マネジメント<人事異動
人事異動でしか解決できない種類の問題がある
今日は身も蓋もない話を。
タイトルの通り、マネジメントよりも人事異動の方が効果がある(人事異動でしか解決できない種類の問題がある)ということを書いていこうと思う。
これはある種の自己否定である。
といっても、ネガティブな話とは限らない。
マネジメントにおいては「限界」があって、それ以上のことはどんなにスーパーなマネージャーであっても解決不能であるという、ある種の安心感を与えてくれるものでもあるからだ。
もしあなたがマネジメントにおいて悩んでいるとするなら、それは自分の能力不足(だけ)のせいではなく、そもそもマネジメントによって解決不能な問題である可能性があることを知っておくこと。
それだけでだいぶ気分が楽になるはずだ。
今日はそんなことを書いていく。
人間は改善する生き物?
「人間は改善するものだ」
「だから上司は粘り強く指導を続けるべきだ」
会社に入ってから、それもマネージャーになってから、僕はこのような考え方が一般的であるのだなと感じることが多い。
確かに、言わんとしていることはわからなくはない。
でも、限界もあるのではないか?
というか、そもそも改善なんてしないのではないか?
僕はそのような考え方を持っている。
楽観論者と悲観論者
これはマネジメントにおける方向性を左右する。
多くのマネージャー達は、このような考え方に基づいて、マネジメントを行っている(ように見える)。
その体力(と気力)の大半を、人を変えることに費やしているように見える。
数々の部下教育、同僚や上司との議論、意見具申などなど。
もちろん、それら全てが無駄だとは流石の僕も思わない。
でも、それが叶うのはむしろ例外事項なのではないか、と僕は思ってしまう。
表面的に変わったように見せても、人間の心性までは変わらない。
心性が変わらなければ、行動に魂は宿らない。
魂の宿らない行動は、そこまで強い波及力を持たない。
だったら、人間を変えようとするのではなく、その心性をデフォルトとしてどのように使ったら効率的だろうかと考える方が有用なのではないか?
僕はそう思うのである。
サイコパスとの高いエンカウント率
と言っても、別にこれを万人に押し付けようという気持ちはない。
「僕は」そうする(している)というだけの話である。
ただ、ご理解というか共感頂けるのではないかと思うのはここからの話で、それは「職場には本当に変な人がいる」ということである。
それは時に部下であったり、同僚であったり、上司であったりする。
様々な手段を駆使しても、どうにもならないような人。
それは「相性」というような言葉で片付けられるような生易しいものではない。
サイコパスというと言葉が強すぎるかもしれないけれど、日常生活においては絶対に関わり合いたくない種類の人。
それが職場という(ある種特殊な)環境においては、結構な確率で鉢合わせするのである。
このような人に対してどのようなアプローチを取るか?
逃げるが勝ち
以前の僕は「逃げる一択である」、というような趣旨のことを書いた。
そして「人事異動が訪れるのを待て」と。
それは今も変わらない。
というか、確信に変わりつつある。
マネジメントで奮闘してもどうにもならないことはある。
もちろん、最善の努力はすべきだ。
でも、それ以上のことはそれ以上のことである。
それをしっかりと受け止め、というか上手に受け止め、自分の力不足を嘆くのではなく、ある種の責任転嫁をしてしまい、他の部分に体力を注ぐようにすること。
それがマネジメントを長く続けるコツである。
ダメなものはダメだ
でも、このような人に対しても、多くのマネージャー達は「改善しよう」というアプローチを取っているように僕には思える。
そして、その上司も、もしかしたら会社全体も、それを「良し」と考えているように僕には思える。
もっと言えば、それが叶わないのは、マネージャーの力不足なのではないか、と考えている場合だってあるくらいだ。
ただ、9年ほどマネージャーをやってきた僕が思うのは、そんなことはない、ということである。
どうやっても、どんなに手を尽くしても、どうにもならない人はいる。
それは部下だけでなく、同僚、上司、その中にだっている。
そのような人に対して、マネジメントによって改善しよう(解決しよう)という努力は認めるけれど、その努力には限度があって、それ以上のことは人事異動でしか解決できない、僕はそう思うのである。
情と非情(本当に非情なのはどっちなのか?)
もっと言えば、マネージャーにある程度の人事権があるなら、マネジメントの裁量は広がる、ということにもなるのかもしれない。
もちろん、乱用はいけない。
ただ、あまりにも硬直的過ぎるのもどうかと思うのだ。
そして、人事異動によってある種簡単に状況を良化できる可能性があるなら、その手を使うことを躊躇うべきではないのではないかと僕は思ってしまう。
表面的な「非情」という非難を超えて、それによって苦しんでいる多くの人を救うために人事権を行使すること。
それは上に立つ人間にとって、重要な資質だと僕は思うのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
僕は自分がまともではないという自覚があります。
でも、だからこそ、まともでありたいと思いますし、そのような方向に進みたいと思っています。
ただ、叶わない。
残念ながら、叶わない。
そのような自分。
向き合いたくない現実。
でも同時に、「その葛藤の中にこそ、成熟があるのではないか?」とも思います(慰めかもしれませんが)。
マネージャーが成熟することで解決できることはたくさんあります。
ただ成熟しても解決できないこともたくさんあります。
そんな時に自分を責め過ぎないこと。
程よく責任転嫁してしまうこと。
それがマネジメントという仕事を長く続けるコツです。
時に不誠実に仕事をしていきましょう。