ダメなものはダメ

UnsplashDaria Lyalyulinaが撮影した写真

「叱らない人=いい人」なのか?

「褒めることも難しいですが、叱ることも難しいんですよ」

そのような相談を後輩のマネージャーから受けた。

確かに、叱ることは難しい。

特に現代のようなコンプラ・ポリコレ全盛の時代においては、その難易度は格段に増している。

そして、多くのマネージャーは、叱るべき時に叱れないでいるように見える。

それを僕はブログ立ち上げ当初「ヘラヘラ系マネージャー」と名付けたけれど、そのようなマネージャーは今でも(もちろん)たくさんいる。

また、そのような人は「いい人」と形容されていることも少なくない。

さて。

では、叱らないということは良いことなのだろうか?

僕は良くないと思っている。

それは部下育成という観点からもそうだし、チームビルディングという観点からもそうである。

もちろん、やり方には細心の注意を払わなければならない。

でも、ダメなものはダメなのだ。

それができなければ、部下は育たないし、チームも良い状態にはならない。

では、どのように叱るのが良いのか(現代にはマッチするのか)?

今日はそんな話である。

誰がやっても同じ熱量で叱れるものだけを叱る

叱る時に大事な点は、それが本当にダメなことであるか否かである。

僕はそう考えている。

言い方を変えるなら、どの部下が同じ行為をやったとしても、同じ熱量で叱れるものだけを叱る、ということになる。

そこに属人性は含まれない。

好き嫌いは関係ない。

あくまでも、やってしまったこと(叱るべき対象の行為)がどの程度問題であるのか、ということに焦点を当てるのである。

そして、それがダメなものであるのであれば、ダメだと言えばいい。

行為を咎める

そういう意味では、叱るというよりも窘めるという方が実際的なイメージには近いかもしれない。

こちら側も別にそこに感情を(必要以上に)乗せる必要はない。

淡々と、というと味気なさ過ぎるけれど、できるだけ行為そのものを咎めるような言い方を心掛ければいい。

それはダメだ、と。

これができれば、少なくともヘラヘラ系マネージャーとなる(呼ばれる)ことはなくなる。

何も本当に「𠮟ら」なくていいのだ。

叱るスキルよりも信頼関係

もちろん、上記のような書き方だと「嫌味」を言っているように見えるかもしれない。

「窘め」「うるさいおやじの小言」の境界線は難しくて、特に若手を叱る場合には、この両者を厳密に線引きすることはできないと僕は思っている。

というのも、そこをどれだけ気を付けたとしても、結局のところは受け手がどう感じるかという問題に帰着するからである。

もっと言えば、それは叱るという行為そのものがどのように行われたかよりも、そもそものマネージャーとの信頼関係がどの程度であるかの方が重要である気さえする。

多くのマネージャーは、「叱るスキル」のようなものが世の中には存在するかのように思っているようである(冒頭の後輩マネージャーもきっとその1人だ)が、そんなものは(ないとは言えないけれど)そこまで重要ではない。

マネージャーが「ダメなものはダメ」と言う人物であることマネージャーがダメと言ったら本当にダメであることを、部下がきちんと理解していることが重要なのである。

当たり前の話ではあるが…

そういう意味では、「どのように叱るのが良いのか?」という冒頭の問いの立て方はやや的外れとも言えなくはない。

身も蓋もない言い方をするならば、「どのように叱ったって良い(そこに信頼関係があるならば)」ということになるからだ。

そして話は、ではどうやったらそのような信頼関係が築けるかという方向に進んでいく。

でも、実際にはその話はループ構造になっているとも言える。

信頼関係を築く為には、マネージャーがダメなものはダメと言う人であることを部下が認識していることが大事であり、そのようにダメと言う際に感情的にならず事実や行為に対してダメだという人であることが理解されていることが必要となる。

となると、話はそんなに難しくはなくて、マネージャーがきちんと仕事をする、というところに戻ってくることになる。

まあ当たり前と言えば当たり前の話だ。

面白くもなんともない。

でも、小手先のテクニックを身に付けるよりもずっと有用だと僕は思っている。

そして、それは多少のミスなんて帳消しになるくらいのものであるとも思っている。

叱り方を間違えたとて、仮に感情的になってしまったとて、マネージャーがきちんと仕事をする人であることが部下に認識されているのであれば、そんなものは誤差のようなものになってしまう。

もしかしたら、そのような感情が出た(出てしまった)場面が好意的に捉えられる場合すらもある。

ヘラヘラ系マネージャーにはこのような経験は永遠にできないだろう。

信頼はされるだけではなく、するものでもある

部下は上司をよく見ている。

ヘラヘラ系マネージャーは自分では自分のことを部下に好かれていると思っているようだけれど、そんなことはない。

部下はそのような表面的なものはすぐに見破ってしまうから。

でも、本当に正面から仕事に向き合っている人に対しては、彼(彼女)らはきちんと応えてくれる(時間がかかることはあるかもしれないが)。

信頼はされるだけではなく、するものでもある。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

ダメなものをダメと言えること。

これは現代日本では結構難しくなってしまっているような気がしています。

皆見て見ぬふり。

下手に関わると火の粉が自分に降りかかってくるから。

まあ気持ちはわからないでもありません(コンプラ厨みたいな人も多いですし)。

でも、それではやっぱり劣化するだけなのでは?

というか、劣化してもいいのですが、だとしたらその劣化した環境に文句を言うのはなしですよ?

僕はそう思ってしまいます。

共同体の維持は、「誰か」がやってくれるわけではありません。

皆で主体的に関わることでしか、環境を維持することはできません。

皆で叱って(自治をして)いきましょう。