バッファー付きマネジメント

UnsplashBrett Jordanが撮影した写真

神経症的なマネジメント

マネジメントはきっちり行うべきか否か。

ここに2つの宗派の対立があるような気がしている。

片方は明確なルールを作り、それを必ず履行させるべきだという派閥。

もう片方はルールは作りながらも、柔軟な運用を行うべきだという派閥。

僕は後者に属している。

でも、別に前者の言っていることが間違っているとは思っていない。

「ルールを明確に作り、履行させるべきだ」という方向性はむしろ賛成ですらある。

ただ、昨今はこの運用方法が厳格過ぎるのではないか、とは思っている。

もう少し正確に言うなら、「厳格ならばまだいいのだけれど、神経症的になっているのでしんどい」となるのかもしれない。

ルールから少しでも逸脱すると、ヒステリックになってしまう人たち。

そして、それが絶対善だと信じて譲らない人たち。

こういう人がマネージャーになっているような気がしている。

テストで100点を取ることに長けた人によるマネジメント。

今日はそのマネジメントに「バッファーを付けてみてもいいのでは?」という話である。

それでは始めていこう。

想定外とその対策としてのルールメイク

予想外のことに対して必要以上にパニックになってしまう人たち。

しっくりくる表現がなかなか見つからないのだけれど、このような人たちがマネジメント層に増えてきた印象が僕にはある。

そしてこの書きぶりからわかるように、それに対して僕はネガティブな印象を持っている。

マネジメントという仕事は予想外のことが起こる。

頻発、とまではいかなくても、それなりの頻度では起こる。

それがデフォルトである。

でも、このような不測の事態に対し、先回りしてルールで蓋をしようとする人たちがいる。

まあ気持ちはわからなくはない。

ただ、不可能であるとも思うのだ(だから予想外なわけだし)。

しかしながら、この種の人はそのような想定外の事態が起きることが想像できないようであるし、許せないように見える。

結果、感情のコントロールが効かなり、ヒステリックに暴走を始める。

それが落ち着くと、更に細かいルールを作り、従前のルールを強化し、万全の体制を作ろうとする(でも、またすぐに違う想定外の事態が起こる→以下繰り返し)。

僕はこのような場面をここの所よく見るようになった。

ルールを作ることは悪くないが…

繰り返すが、気持ちはわからなくはないのだ。

ただ、そもそもの運用方法というか方向性が間違っているのではないか、とは思ってしまう。

ルールを作ること自体はおかしなことではない。

でも、そこにバッファーを持たせなければ、現実に対応することは不可能であると思うのである。

60点~120点の間のマネジメント

これはある種「60点のマネジメントを許容する」という態度にも繋がる。

さて、あなたは60点のマネジメントを許せるだろうか?

許せない?

それならバッファー付きのマネジメントは難しい。

僕が考えるマネジメントは、必ずしも100点(もしくはその近傍)を取る(取ろうとする)ものではない。

イメージとしては、60点~120点くらいの幅を持ったものである。

及第点が取れれば、とりあえずOK。

でも、アップサイドも100点以上になり得る。

それが僕が考えるバッファー付きマネジメントである。

マネージャーが不測の事態に対応できれば、部下は自発的に動くようになる

ここにはイレギュラーな事態に対応する(できる)マネージャーが必要になる。

ルールから外れた事態が起こっても、特に動揺することもなく、淡々と対応できること。

それが部下に能動性を付与し、自律性をもたらす。

ここは結構重要なことを言っているので繰り返す(テストにもきっと出る)。

部下を自律的にしたいなら、マネージャーが不測の事態に対応できなければならない。

言い換えると、マネージャーが不測の事態に対応できると部下が信頼していると、部下は自律的に動くようになる(結果、プラスにもマイナスにも想定外の事態を引き起こしてくる)。

下振れを許容しなければ、上振れもない

これはボラティリティの概念にも近い。

資産運用におけるリスクとは、危険という意味ではなく、不確実性(値動きの大きさ)を指す。

ローリスク・ローリターン。

ハイリスク・ハイリターン。

これが投資における原則である。

でも、マネジメントの恐ろしい所は、リスクを抑えたと思っていても、予想外の事態が生じてしまう可能性がそれなりに大きいということである(というか、これは投資でも同様だ)。

今回の話になぞらえるなら、100点を何が何でも取ろうとするマネジメントは、実際には100点が取れず、下手をすれば、元本が割れる可能性だってある、と言えるかもしれない(これは巷に溢れるローリスク・ハイリターンを謳う詐欺商品のようなものと言ったら言い過ぎだろうか)。

それなら、リスクを予め想定しておき、その範囲(標準偏差)の中に納まればOKくらいのイメージを持っておく方が、有用なのではないかと僕は思っている。

そしてリスクを許容するということは、リターンを得る可能性を手にする、ということでもある。

部下が自律的に動き、望外のリターンを得て帰ってくる。

そのような可能性が内在するマネジメントを、僕はバッファー付きマネジメントと呼びたいと思っている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

日本は失敗を(極端に)恐れる社会である。

このような印象を皆さん持っているのではないでしょうか。

僕も同じです。

でも、きっと過去は違ったはずです。

ソニーやホンダなどのように、日本にはチャレンジ精神を持ち、かつ世界的にも通用する会社がたくさん生まれました。

そして、そこで働いている人達の能力がこの数十年の間に急速に低下するということは通常考えにくい。

となると、「その運用方法が上手くいっていないのではないか?」という疑問が湧いてきます。

僕が考える現代日本社会の問題は運用方法が上手くいっていないこと(マネジメント不全)です。

リスクを許容し、リターンを狙っていきましょう。