やりがいのある業務を1つ見つけよう

UnsplashJosiah Gardnerが撮影した写真

無理やりでも構わない

マネジメントの仕事は多岐に亘る。

そして、その大半は少し面白くないか、面白くないか、全く面白くないかのどれかである。

そんなことを感じながら、はや9年経った。

9年間の経験を経て僕が思うのは、「そうは言っても、(無理やりにでも)何かやりがいのある仕事を見つけないと、精神的に持たない」ということである。

メディアを含め、「マネージャー罰ゲーム論」が幅を利かせている。

それは幾分誇張されている面はあるとは思うものの、実態的にはその通りの話であって、かつマネージャー業務がキツいという状況は、当分変わらないだろう。

ただ、それでも明日はやってくるし、その中で我々は仕事をしていかなければならない(飯も食わなければならないし)。

そんな状況の中で、何か1つでも「これは楽しいな」であるとか「これはまだマシ」というような業務が見つけられれば、大抵の苦行(罰ゲーム)は耐えることができる。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

外の人と話をするのが好きだ

内部業務と外部業務。

職種や業種にもよるかもしれないけれど、多くの仕事はこの2つに大別できる(はずだ)。

それはマネージャー業も同様である。

僕は営業という職種のマネージャーをやっていて、正に内部業務と外部業務がそれぞれある。

そして、僕は外部業務(営業)が好きである。

というか、営業してはいけない(外に出てはいけない)と言われたら、たぶんマネージャーを続けることはできないのではないか、というくらい内部業務が好きではない。

だから、今日のテーマに即して言うなら、僕におけるやりがいのある業務というのは「営業」である。

もう少し丁寧に言うなら、「社外の人と話をする(別に営業でなくて構わない)」ことが僕にとってはやりがいのある仕事ということになる。

社内の人とずっと合わないまま

管理職になる前もなった後も、会社の人達(特に偉い人達)と馴染めずにいる。

それは方向性の違いというか、バンドの解散理由としてよく挙げられる音楽性の違いみたいなもので、改善しようにもできない種類のものであると僕は考えている。

もちろん僕もサラリーマンであり、組織の犬であるので、その違いを殊更に強調して、対立したりすることはない。

単純に「合わないな…」と思いながら、日々静かに仕事をしているだけだ。

でも、そのような状況が続くと、次第に澱のようなものが堆積していって、メンタル的にキツくなってくるのも事実である。

以前であれば、そのようなモヤモヤした気持ちを共有できる同僚や上司がそれなりにいたものだけれど、今やその人たちはほぼ絶滅状態で、社内の人と話をするのも難しいというのが現実である。

そんな時に、社外の人と話をすると、何と言うか「ホッとする」のである。

平衡感覚を取り戻す

社内の論理にどっぷりと浸かっていると、どうしても「やっぱり自分がおかしいのではないか…」と思うことになる。

そして、孤独感のようなものがずっと付きまとうことになる。

それはそれで慣れてはいるものの、長期間続くのはやっぱりキツい。

だから、外に出て、社外の人と話をする。

そうすると、平衡感覚を取り戻せるような気がするのだ。

もちろん、僕がおかしいという事実は変わらない。

それでも、そこまでおかしくもないのではないか、と思うことができるようになるのである。

つまらない日々の延命措置

管理職の仕事は理不尽なことばかりだ。

「罰ゲーム」と言われるのも、誇張ではなく、実際にそうだなと僕も感じる。

そんな日々の中で、曲がりなりにも9年以上続けてこられたのは、社外にいる面白い人たちのおかげである。

僕は何人ものお客さまから、「やめたくなったら相談してよ」「歓迎するよ」と言って頂いている。

もちろん、それはあくまでも僕の「良い面」しか見ていない状態での発言であって、加えてそこにはリップサービスが多分に含まれているのは間違いない話なので、その言葉を額面通り受け止めるのは流石にどうかと僕だって思う。

でも、たとえそうだとしても、僕にとってはとても有難い言葉であり、つまらない日々を延命させる糧になっている。

そのような繰り返しを経て、僕は何とか今もまだ管理職という仕事を続けられている。

仕事は楽しくないのがデフォルト

このような話は皆さんにもきっと当てはまると思う。

僕にとってはそれがたまたま営業であったけれど、何か1つでも「これは楽しいな」と思えることがあれば、他の大部分の嫌なことだって続けることができる。

全部が楽しい仕事なんてないから。

真正面から罰ゲームを楽しむのは無理

「管理職は罰ゲームである」

その命題を覆すことは僕にはできない。

でも、そんな日々の中だって、楽しいことがない訳ではない。

表現が難しいけれど、「罰ゲームである管理職という仕事を楽しもう」というアプローチ方法は、社畜論に近しい感覚が僕にはあって、「それはどうやっても無理じゃね?」と思ってしまう。

ただ、罰ゲームは罰ゲームとして受け入れながら、それ以外の部分に楽しみを見つけるというのは不可能ではないように思える。

そして、それはきっと現実逃避ではない。

そんなことを思いながら、僕はまだ営業マネージャーという仕事を続けていくのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

管理職は罰ゲームであり、それを変えることは不可能。

そんなことを思います。

どうポジティブに考えても、管理職はやっぱり罰ゲームだと思うので。

でも、だからと言って、そこにやりがいがない訳ではありません。

社畜論を超えて、楽しみを見つけていきましょう。