記憶喪失社会ニッポン

UnsplashMarkus Spiskeが撮影した写真

意図的な記憶喪失

今日の話は、以前書いた「二重思考とマネジメント」に近い性質になる。

というか、ほぼ同じ話になる。

なので、「もう読んだよ…」という方は、ここでスワイプして、何か別の有益なことに時間を使って頂ければ良いと思う。

また、「しょうがねえなあ、付き合ってやるか」という心の広い方は引き続き読んで頂けたら幸いである。

テーマは、「記憶喪失」である。

それも「意図せざる記憶喪失」、何なら「意図的な記憶喪失」についてである。

都合よく記憶を改変できる能力があるか否か。

それに恥ずかしさを覚えるか否か。

それが日本社会で上手に生きられるかどうかの分かれ道となる。

それでは始めていこう。

「お前が言うな!」を言わせない

マネジメントにおいては継続性が大事である。

もっと言えば、人間性が大事である。

そんなことをこのブログにはずっと書いてきた。

それは、積み重ねてきたマネージャーの言動や行動が、部下に影響を与える深度を変える、ということをマネージャーという仕事を続ける中で痛感してきたからである。

「お前が言うな!」を言わせないこと。

それがマネジメントにおける最重要項目であると僕は考えてきた。

そして実際にそのように行動してきた。

ただ、それがどうだ?

そんなことを歯牙にもかけない人が大半だ。

むしろ、「そんなことにまだ拘っているの?」「柔軟性が欠けているんじゃない?」とでも言うように。

自分の言動や行動に責任を持つことは有害なのか?

自分の言うことに、自分のした行動に、責任を持つことは、現代マネジメントにおいて有害ですらある?

その時々の情勢に応じて、自分の意見を上手に変え、柔軟に対応していくことが大事である?

僕にはよくわからない。

でも、それが当世流のようである。

ピボットとトラベリングとゼロステップ

「朝令暮改」は必ずしもネガティブなことではない。

その意味するところは僕にもよくわかる。

何らかのモノに固執して(固執しすぎて)、対応が遅れるのは良くないことであるから。

ただ、それはピボットである必要はあると僕は思うのだ。

対応を柔軟に変えるとしても、どちらかの足は地面に着いていないといけない。

そうじゃないとトラベリングになるから。

いや、でも、ゼロステップという概念もあるよ?

何なら、ジャパニーズステップは罷り通っているじゃない?

いやいや、ジャパニーズステップはトラベリングだろう?

バスケに疎い僕はそう思ってしまうのだ。

方向転換と記憶喪失は違う

柔軟に方向転換することと、記憶を無くすことは違う。

僕はそのように考える。

でも、多くの人はそれを同じものだと捉えているように僕には思える。

もっと言えば、記憶を無くすことを意識的にやっている訳ですらなく、ごく自然に行っているというか。

(仮)だから本気にならないのでは?

僕には躊躇いがある。

方向転換することに恥を覚える。

それはフレキシビリティという概念においては、確かに不要なことかもしれない。

「そんなことを恐れているから、対応が遅くなるんだよ」

その言説には一理あると僕も思う。

でも、それがなくなったら、記憶を都合よく変えることが所与のものとなるなら、「何でもOK!」ということにはならないのだろうか?

全てのことには(仮)というラベルが付いて、それはいつでも剝がすことが可能であるとするなら、誰がそれに本気で取り組もうとするだろうか?

そのような「軽さ」が成果が上がらない要因(の1つ)になっているのでは?

僕にはそう思えるのである。

表出て勝負しようぜ?

こういう考え方は古いのかもしれない。

典型的なおじさん思考、懐古主義、歴史的遺物、そのような類のものなのかもしれない。

しつこく、女々しい思想。

そういう捉え方もできるだろう。

じゃあ、こっちにも考えがあるぜ?

というか、そんなに言うなら成果比べしようぜ?

現代日本における最先端のビジネスモデルであるその記憶喪失マネジメントを使って、オレの成果を上回ってみろよ?

ルールは何でもいい。御託もたくさんだ。早く始めようぜ?

「いやいや、そういう考え方自体がもう古いんですよ」

「現代は成果じゃないんです。お客さまからの信頼を得られるか、従業員が心理的安全性を感じているか、サステナビリティがそこに存在するか、そういうことが大事なんですよ」

オーケー、オーケー。

ルールはそっちで決めていいから、早く始めようぜ?

それでも圧倒的に、完膚なきまでに叩きのめす自信があるから。

あとちょっとで絶滅するとしても

僕は自分の為だけに仕事をする人が苦手である。

もちろん、他者の為に仕事をしましょうというのが詭弁だとは僕も思う。

「自分は世界の中心である」

それはある意味でそうだろうと僕だって思う。

出世欲も、上昇志向も、持っていることは自然なことである。

「ただそれをさも持っていないかのように振舞うのはやめたらどうなんだい?」とは僕は思ってしまう。

それも、「昨日まで言っていたことと180度方向転換しているのであれば、それなりの申し訳なさというか、自責の念があってもいいんじゃない?(別にそれを責めないから)」と僕は思ってしまう。

記憶喪失はポジティブなことじゃないだろう?

それはただ責任感が欠如しているだけだろう?

僕はそのように思っている。

ただ、それは記憶喪失社会ニッポンでは絶滅危惧種的な考え方なのかもしれない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

上手に記憶を失くしたり、改変する能力。

それが現代日本社会では求められています。

たぶんジョブディスクリプションにもそのように規定されているのでしょう。

だったら早いとこレイオフしてくれ。

僕はそのように感じています。

ジャパニーズステップとゼロステップは別物です。

方向転換は重要だとしても、記憶喪失はバイオレーションだと僕は思います。

ルール違反が罷り通る世界を生き抜いていきましょう。