口で言うのは簡単だ

UnsplashIgnacio Amenábarが撮影した写真

言っている本人ができていないことを、他者にやらせるの?

言うは易く行うは難し。

マネジメントに限らず、仕事全般に言えることだろう。

本当にそうなのだ。

口で言うのは簡単で、でも、それを実行するのは難しい

ましてや、それが人間同士の話となれば、その難易度は更に上がる。

僕は最近、「コミュニケーションを良くしなさい」とか「連携を深めなさい」といった言葉に違和感を覚えている。

言っていることは間違っていない。

でも、「それってどうやってやるの?」とは思ってしまう。

もっと言えば、その話者がそれをできていないのに、どうやって部下にやらせるの? とも思ってしまう。

人は仲良くしなさいと言われて、仲良くするものではない。

仲良く「なる」ものである。

今日はそんな話だ。

「では、どうやってやるの?」を言語化する作業

抽象度が高い言語。

それを具体化する作業。

マネジメントは時にこのような性質を帯びることがある。

「では、どうやってやるの?」を言語化するのがマネジメントという仕事の1側面である。

そして、それは思いのほか難しいことでもある。

頭でっかちなヤツばかりだな

「抽象度が高い言語を使う人は具体化に難があり、具体的な言葉を使う人は抽象化に難がある」

それがたくさんのマネージャーを見てきて僕が思うことである。

また、前者のタイプが最近は増えてきているということも。

正しいけれど、重みのない言葉。

血肉化していない言葉。

それを扱う人が増えていると僕は思っている。

安い言葉の乱用と独り相撲

もちろん、自分が使う言葉の全てに身体的実感を伴うべきだ、というのは言い過ぎではある。

ただ、あまりにも乖離しすぎると、その言葉は意味性をなくして(薄めて)しまう。

結果として、部下に届くことはなくなる。

部下はマネージャーの言葉を常に値踏みしているから。

安い言葉を濫用すれば、その価値が下がる。

「ああ、また言ってら」と嘲られる。

でも、本人はそうは思わない。

ここに抽象度が高い言葉の弱点がある。

本人は得意げにその言葉を振り回す。

ただ、その振り回された言葉は、宙を舞うだけで、部下に届くことはない。

独り相撲。

それを部下のせいにするなよ?

自分の言葉の部下への到達度を吟味すべき

抽象度の高い言葉が部下に届かない原因の大半は上記のような構造が理由である。

でも、当の本人はそれを部下の理解度が不足していると解釈しがちである。

そのような言語運用ができない(話が通じない)のは、部下の知的さが足りないからであると決めつけているかのように。

もちろん、そのような側面がないとは言い切れない。

どちらかと言えば、部下は抽象的な言葉遣いよりも、具体的な言葉遣いを好むものであるから。

でも、だからこそマネージャーにとって大事なことは、この両者を架橋することである。

抽象度の高い言葉を、具体的な言葉にブレイクダウンすること(逆もまた然り)である。

その努力や葛藤を経ずに、次から次へと新しい言葉を撒き散らすのは、やっぱり間違っていると僕は思う。

一旦立ち止まって、自分の言葉の部下への到達度を吟味すべきなのだ。

具体的な言葉は具体的な行動が伴う(だから面倒くさい)

抽象度の高い言葉は全能感を生む。

その言葉を使っている自分自身を賢いものだと見做しがちになる。

もっと簡単な言い方をするなら、気持ち良くなるのだ。

その気持ちよさを加速させたくなる。

一方、具体的な言葉は、(どちらかというと)苦労を伴いがちである。

というのも、実際に言葉が行動に結びつくことで、様々な実際的な問題が生じるからである。

そういう意味では、具体的な言葉はレバレッジが高くないとも言える。

言語と行動の比率が1:1というか、言葉を発すれば実態的な行動が必要になる訳で、そこにはそれなりの身体的(精神的)負荷がかかることになる。

そうなのだ。

具体的な言葉には、具体的な行動が伴う(だから具体的な言葉というのだ)。

「どうやってやるのか」という、現実との接続が生じる。

ここに言葉に対する信頼度(もしくは幻滅度)が生じるのである。

地上戦には血が流れる

冒頭に書いたように「コミュニケーションを良くしなさい」とか「連携を深めなさい」と言うのは簡単である。

でも、「ではコミュニケーションを良くするとはどういうことを言うのか?」「連携を深めるとは具体的にどのような行動が必要となるのか?」というところまでブレイクダウンしていくと、様々な現実的な問題が生じることがわかる。

そして、現実的な問題というのは、なかなか面倒くさいものでもある。

残念ながら、理論だけでは人は付いて来ない。

なぜなら、そこには感情があるから。

プライドがあり、見栄があり、忖度があるから。

そのようなものと地上戦をすることでしか、得られないものがある。

そこにはそれなりの葛藤があり、それなりの血が流れる。

それを乗り越えた時、コミュニケーションは良くなり、連携は深まるのだ。

近づくと傷つくことがある。そういうもんだろう?

表面的な互恵関係のことを、良い状態とは誰も思わないだろう。

もう一歩踏み込んだ議論、耳の痛いことですら言い合える関係性でなければ、本来の意味での連携とは言えない。

ましてや、上司であるマネージャーがそれを体現できていなければ、部下が付いてくるなんてことは起こり得ない。

実際的な言葉を。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

身体的実感を伴った言葉。

それを使うことがAIを超克する為には必要なのではないか?

そんなことを考えています。

(今のところ)AIはボディを持っていません。

言葉と身体的実感がリンクしていません。

でも、そこにこそ僕らは温もりを感じるのでは?

そういうことを「心」と言うのでは?

生成AIみたいな言葉を話す人たち。

脳的にしか考えられない人たち。

人間という動物と仕事をする為にはそれだけでは不十分です。

悪臭や腐臭や血の匂い。

そういうものを厭わない言葉を使っていきましょう。