ポジティブを強要する職場
ネガティブ禁止令
「ポジティブは善、ネガティブは悪」
一般的にはこのように捉えられるだろうし、そのことについて異論を申し上げたい訳ではない。
できるだけポジティブに生きたい、仕事をしたい、と僕だって思っているから。
ただ、それを強要し、言わば「ポジティブ独裁」みたいな状態になっているのもどうなのかなと僕は思っている。
これは心理的安全性の議論にも繋がってくる。
職場がポジティブであることを求めすぎると(ネガティブを排除しすぎると)、そこには心理的安全性など生まれない。
人間というのは、そのバランスの中で日々生きているものであるから。
もちろん、職場というのはある種「ハレ」の舞台で、それなりに気を張って、明るく振舞う必要があるものだとは思う。
「素の自分」でOK、とは流石の僕も思わない。
でも、その「程度」はあると思うのだ。
「ネガティブ禁止令」というか、「言論統制」みたいなことが生まれる時、職場からは「本音」が消失する。
「本音」のないところに心理的安全性なんて生まれるはずがないし、成果だって向上するはずがない。
今日はそんな話である。
アメリカ西海岸スタイルへの疑問
経営陣がそうなのか、そこに入り込むコンサルファームがそうなのか、その理由はわからないけれど、「アメリカ西海岸スタイル」をベースとした職場作りに、時々違和感を覚えることがある。
まあ、確かに言っていることはわからなくもない。
というか、共感だって覚えなくもない。
ただ、それはあくまでも概念の世界の話であって、それを現実に適用するのには、それなりの調整が必要となる、とは思うのだ。
ましてや、当社のようなJTC(Japanese Traditional Company)であれば、尚更である。
ある概念をどうやって着地させる(地に足のついたものにする)か?
そこがマネジメントの腕の見せ所であるはずなのだ。
マネージャーのせい
でも、往々にして、「そのままの状態」でこのような概念は現場に持ち込まれることになる。
そして、経営陣もそれが良いものであることを疑うこともしないので、一定の期間が経過しても状況が改善されない場合、「犯人捜し」が始まることになる。
大抵の場合、「それがなされていないのは、マネージャーが現場に浸透させていないから」という結論になる。
それがどんどんと下に落ちてきて、僕のようなミドルマネージャーがやり玉に挙げられることになる。
さて。
いつも見るこの光景。
それすらも「ポジティブに克服すべき」なのだろうか?
ポジティブ独裁(ポジティブ恐怖政治)
「物事の明るい面を見よう」
そのメリットは僕にもよくわかる。
ネガティブなことばかり言っていても状況は改善しないし、そうやって自分が何もしない言い訳を量産する人は大勢いるから。
でも、「ポジティブな面を見る」ということは、「臭い物に蓋をする」ことではないと僕は思っている。
ただ、往々にして日本の社会においてはこうなりがちだとも感じる。
皆がポジティブな面を見ることを良しとすると、それが「空気」となり、そうじゃないものを排除し出す。
そうやって冒頭に書いたような「ポジティブ独裁」のようなものが生まれる。
これは「それ以外のことを言ってはいけない」「流れに沿った発言をしないと粛清される」そのような気配のことを指す。
結果として、職場からは「本音」が失われていく。
物事には良い面と悪い面があるのは別におかしなことではないのに、皆が皆良い面ばかりを見だすと、悪い面は放置され、徐々に腐臭を発するようになる。
職場にもその臭いは漂っているし、その臭いにも皆気づいているのに、気付かないフリを続けている。
そして、「炭鉱のカナリヤ」ではないけれど、この状態に素早く気づく人ほど、早期に会社から去っていく。
後に残るのは、ポジティブ独裁に従順な者だけだ。
そこに出てくる「ホンネ」を「シンリテキアンゼンセイ」の証左だとでも言うのだろうか?
僕にはよくわからない。
三流のSF作家が描くディストピアに見えるだけだ。
ポジティブの強要による、エンゲージメントの低下
繰り返すが、ネガティブを撒き散らす人が問題であることは僕も否定しない。
ただ、ポジティブであることを強要するのも、それはそれで問題だと僕は思っている。
そして、正義の罪深さがあまり意識されないように、ポジティブの強要も意識には上りづらい。
表面的には上手くいっているように見えるから。
皆和やかに働いているように映るから。
でも、気付けば皆疲弊している。
本音は地下に潜り、社員の不満は蓄積し、仕事へのモチベーションは下がる。
会社へのエンゲージメントなんてものは夢のまた夢で、退職をする人が増え、静かな退職をする人も増加する。
結果として、成果が停滞する。
それを見て、更なる「ポジティブの強要」が推進される。
このようなスパイラル。
もうそろそろやめにしませんか?
本音って、ある種ネガティブなものじゃない?
適度に本音を言える職場。
それはポジティブを強要することでは生まれ得ない。
僕たち人間は弱い生き物であるから。
時々は弱音を吐いたり、ネガティブなことを言ったりしなければ心を保てないから。
僕たちマネージャーは、たぶんそちらの方に力を注ぐべきなのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
同調圧力と村八分。
みんな一緒♡
そのような民族性?
なんかもうめんどくせえな。
そのように感じながら、僕は仕事を続けています。
弱さに寄り添うこと。
自己責任論へのカウンター。
それこそが今必要なことなのではないでしょうか?
弱音を吐いてもいい職場。
心理的安全性って必ずしもポジティブじゃなくても良くね?
こんな僕ですが、引き続き読んで頂けたら嬉しいです。