前向きなエネルギーを取り入れる仕組みを

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「どうせ」という言葉を文頭につけないで済むチームの構築

成果主義と言うと、格差という言葉が付きまとってくる。

確かに格差は望ましいものではない。

でも、適切な格差がなければ、前向きなエネルギーが阻害されてしまうのではないか?

最近僕はそんなことばかり考えている。

この議論をもう少し先に進めるなら、その結果が日本の30年以上の停滞なのではないか?

長きにわたるデフレの出口が見え始め、インフレが確実に広がりつつある状況下、少しだけかもしれないけれど、日本が変わり始めているような感覚を僕は持っている。

そこでそのまま留まるか、前に進むか。

ただ、前に進もうと思っていても、旧来からの慣習がそれを阻害してしまっては何にもならない。

「どうせ」という言葉を文頭につけないで済むチームを作る、その為の方法論。

今日はそんな話である。

自称フェアなマネージャーではあるけれど…

僕は(自分で言うのもなんだけれど)比較的フェアなマネージャーであると自認している。

「贔屓せず、皆が同条件で競うことが望ましいことである」

それが僕の9年以上に亘るマネジメントにおける基本方針であった。

それが今変わりつつある。

「適切な贔屓は必要なのではないか?」

そんな風に考えているのだ。

アンチ・同調圧力

これは格差を作り出す仕組みとも言える。

それも誰かを下げるのではなく、誰かを上げることによって格差を作り出す仕組みである。

ここには「アンチ・同調圧力(ピア・プレッシャー)」みたいな概念が含まれている。

僕たち日本人は、同調圧力に満ち満ちた社会を生きている。

そして、その同調圧力というのは、下方に強烈に働いている。

上方で同調するのではなく、下方で同調する、言い換えれば、「みんなで下がっていこう」「それが平等だ」という思想。

ここには「意識高い系を馬鹿にする風潮」「帰国子女のネイティブな発音を嘲笑する空気感」というものも含まれている。

それらを下方に引き摺り下ろすことで、僕たちは溜飲を下げ、平等という安心に浸る。

でも、それらは「ホンモノ」じゃない。

ただ安心だ。

そして、「安心を乱す奴は悪者である」と、新しい芽を潰す為、日夜監視を続けている。

結果、僕たちの社会は停滞し、貧しくなる。

それがこの30年以上に亘る活力のなさの主因だと僕は考えている。

どの世代も、他者からの視線を気にしまくっている

学校にいても、社会に出てからも、僕たちは他人の目を気にし続けている。

「出る杭は打たれる」

「だから目立たないように」

そのような意識は、僕たちの世代ももちろんだし、若い世代からも強烈に感じる。

もしかしたら、SNSというものがそれを更に強化している(監視の目を強めている)とすら思う。

僕はそれを壊したいと考えている。

自分のチームなら変えられるのでは?

もちろん、社会は変えられない。

会社の組織だって変えられない。

でも、少なくとも自分のチームであれば?

僕はそのように考えている。

「それが何になるのか?」という議論は脇に置いて、僕はそれをいま始めている。

停滞の雰囲気を変える為に

僕はチーム内に格差を生む仕組みを作った。

そこにはそれなりのハレーションがあり、それなりの面倒くささがあった。

でも、断行することにした。

だって、このままでいいとは思わないから。

もちろん、そのような格差を発生させる仕組みが上手くいくかどうかはわからない。

もしかしたら今まで築き上げてきたものが瓦解し、チームが空中分解してしまうかもしれない。

でも、それでもいいのではないか、と僕は思っている。

それくらいの覚悟がなければ、この停滞の雰囲気は変わらないから。

同化しないことは幼さなのか?

僕は正直者が馬鹿を見るチームだけは絶対に避けたい。

ただ、それは社会の構造会社の構造の中において、実現が難しいというのも事実である。

様々な人が、様々なロジックを用いて、同一化を促してくる。

僕にはそれが一種の宗教みたいに思える時がある。

旧来からの慣習、例えば「年功序列」「終身雇用」「日本人男性正社員優遇」みたいな思想。

新しいことをクサし、バカにすることが優秀さの証明だと勘違いしているたくさんのおじさん達。

そして同一化しないことを幼さだと断じる浅はかさ。

そういうものをぶっ壊してやりたいのだ。

ホンモノ至上主義

大事なのは成果だ。

そこに必要なのは実力だ。

「ホンモノ」だけを僕は認めたい。

そして、そこに向かうエネルギーを阻害したくない。

それが僕が考えていることである。

マイクロ・ゲリラ・成果主義

ラディカルかもしれない。

ある種原理主義的なのかもしれない。

そして、正面から戦っても意味がないし、ケンカするほどの価値がないとも思っている。

僕はゲリラ的に誰にも見つからないようにマイクロ成果主義を始めている。

そこにイノベーションが生まれることを願って。

小さなインキュベーション施設。

マイクロ・ラボラトリー。

名称は何でもいい。

ただ、やってみることにしたのだ。

戦闘力のみが評価基準。それで何か問題でも?

前向きなエネルギーを持つ者を馬鹿にしないチーム。

その人たちが言いたいことを言え、やりたいことをやれるチーム。

階層とか、役職とか、経験値とか、そういうものを超え、ただ実力のみで評価し合うチーム。

戦闘力のみが評価基準。

他に何かいるか?

口八丁手八丁。

とりあえず表出ようぜ?

過激な話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

マイクロ・ゲリラ・成果主義。

人知れず、最小の格差を生み出す仕組み。

僕はそれを実行し始めました。

それは停滞する日本という国への不満がありながらも、何もしないのではフェアではないと思うからです。

と言っても、我が身は可愛いので、最小のリスクテイクのみで。

同調圧力・迎合主義・その他諸々の日本的慣習。

そういうものに小さな風穴を開けることができたら、少しだけ社会は変えられるかもしれません。

引き続き読んで頂けたら(そしてできればそれぞれの地点でゲリラ的に戦って頂けたら)幸いです。