(身も蓋もないけれど)結局は質

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「マネジメントにおいては戦略が大事」

このブログではそう言い続けている。

でも、最近になって、その限界についても痛感し始めている。

というのも、どんなに有効な戦略を立てたとて、それを実行するのは個人であり、その質がある程度担保されていないと、良い戦略もそれなりのものに留まってしまうからである。

となると、では個人の質をどのように上げたらよいか、という方向に議論が向かうのかもしれないが、質の向上(向上だと感じられるくらいの向上)は不可能であると僕は考えている。(だからこそ質が問題視されるのだろうし)。

「ある程度の年齢、ある程度のキャリアの人は、それ以上質が上がることはない」

厳しい言い方ではあるが、僕はそのように考えている。

となると、また議論が元のところに戻ってくる。

「良い戦略を立て、出来得る限りのことをするしかない」

まあ妥当というか、穏当な結論だ。

でも、面白くはない。

今日はそんな話である。

マネジメントの敗北

「悪戦苦闘していた状況が、人事異動によって大きく変わり、今までの苦労は何だったのかと思う」

これが僕が最近直面した事態である。

あれだけ色々なことを考え、策を打ち、メンタル面にも配慮を行い、それでも改善しなかった事態が、人事異動によってあっという間に良化してしまうこと。

これはある種マネジメントの敗北と言ってもいいのかもしれない。

もちろん、それまでの悪戦苦闘が無駄だったとは思わない。

それがなければ、もっと悪い事態になっていたはずだから。

でも、だからと言って、そのような努力が何らかのポジティブな結果をもたらした訳でもない。

防戦一方。

前線を押し返すほどの力はなく、後退の速度を少し緩めただけ。

そのような事態。

「人が変わると、こんなにも状況が変わるものなのか」

こう書くと当たり前のように響くけれど、僕は実感としてそのように強く感じるのだ。

日本社会における諦め感

日本社会の閉塞感。

そこにはもちろん色々な要因があるとは思うけれど、僕が思うのは、正直者が馬鹿を見るというか、頑張っても頑張らなくても一緒というか、そのような事態から引き起こされる諦め(呆れ)が大きな要素となっている、ということである。

それも重大なインシデントがあってそう思うのではなく、日々の些細なことが積み重なって、だんだんと意欲が削がれていく、そんな感じである。

それを何とかしない限り、このような空気感は継続するような気がしている。

成果主義=差別主義?

僕は成果主義の導入、もっと言えば、その進展をずっと主張している。

ただ、こう書くと、差別主義者であるとか、格差容認論者であるとか、そのような誹りを受けることがある。

確かに新自由主義的な思想には問題が多分にあると僕も思う。

でも、だからと言って、このような状態が続くことがいいのだろうか?

代案を出せよ、とまでは思わないけれど、せめて何らかの方向性のようなものは示して欲しいとは思う。

アメリカ社会も(かなり)問題。でも…

僕だって格差が広がることがいいとは思わないし、成果を出せないものが野垂死ねばいいなんて思わない(当然だ)。

ただ、プラス方向の傾斜(マイナス方向は現状維持として)はもう少し大きくしたら良いのではないか、と言っているだけである。

それはその人たちの意欲を削がない為でもあるし、そのような人たちが恩恵を受けることで、社会にイノベーションが起き、その成果物を社会全体として享受できる可能性が上がるからである(さらに言えば、ノブレス・オブリージュ的なものも必要だろう)。

これは再分配というほど直接的なものでなくても構わない。

何らかの発明、新しい製品、そのようなものを作る人を褒め称えることで、実際に我々もそのような恩恵に与れるようになる、それだけでも大きな違いだと僕は思う。

アメリカのような格差社会が良いとはとても思えないけれど、イノベーションが沸き起こり続ける(まるでブラジルからサッカーのスター選手が続々と誕生するように)状態は、そしてそのイノベーションによって社会が更に発展を続けていく様子は、やはり現代日本には考えられないし、単純に羨ましいと思うのだ。

そして同時に、そのような羨望を抱えているだけではなく、かつての日本にもそのような状況があったのだから、それをまた再現すればいいのでは、とも思っている。

懐古主義を超えて

ホンダやソニーのような会社。

世界がメイド・イン・ジャパンに(程度の差こそあれ)憧れを抱いていた時代。

三丁目の夕日的な懐古主義ではなく、面白いことをやる人を素直に面白いねと思えるような社会を僕は願っている。

その為には、現在のようなマネジメントを変えなければならないし、個人が質を上げることに躊躇いを感じないようなチームを作らなければならない。

僕はそう思うのである。

そして、現時点でできるのは、そのような人を潰さないできるだけ伸ばせるような環境を作ること、である。

白けたムードを吹き飛ばしたい

社会も会社も人事施策も変わらない。

その度に白けウンザリした気持ちが押し寄せる。

でも、それに抗って、何とか前向きに働こうと人たちが意欲を削がれないような環境を作っていきたいし、自分のチームくらいならそれが出来るとも思うのだ。

質の向上を。

それを褒め称えるチームを。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

トリクルダウンなんて嘘。

僕もそう思います。

「でも、現状もどうなの?」とも思っています。

質を高めようとすること。

その意欲を削がないようにすること。

その為のインセンティブとは何か?

カネだけではないのは確かでは?

そんなことを思いながら、僕はこの何にもならないブログを書き続けています。

仲間に加わって頂けたら幸いです。