毎日会社に行く

UnsplashViktor Forgacsが撮影した写真

簡単そうであるけれど、そうでもないこと

今日のタイトルは、いつも読んで下さっている方からすると、「どうした!」「何かあったか!」と思われるものかもしれないけれど、そんなことはなく、当たり前のことというか、基本的なことって結構大事だよねと思ったので、それを文章化してみようという試みから生じたものである。

そうなのだ。

「毎日会社に行くこと」

これはマネージャーにとって結構大事なことであると僕は思っている。

というのも、社会人の中には、毎日会社に行くことが困難である人がそれなりに多くいるからである。

もちろん、人間なので体調を崩したり、気力が湧かなかったり、そのようなことだってあるだろう。

そして、(現代という時代においては特に)這ってでも会社に行くことが美徳ではないことは百も承知である。

ただ、今回僕が言いたいのは、体調とメンタルを保ちながら会社に行くことってそんなに簡単でもない、ということであり、それってどうやったら実現できるのか、ということである。

何だかフワッとした内容になりそうなので、息抜きがてらに読んで頂けたら幸いである。

それでは始めていこう。

人は結構簡単に会社を休む

マネージャーになってから驚いたことの1つに、結構多くの人は体調を崩す(それも簡単に)ということがある。

もちろんプレイヤー時代にもそのような人たちが同僚にいたのだろうけれど、その時はあまり実感がなく、マネージャーになってからそれを改めて強く意識するようになった、ということである。

そして、そのことは昨今のような人材不足環境においては、より顕著になってきているようにも感じている。

トヨタのジャストインタイム方式ではないけれど、人材の最適化という名の人員削減がコロナ以降顕著に行われるようになって、僕が所属しているチームの人数もだいぶ少なくなった。

となると、1人が急に体調を崩して休むと、それ以外の人にはそれなりの仕事が増えることになる訳で、それもそれが恒常的に起こったりすると、なかなか大変な事態となる。

もちろん、当人に責はない。

体調を崩すことは誰だってあるし、もっと言えば、子供が熱を出したり、家族の介護があったり、その他諸々の要因によって、人は急に休まなければならないことがあるから。

だからそのようなことを責めたい訳ではない。

どちらかというと、毎日会社に来てくれる人へのありがたさのようなものを感じるだけである。

そして、それはマネージャーにも当てはまるのではないかと思ったので、それを今回は文章化している訳である。

マネージャーが毎日会社に来ることは想定できた方がいい(はず)

「恒常的な欠員がいる状態においては、仕事の割り振りなど、マネジメントがそれなりに必要になる」

「でも、それを行うマネージャー自身が毎日会社に来ることが想定されないと、安定的な業務運営を行うことは難しい」

そんなことを思うのである。

体の強さ(と心の強さ)

これは単純に「体の強さ」「心の強さ」みたいなものと言えるのかもしれない。

僕は自分自身「体が強いな」とか「心が強いな」と思ったことはないけれど(むしろ弱い方だと自覚していた)、会社で働いていると、それもマネジメントという仕事をしていると、「むしろ強い方なのではないか」と思うことがそれなりに多くあるので、びっくりしてしまう。

僕は滅多なことでは風邪をひかないし(その代わり体調が良いと自覚することも殆どない)、メンタルブレイクすることもない(その代わりずっと会社を辞められたらいいなとは思っている)。

決められた時間に決められた場所にいること。

それは当たり前のようであるが、そうでもないような気もしていて、それができるかどうかによって、マネジメントの方向性も変わるしマネージャーへの信頼度も変わるのではないかとすら思ってもいる。

スタミナがあるだけで十分では?

もちろん、(繰り返すが)これは「何としてでも会社に来い!」ということを言いたい訳ではない。

単純に、意識せずに、そこにいることの良さというか、大切さみたいなものを感じるのである。

これはプレー内容云々ということよりも、単純にフィジカル(メンタル)が強い、ということを意味するのかもしれない。

スキルはなくても、90分走れるだけのスタミナがあること。

それだけでマネージャーとしては結構大丈夫な気も最近はするのである。

食事・運動・睡眠

かといって、特別なことを僕がしている訳ではない。

よく言われるように、適度に食べ、適度に運動し、適度に寝る、これ以外に心身を健康に保つ秘訣はない。

そして、それが存外難しいことも事実である。

常に疲れてはいるし、常に気力はないのだけれど、会社に行けなくなるほどではないし、こうやってブログを書くだけの余力はあるし、それは幸せなことなのだろうと今は思っている(思うようにしている)。

そうは言っても、何もないとアレなので、最後に僕なりの健康法を書いて、本稿を終えようと思う(需要はなさそうだが…)。

プラシーボ効果で

それは「自分なりの回復術を見つけ、それを信じること」である。

合う合わないは人によって違う。

でも、プラシーボ効果というのはそれなりに強力なものでもある。

僕が言えるのはそんな(クソみたいな)話である。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

何だかよくわからない文章ですが、出社することの有用性みたいなものを最近感じることが多く、それを文章化してみたというのが今回のお話です。

これはもしかしたらリモートワークへの違和感のようなものにも派生しているような気もしています。

顔を突き合わせることが無条件で良いことだとは僕も思いませんが、リモートワークにもそれなりに問題点があって、それを上手に「利用している」人もいて、だからこそ毎日会社に行っている人をもう少し褒めてあげてもいいのでは、と最近は思っています。

労働者の権利の尊重は大事ですが、その人が自分を尊重することによって割を食っている人が確実にいて、その人が補償されることはあまりないことに僕は違和感を覚えています。

休暇もリモートワークも結構。

でも、それをカバーしている人にももっと称賛があってもいいのでは?

そんなことを考えています。

賛同は難しいかもしれませんが、引き続き読んで頂けたら幸いです。