良い上司ってなんだろう?

UnsplashShipman Northcuttが撮影した写真

ユニコーンやドラゴンみたいなもの?

良い上司とはどのような人のことを言うのか?

よくわからないことがあると、最近はChatGPTに放り込むことにしている。

ChatGPT曰く、「良い上司は、高いコミュニケーション能力を持ち、明確なリーダーシップとビジョンを示し、部下に対して適切なフィードバックとサポートを提供すると同時に、公平で正義感があり、信頼と尊重を示し、問題解決能力も兼ね備えています」とのことである。

高いコミュニケーション能力。

明確なリーダーシップとビジョンの提示。

部下への適切なフィードバックとサポート。

公平で正義感があり、信頼と尊重を示せる。

問題解決力もある。

確かに。

パーフェクトだ。

でも、たぶんこのような人は存在しない。

少なくとも、僕が社会人として仕事をした中では、会ったことがない。

それでは、それは空想上の概念に過ぎないのだろうか?

永遠に到達しえない、でも目指すべき理想郷のようなものなのだろうか?

今日はそんな話である。

自分との乖離に悩む必要はない(だってそんな人はいないから)

冒頭にChatGPT先生に、良い上司の様々な特徴を挙げて頂いた。

そこに反論の余地はない。

全てその通りだと思う。

ただ、現実的にはそのような人は存在しないし、それを追い求めることで、現在の自分との乖離に悩んでしまう(自分はなんてできないマネージャーなのだと卑下してしまう)ことのマイナス面もかなりあると思っている(実際に僕はこれにかなり苦しめられた)。

なので、ここから先はそのような自己嫌悪を少しでも緩和する為の僕なりの方法論を書いていく。

部下の自己肯定感の増進に貢献できること

さて。

僕は良い上司をどのように考えているのか?

「部下の存在を認められる人」

「できればそこに部下がいることについて祝福ができる人」

それが僕が考える良い上司の特徴である。

もう少しそれっぽい言い方をするなら、「部下の自己肯定感の増進に貢献できる人」となるのかもしれない。

部下を肯定できること。

究極的にはそれさえできれば、マネージャーという仕事は務まるし、もっと言えば良い上司としての評価も得られると僕は思っている。

以下、もう少し詳しく書いていく。

傷ついた人たち

僕の元には、(どちらかというと)以前の職場で評価が良くなかった部下が集まってくる。

上司とそりが合わなかったとか、メンタルブレイクしちゃったとか、人が良過ぎちゃったとか、単純に能力が低すぎるとか、その理由は様々であるが、それなりに傷ついた人たちが集まってくる。

そして、その理由もよくわかる。

僕は(自分で言うのもなんであるが)比較的情に厚いタイプで、そのような傷ついた彼(彼女)らの良い面をできるだけ見ようと日々思って仕事をしているのだけれど、以前の職場で評価されなかった理由が手に取るようにわかるくらい、その弱点(欠点)は明白である。

ストレートに評価すれば、確かに欠陥品とも言えるような人たち。

それを「ダメだ!」と断罪することは簡単である。

そして、実際に僕も時にそのように思ってしまうことがあるのも事実である。

ただ、長年そのような人たちと仕事をしてきた僕が思うのは、彼(彼女)らを適切な環境に置くことができれば、望外の成果を上げることも可能である、ということである。

能力の五角形の面積は小さいかもしれないけれど、尖った特徴があるなら、それを自由に使えるような環境に置いてしまえばいい。

そこで生じるリスクは僕が負えばいい。

僕はそのように考えて仕事をしてきた。

結果として、残念ながら僕の会社からの評価は散々だけれど、部下からの評価はそれなりに得ることができているように思う。

そしてその理由は、部下の存在を認められているからではないか、と思うのだ。

ポンコツのポンコツによるポンコツの為の…

彼(彼女)らをポンコツ認定するのは簡単だ。

そしてそういう意味では僕だってポンコツなのである。

そのようなポンコツ達が集まって、僕たちをポンコツだと認定した奴らよりも高い成果を上げること(だからと言って、僕たちが会社から評価される訳ではないし、ポンコツさは変わらない)。

そこに僕はやりがいすら感じている。

クソ忙しい日々の中で

働くという行為は、慈善事業ではない。

「祝福ができる人」なんて宗教がかった言い方をしてしまったけれど、日々のクソ忙しい環境の中ではそんなことを言っていられない時だってある。

でも、ふと振り返ると、というかふとした瞬間に、僕は部下から号泣されながら感謝されることがある。

そのトリガーとなるものは、僕にはよくわからない。

ただ、少なくとも、自分のしてきた仕事が間違っていなかったのだな、とは思えるのだ。

いい仕事をすれば良くね?

僕は部下が好きではない。

特に彼(彼女)らのような、能力も低く、コミュニケーション能力もどうしようもなく、舐めた態度ばかりを取る奴らは大嫌いですらある。

そこに「福祉的要素」はない。

別に心理的安全性を確保しようとか、部下と家族のような関係性を築こうとか、そんなことは考えていない。

仕事として、ただやっているだけだ。

でも、そのような態度は、そして仕事振りは、結果として、彼(彼女)らが「そこにいていいのだ」と思えるような環境を提供していることに繋がっているのかもしれないとは思う。

評価基準は「いい仕事をするか否か」

それだけだから。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

自己肯定感。

それが低い人が増えているのかな、ということを最近は感じています。

そしてそれは承認欲求の裏返しなのかもしれない、ということも。

僕は究極的には自己肯定感はその言葉通り、「自己が(自己を)肯定することによってしかもたらされない」と思っているのですが、それを他者に委ねてしまっている人がとても多い(増えている)とマネージャー業をやっていて強く感じます。

それを少しだけでも与える(偉そうですが)ことができれば、マネージャーとしては合格点なのではないか?

そんな風に思ってしまうことすらあります。

もちろん、これは狙ってやるものではなく、自然と、いつの間にかそうなっていたということが必要ではあるのですが、そのような方向に意識を向けておくと、我々自身のやりがいや、自己肯定感にも繋がるようにも思います。

良い上司は多くはないですし、自分自身がそうであるとも思えませんが、そうなりたいと思うことは可能です。

志向性を持ち、日々仕事をしていきましょう。