本音と建前が遠すぎない?

UnsplashKevin Escateが撮影した写真

ただでさえブルシットなのに…

仕事をしていると、それもマネジメントという仕事をしていると、本音と建前が乖離することがそれなりの頻度で訪れる。

これは良いとは言えないけれど、働いている以上ある程度は仕方がないことなのかなと僕は思っている。

全て本音で仕事ができるなんていうのは幻想だし、それはそれで暑苦しそうだから。

でも、この両者があまりにも離れすぎてしまうのも問題なのではないか? とも思っている。

「これは建前に過ぎないのだよな」と思いながら仕事をするのは、それも毎日それが続くのは、なかなか厳しいことである。

現代社会がブルシットジョブに満ちているのは事実であるにせよ、それに輪をかける必要なんてあるのだろうか?

その両者を少しでも近づけるような方法はないのだろうか?

今日はそんな話である。

本音の割合が多い方が成果も上がる

「会社の方針や、その時の上司の考え方によって、本音と建前のバランスはそれなりに変わるものだ」

僕はそんな風にこの両者を捉えている。

もちろん、本音の割合が多いに越したことはない。

その方が仕事に対して正面から取り組むことができるし、やりがいというか充実感というか、そのようなものも得られるからである。

そして、経験上、その方が成果も大きく上がる。

本音のその先

何と言うか、「本音」というと「青臭い戯言」のように捉える人が多くいるようだけれど、僕はそう思っていない。

本音と皆が考えるその先まで本音を突き詰めれば、成果というのは建前の比ではないくらいに上がるものなのだ。

でも、同時に、この「本音のその先」まで到達できる人はそう多くないのも事実である。

ましてやマネジメントという仕事をしているのであれば、チームのメンバーの中にこのくらいのレベルの仕事ができる人はよくて1人、大抵の場合はいない、というのがデフォルトである。

となると、本音だけで仕事をするのはいささか苦しいというのが現実的なところなのだろう。

結果として、建前が仕事においてそれなりの比重を占めることになる。

ここからが今日のテーマである。

「ただ、そうは言っても、本音と建前があまりにも離れすぎているのも問題なのでは?」と僕は思っている。

もう少し言うと、これが入り混じっているなら余計に厄介である。

建前なら建前だと言い切って貰った方が、こちらとしては対処が容易であるから。

そうではなく、建前を本音っぽく言ってきて、それを本音で返すと「建前だから」と言われ、建前らしく働いていると「本音がイマイチ」と評価され、どちらに進んでも罰ゲームみたいな状態に陥るのが最悪である。

本音と建前が離れていることを飲み込んでいることは良いことなのか?

でも、僕はこのようなシチュエーションにそれなりに高い頻度で遭遇してきた。

その度にとても嫌な気分になった。

よくわからないのは、本音と建前が遠いことが、それを飲み込んで仕事をしていることが、「良い」とされているところである。

それも自分だけならまだしも、部下にもそのような仕事のやり方を求めること、それが出来る人が「素晴らしいマネージャーである」と評価されることが、本当によくわからない。

乖離を是正しようともしないのなら、マネジメントって何なのだ?

繰り返すが、本音だけで仕事をすべきだとは流石の僕も思わない。

でも、あまりにもそれらが乖離しているのなら、それを是正しようともしない(むしろ加担する)のなら、マネジメントの仕事なんていらないのでは?

そんな風に思ってしまうのだ。

解決策はないけれど…

では、そんな環境下にあっても、何とか本音と建前を近づける方法はないのだろうか?

極論を言えば、たぶんない。

大きな流れは変えられない。

ただ、それに抗うことは可能だとは思うのだ。

流れを少しだけ弱めることはできるはずだ。

もちろん、それによって割を食う部分は多分にあるだろう。

でも、それを食らっても余りあるほどの成果が上がるなら、そちらの道の方が楽しそうではないか?

僕はそのように思うのである。

まずは自分から

そしてそちらの道に進むためには、マネージャーである自分自身が本音と建前をきちんとわきまえて部下と話をすることが大事であると僕は考えている。

リスクの所在がわかるように、それを曖昧にしないように、話をすること。

建前はどう繕ったって建前なのだ。

もちろん、サラリーマンである以上、それを全部やらないということはできない。

ただ、それが建前であるということは認識すべきであると思うし、その中でもマシなやり方というのはあるはずなのだ。

それをマネージャー自身が理解し、自身もリスクを負いながら行動すること。

それが本音と建前を近づける方法である。

ブルシットでOK?

部下の目が死んでいる職場。

そこに少しでも光を宿すには、本音をそれなりに仕事の中に混ぜ込む必要がある。

ただ、残念ながら、日本の職場においては、本音というのはなぜかリスクを伴うものでもある。

それを変えるために僕はこのブログを書いている訳であるが、変化の兆しは全然見えない。

きっとこの先も変わらないだろう。

でも、それでいいの? とは僕は思う。

ブルシットな仕事はブルシットな仕事として脇に置いて、それ以外の人生を楽しめばいいの?

僕にはよくわからない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

仕事は仕事。

苦役がデフォルト。

そうなのでしょうか?

もちろん「仕事が楽しい! 毎日ハッピー!」というのは幻想でしょう。

でも、もう少しどうにかなるのでは?

楽しく面白く仕事をするのは、成果を上げる為でもあります。

本音の割合を増やしていきましょう。