部下のガードを下げるには?

UnsplashJohann Walter Bantzが撮影した写真

マネージャーだって本音を言うのには抵抗がある

マネージャーに成り立ての頃と、9年経った現在と、何が違うのかと問われれば、部下に本音を言うことが怖くなくなった、ということが挙げられると思う。

これは自信がついたとも言えるし、諸々を諦めたとも言える。

性格上、上手に立ち振る舞うのが苦手で、でもそれは克服できなくて、悪戦苦闘を何年も続けていた。

そのような変遷を経て、どうやってもできないことはできないと割り切れるようになったことで、僕はあまり構えずに部下と話せるようになった。

そして、それは結果的に部下のガードを下げさせることに繋がった。

コミュニケーション論においてよく言われるように、「相手のガードを下げさせる為にはまず自分のガードを下げなければならない」という言説は、振り返ってみると、「確かにそうだよね」というくらい納得性のあるものだったと今では思う。

ただ、一方で、「職場で本音を言うことに抵抗がある」という話も理解できる。

「心理的安全性」の議論は、擦られ過ぎてやや食傷気味ではあるのだけれど、最近僕が考えているのは、部下はもちろんだけれど、管理職自身がそう感じられていないと実現は難しいよね、ということである。

あなたが本音を言えない職場で、部下が本音を言えるはずがない。

でも、会社の環境というのはそう簡単には変わらない。

では、どうやったら心理的安全性を確保し、部下のガードを下げさせられるのか?

今日はそんな話である。

他者の評価を気にしない

結論から言えば、「他者の評価を気にしない」ということになる。

もちろん、こう言ってはいるものの、「全捨て」はムリだと思う。

どうやったって人間という生き物は、他者からの評価を気にしてしまうものだから。

それはこのように主張している僕自身とて例外ではない。

でも、感覚としては「全捨て」に近いのだ。

少なくとも、マネージャーに成り立ての頃の僕が、今の僕の振る舞いを見れば、「開き直っちゃってんなー」と思うくらい、僕は本音全開で仕事をしている。

それはもちろん「出世を諦めた」ということも関係しているけれど、どちらかというと価値の源泉を「いい仕事をする」という方向に切り替えたということが関係しているように思っている。

開き直っているのは事実だけれど、それは不貞腐れている訳ではなくて、きちんとした仕事をすることに意識を注いでいる(それ以外のことはあまり気にしないようにする)、というとても前向きなものなのである。

常に問題が出し続けられ、常に正解を求められ続ける

これは「判断」に繋がる話でもある。

何かを判断するときに、どこに重心を置くか?

それが管理職という仕事においては、常に問い続けられる。

そして、一問でも不正解であると、途端に部下からの信頼がなくなってしまう。

だから、日々正解を出し続けるしかない。

でも、僕だって人間である。

そんなに毎日全問正解できる訳ではない。

そんな時に大事なのが、何を価値判断軸に置いているか、ということである。

それが部下に伝わっていれば、多少の不正解は目をつぶって貰える。

そしてそのような振る舞いの連続が、心理的安全性を確保し、部下のガードを下げさせることに繋がるのである。

管理職としての発言と、一個人としての発言は分けるべき

部下と話をするときに、管理職としての立場からモノを言っているのか一個人としてモノを言っているのか、ある程度明確に分けた方がいいと僕は思っている。

それは自分の声明に対する責任を明確にする上で重要なことだと考えるからである。

ただ、これができる管理職はそう多くない。

皆意識的か無意識的か別として、ごちゃ混ぜにして話をしている。

それを続けると、自分すら騙されてくる。

同じ会話の中でも、都合の良いように立場を変えながら話をすることが常態化してくる。

これは本当によくないことである。

でも、本人はなかなか気づかないものでもある。

そんな中で「部下が本音を言ってくれなくて…」と愚痴を言っているのだ。

傍から見れば「そりゃそうだろう」と思うようなこと。

ただ、これは割とよく見られる現象であると僕は思っている。

鋭利な言葉

芯を喰った議論。

それはある種他者を傷つける可能性を内包する。

というか、そのように鋭利な部分がなければ、議論は芯を喰ったものにはなりづらいとも言える。

それをきちんと表に出せるか。

それもただ他者を傷つけるのではなく、組織が本来向かうべき方向性を鑑みた上で重要だということを示しながらアウトプットできるか。

この辺が心理的安全性の議論に繋がるのだと思う。

自分だけが安全地帯にいる人の多いこと多いこと

部下と言えど、組織のことをよく考えていたりするケースは多い。

それを子供の戯言だと一蹴するのは簡単だけれど、そこにクリティカルなものが眠っている場合も結構あるので、できればそれを出させ、チームの運営に活かした方がいい。

でも、その「排出」には心理的抵抗がかなりある。

だから、みんな何となく歯に物が挟まったような言い方をしているのだ。

そのリスクを先に負うこと。

自分だけが安全地帯からモノを言わないこと。

それができれば、自ずと部下のガードを下げさせ、本音ベースの会話ができるようになるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

リスクを負うこと。

それがマネージャーの仕事における全てである、と言っても過言ではないような気がしています。

部下のガードを下げさせる為には、心理的安全性を確保する為には、まずマネージャーが(際どい)発言をするというリスクを冒さなければなりません。

それなくして、リターンだけを求めるのは虫が良過ぎます。

リスクを負っていきましょう。