大きな話と小さな話

UnsplashDaniele Levis Pelusiが撮影した写真

大きな話に偏りがちでは?

頭の良い人は大きな話を持ち出しがち。

僕にはそう思える時がある。

もちろん、大きな話が不要だとは僕だって思わない。

ただ、あまりにもそちら側にバランスが偏っていると、流石に如何なものか、と思ってしまうのだ。

ここで言う大きな話というのは、ミッション・ビジョン・バリューみたいな範疇のもの(パーパスもこのカテゴリーに含まれるだろう)だ。

どこぞのコンサルファームが言い出したのか(もしくはドラッカーか?)わからないけれど、このようなフレームワークを使って、現実を分かり易いものにしようという試みに、僕は違和感を覚える。

繰り返すが、それが不要だとは思わない。

でも、あまりにもさ、と思える時がある。

そして、その度に、ライフ・ゴーズ・オンという言葉が僕の頭には浮かぶのだ。

よくわからないかもしれないけれど、今日はそんな話である。

前の期のことはもう忘れている

マネージャーを何年もやっていると、経営計画書みたいなものの素案を書く仕事が何年かに1度やってくる。

3か年計画であるとか、5か年計画であるとか、そのような周期でこのような作業が繰り返される。

そしてその度に、「あれ、前回のタームの話ってどうなったんだっけな?」と思うことになる。

僕がいつも不思議なのは(というか気味が悪いのは)、直近までやっていた〇か年計画というものの検証を十分にせずに、次の〇か年計画にみんな夢中になっているということである。

あれ、記憶喪失?

僕はいつもそう感じる。

すぐに大きくは変わらない

継続性。

会社経営も、もしかしたら人生においても、継続性は大事なことである。

もちろん、改革的な変化が必要なこともあるだろう。

ただ、そうは言っても、昨日のことを今日すぐに大きく変えることはできない。

漸進的に、ゆっくりと徐々に変わっていくものだ。

人間の行動には慣性の法則があって、どんなに「改革だ!」「変革だ!」と叫んだところで、すぐに行動が変わることはない。

それは9年もマネージャーをやって、様々な部下と付き合ってきて、身に染みてわかっていることだ。

そして、もし本当に変えたいと思うなら、彼(彼女)らの腹落ちが不可欠であることも。

翻訳がマネージャーの仕事であることは確かだろう。でも…

大きな話が何年か毎に繰り返される。

もちろん、大意としては納得的なものばかりだ。

ただ、それを現実的なものに置き換える時、そこには違和感が生じる。

そして、その乖離と断絶に眩暈を覚える。

僕たちマネージャーの仕事は、そのような大きな話を小さな話に翻訳することだと思う時がある。

ミッションやビジョンやバリューという話を、その極限まで抽象化された言葉を、今日からの仕事においてどのように実践すればよいかを分かり易く部下に説明すること。

それは確かにマネージャーの仕事だろう。

でも、その翻訳者である僕自身が、その大きな話と小さな話(現実)の乖離に度肝を抜かれていて、大きすぎる渓谷を超える術を持たないと感じてしまっているというこの現実。

もちろん、「それではマネージャー失格だ」という誹りはあるだろう。

ただ、真剣に考えれば考えるほど、具象化しようとすればするほど、その中身のなさに、その空疎さに、虚しくなってしまうのだ。

理想からのアプローチと現実からのアプローチ

理想と現実。

どちらからのアプローチも大事なことである。

ただ、そのバランスには要注意

それが僕が思うことである。

そして、近年の話で言うなら、理想からのアプローチが強すぎる、ということも。

いや、たぶんこのブログの初期の記事もそうだったはずだ。

となると、何も変わっていないわけか。

二兎を追う者は一兎をも得ず

理想のサッカーと勝てるサッカー。

どちらも追及すべきだ、というのはその通りである。

でも、現実はそんなに甘くはない。

となると、どちらを選ぶべきなのか?

僕は一貫して勝てるサッカーを志向している。

もちろん、それは本意ではない。

本当なら、理想のサッカーを行いたい。

そのようなチームを率いたい。

でも、それは不可能だ。

現実にいる部下は変わらないから。

理想のサッカーを実現できるような質が担保された選手はいないから。

たくさんの大きな話は、このような状況の中でも、バイエルンやマンチェスターシティみたいなサッカーをしろ、と言っているように僕には聞こえる。

でも、そこまでの経路は何一つ示されない。

ただみんな大真面目だ。

大真面目にそれができると思っているかのようだ。

僕にはよくわからない。

明日からシティみたいなサッカー?

冗談だろう?

ミッションも大事だけれど、ライフも大事

生活は続く。

仕事は続く。

僕にできることは、小さな話である。

明日も同じ職場に行き、同じメンバーと、同じような仕事をする。

それが僕の生活である。

もちろん、日々向上しようとすることは欠かせない。

でも、そこでの向上なんてものは誤差みたいなもので、遠くから見れば違いなどわからないだろう。

ただ、僕はそこに意味や喜びを感じるのだ。

そして、結局のところ、実際に働くのはこのような目の前にいる人たちなのである。

大きな話はそのような当たり前の現実を欠いているように僕には思える。

彼(彼女)らの累積が会社なのでは?

ミッションやビジョンやバリューにはそこが抜け落ちているのでは?

そんなことを思いながら、僕は今日も仕事に行く。

ライフ・ゴーズ・オン。

ミッションも大事だけれど、ライフも大事だ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

マクロとミクロ。

マクロは頭良さそうで、ミクロは頭悪そう。

そのように捉えられていると感じられる時が僕にはあります。

でも果たして本当にそうなのでしょうか?

結局のところ働くのはミクロの人です。

その累積がマクロとなります。

部下のモチベーションを上げること。

それは頭の悪い行為なのでしょうか?

僕にはよくわかりません。

ただ、長年マネージャーをやってきて思うのは、マクロの話(だけ)をする人は大抵成果を上げられていないということです。

大事なのは両者のバランスです。

ミクロも大事にしていきましょう。