思考の枠を外す

UnsplashJason Strullが撮影した写真

一番初めに見つかる答えは最適解なのか?

マネジメントという仕事を何年もやっていると、最適解を探す能力が格段に上がり、考えなくても仕事ができるようになってくる。

ただ、これはこれでどうなのか、と最近思っている。

この場合はこう、あの場合はああ、というような、ある程度答えが見えた中での反射的な日々。

確かに楽ではある。

でも、刺激はないし、本当にそれが最適なのかという疑問もある。

そんな日々の中で、僕が最近実践しているのが、今回のタイトルでもある「思考の枠を外す」ということである。

もちろん、これはそんなに簡単にできるものではない。

ただ、実際にはできなくても、そのような方向性に進もうと考えるだけでも、意味があることだと僕は思っている(僕がいつも言っている志向性の一種だ。と言っても、思考と志向をかけている訳ではない)。

今日はそんな話である。

安牌な答えがデフォルトになっていることへの危機感

マネジメントは確率を上げる作業だ。

僕はそのようにマネジメントというものを捉えている。

そのままの状態で起きるであろう成功確率(生起確率)を、マネジメントという作業を施すことによって、数%でも上昇させること。

それが我々の仕事である。

でも、このような作業を日々続けていると、「安牌」の方法を取りがちになる(なっている)ことに気づく。

もしかしたら大化けするかもしれないことをする(ホームランを狙う)のではなく、ヒットが出ればいいかと考えているような状態。

それもそれがデフォルトになっていて、意識すらされていない状態。

ここに僕は危機感を持っている。

そのような「思考のクセ」をどうにか外すことができないか?

それが今回のテーマである。

手グセは必ずしも悪いものではないけれど…

これは楽器を弾く人なら「手グセ」という例えをすると理解して頂きやすいような気もしている。

無意識に手慣れたかつ心地良いフレーズにしてしまっているような状況。

そして、そのフレーズ自体が悪い訳でもないところにこの話の難しさがあるような気もしている。

無意識に考えた戦略は、それはそれで妥当であるし、成功確率もそれなりに引き上げてくれるものである。

ただ、もっと良い方法はなかったのか、というような後悔めいたものは残る。

だから、無意識に考えた戦略へ一直線に向かうのではなく、一旦回り道をしてみる、結果、無意識に考えたものが良ければそれを採用する、というようなひと手間が重要であるように思うのだ。

しかしながら、それは言うは易く行うは難しで、そんなに簡単に思考の枠を外すことはできない。

そういう意味では、ここから先の話は試論めいたものになる。

いつもと違うことをやってみる

僕がいま意識的にやっていることは、脳に刺激を与えるということである。

いや、脳に刺激を与えると書くと急にヤバそうなニオイがしてくるけれど、そんなに変な話ではないので誤解しないで頂きたい。

「同じことを考えてしまうのは、同じことをやっているから」と考え、「違うことを考えられるように、違うことをやってみよう」そのくらいカジュアルなものである。

これは日常生活においてもできることである。

例えば「駅までの道を変えてみる」とか。

いつもの「散歩コースを変えてみる」とか。

食事する場所を「新規開拓する」とか。

その程度のものである。

これを意識的に行うようにする。

もちろん、休みがあれば旅行に出るとか、外国の人と話をするようにするとか、もう少しハードルが高いものもあるけれど、日常生活においても似たようなことはできるはずであるし、僕はそれを実践している。

効果のほどは不明だ。

ただ、結果として、(若干ではあるけれど)世界が変わるような気もしている。

内的な地図を広げる

僕は基本的に、同じことを同じようにやることが好きである。

人生において、波は不要である、と考えている。

そしてルーティンが苦ではない。

でも、そのような傾向は、同時に変化を生まないというデメリットを生じさせる。

それは生活においてはあまり問題にならないけれど、仕事においてはちょっとした弊害を生じさせる。

特にクリエイティブなものというか、新しい発想を求められる場面においては顕著にそれが出てきてしまう。

一方で、そうは言っても、そんなに簡単に人間の傾向というものは変えられない。

だから、冒頭にも書いたように、実際には大して変わっていなくても、変えたいと思っている、それを実践している、ということが重要であると僕は考えている。

散歩コースを変えたとしても、僕の脳の構造は変わらないだろう。

でも、僕の中の地図、内的な地図はちょっとだけ広がる。

それはRPGで、新しい街を発見するみたいなものだ。

そして見つけたお店に翌週行ってみたりする。

当たったり、外れたりもする。

そのような繰り返し。

それが結構楽しいのである。

仕事をカラフルに

もちろん、仕事に役立つかどうかは未知数だ。

ただ、実感としては、少しだけ多面的に物事を見られるようになってきているような気がしている。

知らなかった町の裏通りを一本知るだけで、そこに行きつけのお店ができるだけで、クリエイティブになるなんてことはない。

でも、少しだけ仕事がカラフルにはなる。

変な話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

前半と後半で話のトーンがガラッと変わってしまい、何だか気の抜けたサイダーみたいな文章になってしまいました。

でも、僕が言いたかったのは、仕事を「こなさない」でやることの重要性と、そこに意識を向けることの重要性についてです。

そして、それはある種意識的にしないとできないものでもある。

ルーティン仕事は僕たちをAIに近づけていきます。

それを超える為には、ノイズが必要です。

意識的に無意識を変えていきましょう。