やるのは「人」

UnsplashCory Schadtが撮影した写真

「大義」の独り歩きと人々の分断

今日は感覚的(概念的)な話を。

ビジョンだとかパーパスだとか、そういう横文字が溢れてきているせいで、人が蔑ろにされているような気がしている。

もちろん、そのような「大義」は大事だ。

「大義」によって人を動かしていく、といった要素や側面が不要だとは言い切れない。

ただ、である。

何だか、そのような言葉が宙に浮き、独り歩きしているような印象を覚えるのである。

結果、そのような言葉に人々は冷め、自分とは関係ないことであると切り離し、淡々と仕事をするようになる。

本音と建前を分けて、それぞれの世界を接合しようとしなくなる。

僕はそれでは本末転倒なのではないか、と思ってしまう。

大事なのは、人を動かすことだ。

なぜなら、結局やるのは「人」だからである。

意味がわからないかもしれないけれど、今日はそんな話をしていこうと思う。

人がどのように動くか、が大事

行き着く先は、「人がどのように動くか」。

そんなことを最近は考えている。

その為に、様々な戦略があったり、ビジョンの提示があったり、対人スキルの活用があったりする。

それらはあくまでも人を動かす為でなければならない

これが主客転倒してはいけない。

そのように思うのだ。

多くの人はカッコいい言葉に関心がない

というのも、どうにもカッコいい言葉や、それっぽい横文字があれば、人はそれに共感し、前向きに働くだろう、と(僕からすれば安易に)考えているように思われるからである。

ただ、9年近くマネージャーをやってきた僕が思うのは、現場の人間はそんなものに何の関心もない、ということである。

もっと言えば、邪魔くさいものだ、とすら思っている。

「なにそれおいしいの?」

それが僕が普段接しているメンバー達の生の感想だろう。

上手く伝わらないのは、伝え方が悪いから?

もちろん、彼(彼女)らも会社員であるので、それを露骨に表明することはそんなに多くない。

面従腹背というか、とりあえず厳かな顔だけしておいて、中身に興味はなく、別枠で管理するようになるだけである。

これを本社の人達は「けしからん!」「ビジョンの浸透がなっていない!」と思っていたりする。

まあ確かに言いたいことはわからないではない。

でも、その度に思うのは、効果をもたらさない施策への評価は相互的に行われなければならないのではないか、ということである。

受け入れられないのは、受け入れない側がおかしい?

これは僕に、(ちょっと前の)日本の家電業界を思い起させる。

「これだけ良い機能を付けたんだから売れるだろう!」

「顧客も喜ぶだろう!」

というような(ある種独善的な)考え方。

でも、その機能は全然望まれてもいないし、使われてもいない。

そんな時に、「顧客がおかしい!」と考えるのだろうか(実際にはそう考えていたのだろう)。

その結果、ユーザーフレンドリーである(ユーザーインターフェースが良い)外国企業に大きく出し抜かれることになった。

このような思考。

「良いものだから採用されるはずだ」という(僕からすれば)驕り

でも、全く採用されない現実と、そこにある大きな乖離。

相手へ無理解と、責任転嫁

僕にはいつもよくわからない。

「成果を上げるのは誰なのか」という単純な問い

ビジョンやパーパスやその類のもの(もしかしたらここには取ってつけたような「戦略」も入るかもしれない)。

それを策定するのは、成果を上げる為だろう?

そこには「成果を上げるのは誰なのか」という単純(でも本質的)な問いが抜け落ちているような気がする。

失敗を認めようぜ?

「いや、人だということはわかっていますよ。それを動かすために作ってるんでしょ」

そのような返答があるかもしれない。

では、それで現実に人が動かなかったとしたら、その失敗を認めろよ?

それを現場のせいにするなよ?

僕はそう思ってしまうのだ。

そこには必ず人がいる

僕はマネジメントという仕事をやっていて、トップダウンとボトムアップのバランスが非常に大事である、ということを痛感する。

メンバーの思考に寄り添い過ぎてもいけないし、かと言って理想論だけを押し付け過ぎてもいけない。

その双方の間の中で、一歩一歩歩み寄っていくというか、それぞれの折り合いを付けながら前進(もしくは後退)させていくところに、マネジメントの難しさがあり、面白さがある。

そしてそこには必ず人が存在しているのだ。

空論の中で、お花畑の中で、マネジメントが起動している訳ではないのである。

そこには感情があり、機嫌があり、信頼がある。

そのようなある種の動物性。

それをどうやって切り開いていくか、それがマネジメントという仕事なのではないか?

コンサルファームが儲かるだけ

もちろん、大義を掲げ、ドラクロワの有名な絵画のように、「Follow me!」と叫ぶのも一つの方法なのかもしれない。

でも、勇ましくそう叫んだあと、振り返って誰もついて来ていない時、それは部下が悪い、と思う(責任を転嫁する)のだろうか。

僕から見える、大義や戦略の殆どは、そのような種類のものに思える。

アタマの良い人たちが作る、アタマの良い数々の言葉たち。

それが全く腹落ちせず、誰の心にも刺さらず、ただ空中に浮かんでいる状況。

それでコンサルファームは儲かるのかもしれない。

でも、それでは成果は上がらない

僕はそう思うのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

抽象化を進めていくと、人が抜け落ちていく。

僕はそんなことを思う時があります。

大事なのは人。

そこにいる人をどうやって動かすか。

それがマネジメントの本来の意味だと思います。

でも、これがいつの間にか主客転倒(手段が目的化)し、お題目を唱えること(守ること)が大事とされてしまう。

それも物凄い善意(かつガチ)で為されてしまう。

僕にはそれがいつも不思議です。

小難しいことを言っても、やるのは人です。

人を動かしていきましょう。