「お疲れ様」を言うだけの簡単なお仕事
部下を労えれば、マネージャーとしては合格なのでは?
マネージャーとは、「お疲れ様」を言うだけの簡単なお仕事なのではないか。
そんなことを思ったので今日はそれを文章にしてみる。
この文章だけを読むとネガティブな印象を持たれる人もいるかもしれないけれど、僕の意図はそれとは異なる。
むしろポジティブに捉えているのだ。
僕はこのブログにおいて、「マネジメントとは」みたいな小難しいことをずっと言っているけれど、結局大事なことは、部下にお疲れ様と言うこと、部下を労うこと、なのではないか、それさえできれば、マネージャーとしては合格点なのではないか、そんなことを最近は考えている。
昨今は、KPIなど様々な指標によって、部下の行動を数値化したり、可視化するような傾向が見られる。
それ自体は僕は賛成で、曖昧な評価基準が明確化されていくという方向性は望ましいことだと思っている。
でも、同時に、そこには体温みたいなものが失われているようにも思うのだ。
そして、その体温を与える(偉そうだが)のがマネージャーの仕事なのではないか。
そんなことを考えたので、(もう結論は出ているような気はするけれど)以下それを詳しく書いていく。
「労い」はマネジメントの一部ではあるけれど…
マネジメントとは労うことだ。
本当に最近になって、僕はこのようなことを考えるようになった。
もちろん、厳密に言えば、労いというのはマネジメントの一部でしかない。
労いだけやっていれば成果が上がるようになる、とまでは流石に言えないような気もする。
でも、あながち間違っているとまでも言えないのではないか、とも思うのだ。
「褒める」よりも「認める」よりも「労う」
これは「褒める」とは違う。
以前に、僕は部下を「褒める」のではなく「認める」べきだ、というような趣旨のことを書いたことがあるけれど、今回の話というのは、その延長線上にあるものと言えるのかもしれない。
「褒める」よりも「認める」。
「認める」よりも「労う」。
それは僕自身のマネージャーとしての経験値が増えたから、そのように感じるのかもしれない。
「お疲れ様」は魔法の言葉
以前は、同格というか同じ地平から仕事と部下に向き合うというのが良いことだと思っていた。
もちろん今だってその気持ちは変わらない。
でも、ちょっと上の立場に立って、部下の仕事を労うというのもアリなのではないか、と思い始めてもいる。
それは何も偉ぶる訳ではない。
何というか、ありがたい、というか、すまないな、というような気持ちなのだ。
でも、「ありがとう」とか「申し訳ない」とかそういう言葉とはちょっと違うニュアンスなのである。
そういう意味で、日本語における「お疲れ様」というのは素晴らしい言葉であるように僕には思える。
そう、正に「お疲れ様」という感じなのである。
部下の行動の背景は、単時点ではわからないことが多い
部下は色々な背景を抱えながら仕事に取り組んでいる。
そして(当たり前の話であるが)マネージャーに見えるのはそのごく一部である。
もちろん、上記したように部下の行動を可視化するようなツールは増えてきてはいる。
でも、その行動がなぜそのようになったのか、その背景にはどのような心の動きがあったのか、ということまではわからない。
数字は数字である。
乾いたものは乾いたままだ。
そして、これも以前に書いたことであるが、そこから時を経ると、わからないなりに色々なことがわかってくることがある。
あの時はああいうことが背景にあって、そのような動きになっていたのか、ということが事後的にわかることがある。
その度に、僕は何とも形容しがたい気持ちになるのだ。
乾いたマネジメントだけでは超えられないものがある
結局のところ、仕事というのは個人で行うものである。
キャリアも、言ってみれば、それぞれがそれぞれで勝ち取っていくものである。
そして、そこには評価というものが付きまとう。
高い成果を挙げれば高い評価が、そうでなければそうでない評価が。
でも、それだけでは表現できないものが、チームで働いていると日々起こる。
人事評価というのは、その一面を切り取ることしかできないもので、それは仕方ないと言えば仕方ないことではある。
信賞必罰によってチームを動かしていく、まあそれも別に間違ってはいない。
ただ、それだけでは成果が優れたものにならない、ということも事実であるような気がしている。
ウェットなマネジメントは好きではないけれど、乾いたマネジメントだけでは超えられないものがある。
それを架橋するのが、「お疲れ様」と言うことなのではないか。
部下の仕事に対して、その仕事をしているという事実に対して、労うことなのではないか。
僕は最近そんなことを考えている。
偉ぶるでも、恩着せがましくする訳でもなく
そこには「褒める」や「認める」ほどの技量はいらない。
ただ、仕事が一段落したところで、「お疲れ様」と言うだけだ。
部下からしても、別に何とも思わないような話なのかもしれない。
でも、マネージャーがそこにいて、部下の仕事を見守っている、というその事実は残る。
だからと言って、監視する訳じゃないし、恩着せがましくする必要もない。
ただ、そこにある事実に対して、労うだけ。
それがもしかしたらチームのベースの体温を上げる秘訣なのかもしれない。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
課長は暇そうでいい(時々労ってさえいれば)。
これが最新の僕のマネジメントの考え方です。
仕事にまつわる様々な不平不満は、結局のところ「アイツは何にもわかっていない」というところに起因するような気がしています。
仕事ができるとか、一生懸命働いているとか、リーダーシップがあるとか、まあマネージャーに求められるものはたくさんあるのでしょうが、部下の仕事を適切に労えれば合格点。
というか、パーフェクトと言ってもいいのかもしれません。
上司は嫌われるもの。
でも、その上司には誰もが認められたいとは思っているこの矛盾。
それを架橋するのが労いです。
さりげなく労っていきましょう。