「降格→再チャレンジ」という仕組みはやっぱり難しいのだろうか?
処遇と職務が極端に合っていない人への対処法とは?
平社員でも役職者でも、そのポジションに明らかに適性がない、という人に出会うことがある。
もう少し嫌味な言い方をすると、処遇と職務が極端に合っていない人(それもマイナスの方に)がいる。
もちろん、人事評価というのは、多かれ少なかれ実態と乖離するものではある。
でも、あまりにもさ、と思う時がある。
そんな時に、「降格→再チャレンジ」という仕組みがあれば、本人にとっても周囲の人間にとっても幸福なのではないか、と思ってしまうのだ。
このブログはマネジメント職の人に焦点を当てて書いているものでもあるので、今日はその中でも管理職に話を絞って書いていこうと思う。
それでは始めていこう。
管理職は偉いのか?
「管理職にならなければ偉くなれない」
多かれ少なかれ、日本企業においてはこのような傾向があると思う。
もちろん、外国でもその傾向は変わらないのかもしれない。
でも、その度合いはもう少し緩やかなのではないかとも思うのだ。
どうも日本では、「管理職=偉い」みたいな等式が当たり前のものとして捉えられているような気がする。
「管理職はただ管理をする仕事であり、偉さとは特に関係ないのではないか?」
それが僕が長年管理職という仕事をやってきての実感である。
管理職の偉さの源泉とは?
管理職というのは、ただの職務(ジョブ)の1つである。
別に偉さとは何の関係もない。
何となくチームを率いているからとか、人事評価を行うからというような理由で、偉いと勘違いしている人もいるかもしれないけれど、そんなことはない。
もう少し違った角度から言うなら、管理職ではなくても(例えば専門職でも)、そのようにチームを率いていたり、人事評価を行っていれば、偉いといえるのではないだろうか?
でも、不思議なことに、専門職はチームを率いることは少ないし、人事評価を行うこともほとんどない(だから専門職と言うのだろうけれど…)。
となると、偉さの源泉というのは、評価者であるか否か、ということになるのかもしれない。
評価者に評価者としての能力がないとしたら?
確かに、評価する人というのは偉そうに思える。
でも、その評価する人が評価するに値しない場合はどうしたらいいのだろうか?
もう少し正確に言うなら、評価者としての能力に適性がないとしても、他の分野で能力を発揮することはできるはずだし、その分野において同程度の処遇を得ることも可能なのではないか、と思うのだ。
管理職というルートを経なければ、会社の中で上位のポストに行けないのは、そもそもの会社の仕組みにも問題があるとは考えられないのだろうか?
そんなことを思ってしまうのである。
評価者の評価しか評価基準がないのが問題
「いや、でも、評価者というのは無条件で偉いのではないですか?」
そんな声が聞こえてくる。
そうなのだろうか。
というか、「偉い」という言葉が漠然としているから意味が不明確になっているのかもしれない。
確かに「人を評価する人」というのは、上位の人間であるように思われる。
下位の人間を評価する上位の人間、というようなイメージが想起される。
これは間違いとは言えないまでも、そこまででもないのではないか、というのが僕の考えである。
というか、評価者のみが評価する、それが会社としてのオフィシャルな評価となる(他に評価基準がない)、というところに問題点があるような気がするのだ。
職位によって影響度は異なる
僕が長年管理職をやってきて思うのは、下位者の評価の乖離よりも、上位者の評価の乖離の方が、会社に与える影響度は(格段に)大きい、ということである。
でも、残念ながら、上位者の評価の乖離というのは是正されることが殆どない。
余程明らかなハラスメント等の問題があれば別であるが、それ以外は降格も配置換えもなく、大抵そのままの席に居座っている。
ここに問題があるような気がするのだ。
そういう意味では、評価者の評価をもっときちんとすべきだ、という議論と共に、評価者というのは複数いてもいいのでは、という方向に僕の考えは進んでいく。
管理職として不適格でも、ビジネスパーソンとして不適格な訳ではない
それは「360度評価のオフィシャル化かつオープン化」みたいなものかもしれない。
「実名での食べログ」みたいな感じかもしれない。
要は、既存の評価の仕組みは残しつつ、それ以外の評価軸のウェイトをもう少し増すべきなのではないか、と僕は考えている。
それによって、明らかに管理職に不適格であるものをそこから排除することが(今よりは)可能になるはずだ。
でも、同時に、管理職に不適格であったからと言って、その人がビジネスマン(ウーマン)として不適格であるということにはならない(当たり前だ)。
もしかしたら、経験値が足りなくて管理職としては不適格だったかもしれないし、そもそも別のところに適性があるのかもしれない。
そのような人たちを、管理職として再チャレンジさせたり、管理職以外のポストによって厚遇されるような仕組みを作ること。
それが組織が今よりも硬直的にならずに済む方法なのではないか?
そんなことを考えている。
雑多なキャリアの人を
イメージは多様なキャリアの人たちの寄せ集め、である。
管理職然としたおじさん達だけが会議の席にいるのではなく、様々なキャラクターを持った人たちが会議にいるような感じ。
それができるようになれば、そして降格というものが必ずしも悪いものではないというイメージが醸成できれば、会社というのはもう少し働きやすくなるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
自分で読み返してみてもよくわからない文章になってしまいましたが(じゃあ書き直せよ!)、言いたかった事は管理職だけがキャリアの全てではないし、仮に管理職として上手くいかなかったとしても別に失敗ではない、ということです。
また、降格というと悪い響きのように聞こえますが、必ずしもそうではなく、たまたまハマらなかっただけというカジュアルさが日本には必要であるような気もしています。
そして同時に、管理職ではない偉い人も作らなければならないとも思っています。
管理職として上手くいかなくても、スペシャリストとして能力を発揮し、偉くなるというキャリアパス。
それがもう少し当たり前になれば、管理職に向いた人が管理職になり続けるようになり、社会がもう少し明るくなるような気がしています。
あまり参考にはならなかったかもしれませんが、懲りずにまた読んで頂けたら幸いです。