判断から逃げない

UnsplashAlexander Schimmeckが撮影した写真

判断から逃げる為に現場仕事をやるなよ

マネージャーの仕事は判断することだ。

現場で汗をかくことじゃない。

強い口調で書いたが、それくらい意識を変えないとダメなのではないか、と僕は思っている。

それは部下も上司も、もちろんマネージャー自身も。

なぜだか日本においては(他国はどうなのか知らないが)、マネージャーが部下と共に現場仕事をしていること=素晴らしいこと、というような意識が物凄く強く残っている。

もちろん、現場仕事をやるな、ということではない。

優先順位が違うのだ。

それは、「判断をしてから」の話である。

厳しい言い方をすると、「判断から逃げる為に現場仕事をやる」なんてことは愚の骨頂である。

でも、この手合いは非常に多い。

そしてもしかしたら、当人だけでなく、社会全体もそのように考えている節がある。

それを変えないか?

今日はそんな話だ。

資本集約的に働く為には判断が必要だ

労働集約型資本集約型。

日本企業の働き方を見ていると、前者の傾向が未だ圧倒的に強いと僕は考えている。

そして今日の話もこれに関連している。

マネージャーがやるべきことは、労働時間単位でのパフォーマンスを上げることではなく、いかに効率的にレバレッジを掛けて(資本集約的に)パフォーマンスを出すか、である。

そして、効率的にパフォーマンスを出すためには、判断をしなければならない。

もちろん、その判断の中には、労働集約的に働く(その中に自分も含まれる)ということもあり得るだろう。

ただ、忘れてはならないのは、手元にある資源(労働資源だけではなく)をどうやったら効率的に使えるのか、という考え方である。

その方策を考え、実行に移すのがマネージャーの仕事である。

全ての物事はトレードオフだ

だから僕は「戦略(戦術)が大事」とずっと言い続けているのだ。

そして、戦略(戦術)を実行するには、当然ながら判断が必要となる。

というのも、(当たり前であるが)資源は有限であるからだ。

どこに重点的に資源を割り振るべきなのか、捨てる部分はどこなのか、それを判断しなければならない。

全部取り、はできない。

そのようなトレードオフの状況の中で、マネージャーが責任を持って判断することが大事なのである。

責任のないところに権限は生じない

これは責任の概念とも結びついている。

マネージャーが権限を持っているのは(会社から持たされているのは)、判断の裏に責任を取るという考え方が含まれているからである。

これは言い換えれば、責任のないところに権限は生じない、ということである。

でも、(僕から見えれば)多くのマネージャーは、この責任を伴う判断という仕事から逃げて、ただ偉そうに振舞っているだけだ。

もっと言えば、自分は現場仕事をしている、部下と共に汗を流している模範的なマネージャーだ、などとのたまっていたりもする。

繰り返すが、現場仕事が必ずしも悪であるという訳ではない。

でも、それは判断という厳しい仕事を終えてからの話である。

そこから逃げる為の口実として現場仕事という言葉を使うなよ。

僕はそう思うのである。

判断は怖い

判断をするのは怖い。

誰だってそうだ。

でも、それをやるのがマネージャーの仕事なのだ。

現状分析を適切に行い、どこにレバレッジがかかる可能性があるのか、を真剣に考える。

労働時間や労働負荷に頼るのではなく、効率的に成果を出すためにはどうしたらいいのかを徹底的に考える。

そして決断する。

これがマネージャーの仕事なのだ。

ヒマそう?

楽をすることは悪ではない。

苦労することが善ではない。

戦略を構築し、仕組みを考え、実行に移す。

問題があれば、それをアップデートしていく。

それはもしかしたら、傍から見ればヒマそうに見えるのだろう。

何もせず、デスクでボーっとしているように映るのだろう。

違うぞ。

そんな考え方をしているから、いつまでも日本の生産性は上がらないのだ。

後進国型(この言葉はポリコレに引っかかるのだろう)の経済から抜け出せないのだ。

成果にレバレッジをかける為に

大事なのは資本効率をどうやって高めるか、だ。

それは我々のようなミドルマネージャーのレベルでも一緒である。

ミニ経営をするのがマネージャーの仕事。

それがわからないうちは、いつまで経ってもプレイヤー思想から抜け出せない。

結果、チームの成果にレバレッジがかかることはない。

判断をしていないから忙しいだけだろう?

「あの人は現場で一緒に働いていて偉い」

「あのマネージャーは部下と一緒に汗を流していて素晴らしい」

そういう考え方を改めないか?

もちろん、限られた資源の中で、自分がそのように現場で働くことが、効率的な運営に寄与するという判断を行った結果なのであれば、それで構わない。

でも、そんなことを考えているとは到底思えないのだ。

忙しそうにして、判断という仕事から逃げるなよ。

忙しいのは判断という仕事をしないから。

判断し、自分が忙しくなくても仕事が回るような体制を構築していないから。

それを履き違えてはいけないのだ。

仕組みを構築できないから忙しいのだ

忙しいマネージャーなんてものは、何かがワークしていないから忙しいのである。

それは環境のせいではない。

自分がそのような仕組みを構築できないからそうなるのだ。

それをシビアに受け止めよう。

厳しい話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

本文の中には端々に刺々しい言葉が出てきて、お見苦しいと思いますがどうかご容赦ください。

でも、そのくらい強い言葉じゃないとこの国は変わらない。

楽に働くこと、楽に生産性を上げること。

その結果みんなで豊かになること。

それを考えるのが、その仕組みを作るのが、オレたちの仕事じゃないか?

汗を流すこと、苦労すること、その美学は否定しません。

でも、それが全てではない。

それが理解できた時、マネージャーはマネージャーと名乗ることができるようになります。

覚悟を持って判断していきましょう。