者かになろうとしているその過程にこそ、意義がある。
それはマネジメントにおいても例外ではない。
なぜかマネージャー職についた途端、「上がり」みたいに思ってしまう人が多くて、そこからパタッと勉強をやめてしまうのだけれど、それは非常に良くないことである。
それは自分が教える立場だと勘違いしてしまうからである。
「教えると上達する」「教えられると上達する」
よく言われる話で、「教えると自らも上達する」ということがあると思う。
それは否定しないけれど、マネジメントにおいては、「教えられると自らも上達する」ということがあるように僕は思うのだ。
普段あまり経験していない視点から物事を眺めると、同じもの事でも違ったように見える。
それが勉強する効用だし、教えられる効用である。
そして、上達という過程には色んな方法があることも実感できるようになる。
子供の頃や学生の頃というのは、上達方法を考えるというよりは無我夢中で目の前の課題に取り組んでいくというスタンスであった人が大半であると思うけれど、ある事物に対してどのようにアプローチをすればいいのかという仮説を立て、それを実践していくことで自分にとって最適な上達方法を身に付ける(身に付けようとする)ことは、とても大事なことである。
そう、その方法は人によって違うし、ある種自分で見つけるしかないものであるのだ。
そして、その上達までの道筋を見つける過程、それがどのように見つかったのか(もしくは見つからないままでも上達しうるのか)ということを、自らの体で理解しておくことは、部下を育成する際にもとても役立つものであると思う。
教えられたからと言って伸びる訳ではないのだ。
そして、伸びている過程においては、伸びている実感というのは持ちにくいものでもあるのだ。
それは仕事においても同様である。
変動要因を入れ込んでおくこと
もう1つ勉強する意義を書いて本稿を終えようと思う。
それは単純に自分を飽きさせない(自分に飽きない)ということである。
何らかの変化の因子を持っておくこと。
定常ではなく、可変していくこと。
それはマネジメントという仕事においては比較的難しいことである。
マネジメントは定常(安定)を求めるものだから。
そこに変動要因を入れておくこと。
自分がまだまだ未熟であり、でも努力を続けていて、良くなる可能性があることを信じられること。
それが1つでもあれば、毎日の同じような仕事の繰り返しの中にも新しい発見をすることができるようになる。
そして新しい発見をする(しようとする)ことは、飽きづらさに繋がっていく。
毎日の単調なルーティンを漫然と繰り返すのではなく、そこに何らかの新鮮味を感じる姿勢。
それはもちろん、人間性の向上にも繋がっていくはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
以前に「可変性」の意義みたいなものについて書いたことを、勉強という言葉に置き換えたのが今日の話です。
生物であることの良さは、この可変性の中にあるのではないか?
AIやChatGPTが持て囃される中で僕が思うのは、生物の進化の多様性とその思いがけなさ(突然変異)です。
プログラミング?
ディープラーニング?
人間であることの意義とは?
難しいことはわかりませんが、自分が変化していくその事実を楽しんでいきましょう。