論破しても恨みを買うだけじゃね?
味方は多い方がいい
SNSの影響なのか、あの有名人のせいなのか、「論破口調」で仕事をしている人に出くわす機会が増えたように思う。
本人的には、理詰めで話しているような気分なのだろう。
そして相手を言い負かし、気持ちよくなっているのかもしれない。
でも、それって有効なのだろうか?
僕はそんなことを思ってしまう。
そんなことを思ってしまうのは、確かに僕の感想なのかもしれない(かの有名人の名ゼリフのように)。
ただ、ことマネジメントという仕事に関して言うなら、相手を言い負かすのではなく、主張の異なる相手でさえ味方に付けてしまう話法の方が有効であるように僕は思っている。
味方は多い方がいい。
そんな単純な事実を今日は書いていこうと思う。
それでは始めていこう。
論理よりも感情
僕は口喧嘩が強い方だ。
それは昔からそうである。
でも、社会人になって、世の中に出てみると、案外論理というものが通用しない(意味が薄い)ことに気づくことになった。
多くの人は論理なんてものを考えずに、物事を発している。
そして、論理(や数理)というものを理解できないことも多い。
結果として、僕が思ったのは、人は論理よりも感情に左右される生き物であるという(ある種当たり前の)結論であった。
だったら、その感情を揺さぶるような話法の方が有効なのではないか?
何なら、それによって自分の味方にしてしまえばいいのではないか?
そんな風な思考の変遷が僕にはある。
それと同時に、根回しというか、中を取るというか、そのような下ネゴ的な動きというのは昭和的だし胡散臭いな、という思いが以前にはあったのだけれど、それが段々となくなってきて、「わざわざ対立する必要がないところで対立しても仕方がないな」と感じるようになってきたのである。
仕事がし易くなることが大事
これは合気道的なイメージに近い。
戦わずして済むなら戦わない方を僕は選ぶ。
もちろん、相手が拳を振り上げてきたら、対処はする。
でも、それはカウンターを当てるのではなく、相手の動きをいなしたり、その力を利用して投げ飛ばしてしまう、という方がいいような気がしている。
というのも、こちらの力によってダメージを与えてしまうと、それが恨みとなって、いつか仕返しをされる可能性が高まるからだ。
いくら論理的にはこちらの方が正しくても、メンツを潰されたとか恥をかいたとか、そのようなことでは論理を曲げず、いつまでも恨んでいるということが起こり得るのが人という生き物なのである。
だったら、そこで言い負かしても仕方がない。
大事なことは、自分(ないしチーム)が仕事をし易くすることで、相手を論破して気持ち良くなることではない。
そんな風に思うのだ。
まず謝ってしまえ
「いやいや、そんなことを言っても、相手がケンカ腰で、論破口調できたらどうするんですか?」
そんな声が聞こえてくる。
僕がよくやるのは、まず謝ってしまう、ということだ。
その後で論理性(+数理性)を基に、必ずしも相手が言っていることが正しいとは限らない、ということを主張し、双方が痛み分けくらいになる地点まで持っていく。
まず謝ってしまうのは、論理に論理で立ち向かうと、ただの口喧嘩になって何も生まれないからである。
相手はハナからこちらを言い負かそうとしてきている訳だ。
だったら負けてしまえばいい。
少なくとも、何らかの要因によって、相手がこちらを言い負かしてやろうと思ったのは事実なので、その気分を害してしまったことを詫びる。
大抵の場合は、それで相手の気勢はだいぶ削がれる。
身構えて、理論武装していればいるほど、腰砕けみたいな感じになる。
そこから話を始めるのだ。
武装解除し、論理を添える
先述した話に戻るなら、まず相手の感情を鎮めるのだ。
人間というのは感情に左右される生き物であるから。
論理というのは、その感情を正当化する為の武装に過ぎない。
だから、まずその元となる感情を抑えてしまう。
そこで武装解除をさせて、話を始める。
その際に論理性(+数理性)を添える。
特に数理というのは、見方によってその解釈が大きく変わるものであるのも事実なので、相手が主張していることに対して、「こういう見方もあるのではないか?」ということをそれとなく言っていく。
こちらが折れたように着地させる
冒頭の話に戻るのであれば、大抵の話というのは究極的には「感想」になってしまう。
それは数理でさえそうだと僕は思っている。
論破口調の人は数字を盾に自分は正しいということを主張してくることが多いけれど、数字はその人が思っているほど、客観性が高いものではない、というのが僕の考え方である。
取りようによっては、いくらでも数字というのは解釈が可能であるから。
それを当てる。
すると、相手の理論武装みたいなものが崩れだす。
それは別に相手を言い負かそうというのではなく、こいつを敵にしておくと損かもしれない、と思わせることが重要だからである。
そして、ある程度の論理の空中戦を繰り返す中で、こいつ面白いこと言うな、という方向に持っていく。
後は、論理を着地させるだけだ。
相手のメンツやプライドを潰さないように、こちらが折れたような形に着地させる。
スポーツの後のように、健闘をたたえ合い、議論を終える。
そうやって、味方に付けてしまえばいい。
僕はそう思うのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
損して得取れ。
訴訟社会ではそうはいかないのかもしれませんが、日本においては、事を荒立てると恨みを買って、更に面倒な事態になることが多いので、先に謝ってしまうことが比較的楽です。
社会に出てからの実感として、多くの人は些細なことでも根に持つし、とてもしつこいです。
だから、それに粘着されるくらいなら、下げられる頭を下げてしまった方が得策です。
論理で勝っても、仕事がし辛くなるのでは本末転倒です。
できるだけ敵を作らないでいきましょう。