動じなさを身につけるには?

UnsplashZoltan Tasiが撮影した写真

事象に巻き込まれないこと

「ウエノさんは冷静ですね」とよく言われる。

そんなことはない。

内心は心臓バクバクである。

でも、確かに以前に比べれば、動じないことが増えた。

表面的な振る舞いだけでなく、本当の意味でも。

このテーマは何度も書いていることなので、「また同じ話かよ!」と思われるかもしれないけれど、それなりに多くの人から相談されることでもあるから、需要もそれなりにあるのだろうと思って、今回もまた焼き直して話していこうと思っている。

大事なことは、「事象に巻き込まれない」ということである。

それでは始めていこう。

非定型業務に対して冷静でいられるか?

定型業務非定型業務。

マネージャーの仕事というのは、この2つが混在したものである。

そして今回のテーマは、後者(非定型業務)に関するものである。

何か突発的な、それも心を大きく揺さぶられるような事態が起きた時、冷静に対処できるか否か?

それはマネジメントという仕事をする上で、結構大きな分かれ道となる。

そのような事態は割と高い頻度で起きてしまうから。

ただ、これも「慣れ」みたいな部分があって、非定型業務ですら経験を重ねていく内に、定型業務に変化していく、というのも事実である。

中身は多少変わるけれど、ガワは変わらないというか、対処方法は大体一緒、というように思えるようになってくる。

でも、それはある程度経験を重ねたからこそ言える話でもあるので、今回はもう少し手前の話非定型業務が非定型業務として認識されている状態の時にどのように対処すべきかについて書いていこうと思う。

距離を空ければ、動じなくなる

冒頭に、「事象に巻き込まれない」ことが重要である、と書いた。

これは起きた出来事と一定程度の距離を空ける(できれば精神的に)、ということを意味する。

「動じる」というのは、その事象と共に動かされているから動じてしまう訳で、そこから距離を空ければ、事象によって動かされることはなくなる(もしくは少なくなる)。

地震のように、震源地から遠くなればなるほど、震度は下がるのだ(地震の場合は必ずしもそうとは言えないようであるが…。まああくまで比喩として聞いて欲しい)。

近づきながらも、巻き込まれない為には?

でも、難しいのは、そうは言ってもマネージャーはその事象に関わらなければならない、ということである。

無関心を装う訳にはいかない。

どうやったって、その事象と対峙しなければならなくなる。

先ほどの話とは相反して、事象に近づかざるを得なくなる訳だ。

となると、事象に近づきながらも、事象に巻き込まれないような作法が必要となる。

それはどのようにすれば実現できるのか?

事象を事実に分解する

僕が心掛けているのは、事実を並べる、ということである。

事象を分解して、どのような事実があるのかを整理する。

そこに感情は入れない。

AIのように、ただ淡々と事実を並べていく。

すると、ある事象というのは、いくつかの事実という構成物から成り立っていることがわかる。

「事象」という様々な混交物に直接対峙するのではなく、その分解物である「事実」の方に目を向ける作業をすること。

そして、その「事実」に1つ1つ対処していくこと。

そうすれば、自ずと「事象」の方も解決の方向に向かうと考えること。

それが動じない為には重要である。

対処できる事実と対処できない事実

これを更にブレイクダウンしていく。

事実には対処できるもの対処できないものがある。

(当たり前の話であるが)対処できるものには対処し、対処できないものには対処しない(というかできない)。

ここに「~すべきだ」とか「~したい」というよう雑味は入れないようにする。

結果、対処できた事実と、対処できなかった事実が残る。

さて。

その対処できなかった事実はどうしたらいいのか?

できないことに自責の念があるから動じてしまう

多くの人は、この対処できなかった事実に動揺したり、不甲斐なさを感じたりするようである。

というか、僕なりに考えるなら、動じるというのは、できないことに対して自責の念というか良心の呵責というか、申し訳なさというか、そのようなものを感じ、それを何とかしなければならないと追い詰められる(自身を追い詰める)ことから生じているのである。

それをやめる。

できないものはできない、と(ある種)開き直る。

これで動じることは殆どなくなる。

あとはそれをきちんと説明するだけである。

できないものはどうやったってできない

できないことを、きちんと論理立てて、なぜできないかを説明していく。

感情ではなく、事実を並べていく。

もちろん、そこには当然申し訳なさは込めていい。

できないことは事実であるし、それを申し訳なく思うのは当然であるから。

ただ、そのような感情があったとしても、できないものはできないのである。

謝ったところで、土下座したところで、できないものはできない。

最善は尽くすべきであるが、それでもできないものは残る。

それをただ誠実に伝えるだけ。

どこに動揺する余地があるだろうか?

何か難しいことでも?

事実を選別し、最善を尽くしてできることを増やしていく。

結果残ったできないことについて誠意をもって謝罪する。

我々の仕事というのは、それだけである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

できないものはできない。

これは開き直りのように聞こえるかもしれませんが、この割り切りができるか否かで、ある事象に対する冷静さはだいぶ変わってくると思います。

「しなくちゃいけない」とか「すべきだ」とかそのような言葉を言ったところで、できないものはできません。

もちろん最善は尽くすべきですが、不当要求にまで応える必要はありません。

淡々と事実に対して対処していきましょう。