マネジメントと万能性

UnsplashAlice Dietrichが撮影した写真

オールラウンダーへの需要の高まり

スペシャリストとゼネラリスト。

前者が優勢で後者が劣勢。

それが現代社会である。

ただ、本当にそうなのだろうか、と僕は思っている。

凄く大雑把な言い方をすると、それも嫌らしい言い方をすると、スペシャリストが尊ばれた結果、多くのスペシャルじゃない「自称スペシャリスト」が量産され、相対的にゼネラリストの必要性が増すことになった、僕はそんな風に思うのである。

もちろん、ここで言うゼネラリストは、旧来のイメージである「何をやっても中途半端」というようなものではない。

「どの項目においてもそれなりに使える」という水準を担保する必要はある。

そういう意味では、以前に書いた「オールラウンダー」的な概念が重要になっていると言えなくもない。

あらゆる分野において横断的に能力を発揮すること。

個々のスペシャリスト達を分断させず、統合させること。

それによって、その場にイノベーションが生じること。

それが現在のマネージャーに求められていることなのではないか?

そんなことを考えたので、今日はそれを文章化していこうと思う。

それでは始めていこう。

象牙の塔

専門バカ。

言葉は悪いけれど、そのような人が増えてきた印象を僕は思っている。

そしてこのような人たちは、残念ながらその(自称)専門分野においても、大した能力を持っていない。

僕は日々仕事をしていて、このような感想を持っている。

自分のことを過大評価するつもりはないけれど(結果的にはしてしまっているが)、何なら僕の方が知っていること、理解していることが結構あったりもするから、本当に嫌になってくる。

更に悪いことに、この種の人達は他分野のことを知らないことを恥ずかしいことだとは思わないようでもある。

もちろん、僕だってそこにハイグレードな専門性を求めたい訳ではない。

ただ、せめて話が通じるレベルというか、共通言語を使えるくらいの基礎の部分は知っておくべきだと思うし、もし知らないのであれば、それはやっぱり恥ずべきだと思うのである。

しかしながら、現実はそうはならない。

それぞれの自称スペシャリスト達が、自称専門分野に閉じこもったまま、他分野の自称スペシャリスト達と攻撃(排撃?)し合っている。

そして、更に内にこもっていく。

このような傾向(フィルターバブル・エコーチェンバー的な概念もここには含まれる)。

それに僕はウンザリしている。

永遠の内輪受け

ここには好奇心の欠如と、有効な問いの欠如がある、と僕は思っている。

好奇心の欠如というのは、その言葉の通りの意味であって、自分の領域を超えたものに対して興味関心を示さない、オープンではなくクローズドな世界観が所与のものとされている(そしてそれに自覚的ではない)、ということである。

また、有効な問いの欠如というのは、他分野の専門家に対して議論を加速させるような(ドライブさせていくような)、発散型の質問や疑問がない、ということである(もちろんこれは好奇心の欠如から生じるものである)。

結果、物事はステイブル(stable)となる。

まあ確かにその中にいれば、安穏としていられるのだろう。

そして永遠の内輪受けの中で、それを「イノベーションだ!」と楽しんでいられるのだろう。

ただ専門家ではない僕はどうにもいたたまれない気持ちになってしまうのだ。

分断と架橋

僕は最近「架橋」ということを考えている。

これらの自称スペシャリスト達の間に橋を架けること。

それがマネージャーの役割なのではないか?

そんなことを思っている。

兎角、現代社会というのは「分断」しがちであるから。

何らかの主義主張、その領域を狭くすればするほど(研ぎ澄ませれば澄ませるほど)、分断は加速する。

トリヴィアルな違いさえも争点になってしまう。

でも、そこに何らかの意味というか、付加価値は存在するのだろうか?

ただの自己満足というか、定点に留まっただけの感想になってしまうのではないか?

結果、社会は停滞してしまうのではないか?

そんなことを思ってしまう。

答えよりも問いを

これを切り崩すには、有効な問いが必要なのだ。

答えばかりを発する時代の中で、それもそれをどれだけデカい声で言えるか競争が所与とされている時代の中で、「問い」の有効性がより増しているように僕には思える。

そして、有効な問いをする為には、他者に対する好奇心が絶対に不可欠である。

どんなに納得できない論理構造であったとしても、そこに至るまでにどのような理路を辿ったのかと思いを巡らすこと。

そこに興味を示すこと。

それが大事なのではないか。

問う為の聴く力

ただ、その為には「聴か」なければならないのも事実である。

そうなのだ。

僕たちマネージャーに求められているのは、有効な問いを発する為の好奇心それを満たす為の聴く力なのである。

それが万能性に繋がる。

何も博識である必要はない(もちろん知識があるに越したことはない)。

そこに好奇心があれば、それによって有効な問いを発することができれば、両者の間に橋が架かるのだ。

議論がドライブしていくのだ。

結果、そこにイノベーションが生じる。

それを成果と言うのでは?

僕はそう思うのである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

分断と架橋。

最近の僕のテーマがこれです。

そして橋を架ける為には、どちらの側にも基礎(土台・足場)がなければならない(空中には橋を架けることができないから)。

そんなことを考えています。

知らないことは恥ずかしいことです。

でも、知らないこと自体は悪いことではありません。

そこに好奇心や志向性があれば。

万能性を高める為には好奇心が不可欠です。

横断的な力を身に付けていきましょう。