完璧主義では息が詰まる
頑張り過ぎでは?
「若手課長の相談に乗ってやって欲しい」
上司からそう言われて、小一時間くらい話をした。
その時に僕が感じたのは「ああ、頑張り過ぎてるなあ…」ということである。
彼は一生懸命「理想の課長」になろうと努力している。
それは言葉の端々からよく伝わった。
部下に寄り添い、一生懸命アドバイスを行い、親身になって仕事に取り組もうとしている、それは良いことであるように思える。
でも、何年もマネージャーをやってきた僕からすると、ちょっとやり過ぎというか、元々のキャパが追い付いていないので、あんまり無理しなくていいのではないか、と思うような状態であったので、そのように話をした。
響いたのか響いていないのかはよくわからない。
ただ、プレイヤー時代と違って、頑張れば頑張るほど報われる訳ではないのが管理職の難しいところなのである。
今日はそんなことを書いていこうと思っている。
名選手名監督にあらず
「優秀なプレイヤーが管理職に向いているとは限らない」
「名選手名監督にあらず」
まあよく言われることである。
そして、言わんとしていることもよくわかる。
名選手は感覚によってできてしまうので、敢えて言語化する必要がない、だから部下に指導する際に上手くいかない、それが僕なりのこれらの言葉の解釈である。
労多くして功少なし
また、部下指導の際の「基準」が高すぎることもきっと関係している。
僕はマネージャーになってから、世の中の大抵の人は仕事ができないものなのだ、ということに気づいた。
これはとても不遜な言い方であるけれど、その当時、血気盛んな若者であった僕からすると、まさにそのような感覚だったのである(今は少し違う)。
そして、そこからたくさんの若手課長と仕事をするようになっていく内に、彼(彼女)らも同じようなことを感じ、それを超克すべく一生懸命頑張っている場面に何度も出くわすことになった。
それを無駄な努力とまでは流石に言えないけれど、労多くして功少なしとは思ってしまう。
ましてや、その努力によって自分が疲弊してしまっては元も子もない。
そんな風に思うのだ。
暑苦しいぜ
彼(彼女)らの多くは善意だ。
「自分も厳しい指導によって育てて貰ったから、同じようにすれば今できないこの若手社員たちも同じようになれるはずだ」
そのような考え方。
これは一見素晴らしいもののように思えるけれど、僕はそのような考え方に懐疑的である。
というか、「暑苦しくね?」と思ってしまう。
一挙手一投足を監視するような指導が、本当に部下の為になるのだろうか?
もっと言えば、その指導をしているあなた自身がそこまでプレイヤーとして優秀だとは僕には思えないのだけれど、そのレプリカを作るのかい?
そんなことを考えてしまう。
度量やキャパシティのようなもの
長年マネージャーをやってきて、僕が思うのは、「自分の考えている範疇の物事からはみ出ることの大切さ」である。
これは「度量」とも言えるし、「キャパシティ」とも言える。
先程、僕は「世の中の大抵の人は仕事ができない」という不遜な言い方をしたけれど、そのような考え方は一面的に過ぎなくて、「では、どこに仕事ができる可能性があるのか?」「もしかしたら、このような局面で強みを発揮できるのではないか?」という多面的な捉え方ができるようになると、マネージャーの仕事の仕方は大きく変わってくる。
もちろん、限界はある。
というか、それは「成長信仰」とはちょっと違うものであると僕は思っている。
成長信仰に囚われるな
「部下は適切な指導を行えば伸びるはずだ」
「手を掛ければ掛けるほど、自分のように成長できるはずだ」
多くの若手課長が囚われているのはこのような「成長信仰」である。
そして、思い通りにならない部下に対して、イライラしたり、身悶えしたりしている。
そりゃそうなのだ。
部下が成長することなんてことは滅多なことでは起きないのだから。
独り相撲
ここに彼(彼女)らの「効率性信仰」や「生産性信仰」みたいなものが加わると、部下は雁字搦めになっていく。
「限られた時間の中で最大限のパフォーマンスを発揮する為にはこのように行動するべきだ」という考え方。
まあ確かに。
でも、それができないから、その部下はそのような感じなんだよな、と僕は思ってしまう。
そこで「キーっ!」となっても、何にもならない。
冒頭の彼と同じように、独り相撲になってしまうだけだ。
成長がなくても、戦える状態を構築すること
自分の想像の範疇からはみ出ること。
枠外の個性を認めること。
そのような考え方をベースとして、部下の強みの発揮方法を考えること。
これがマネジメントである。
与えられた戦力で、最適な戦略を用い、最大限の成果を上げること。
そこに「成長」という概念は不要だ。
というか、あまりウエイトを置くべきではない。
成長がなくても、戦えるような状態を構築すること。
さて、どうする?
もし、完璧主義が最適なら、最適だと思うなら、そのようにやってみればいい。
でも、多くの部下はそのような考え方に付いてくることはできない。
だったら、どうする?
それが僕が冒頭の彼に行ったアドバイスである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
マネジメントという仕事には(当たり前ですが)他者がいます。
その他者は(また当たり前ですが)あなたではありません。
さて。
その他者をどのように動かしますか?
僕がマネジメントにおいて大事だと思うのは、このような考え方です。
完璧主義が成果を最大化するなら、それでやってみればいい。
でも、それでうまくいっていないから、オレに相談しに来たんだろう?
頑張ることは残念ながら成果に繋がるとは限りません。
そこは比例関係ではない。
では、どうする?
不完全でも、成果を出すことは可能です。
コピーを作るのではなく、それぞれの部下の強みを活かしていきましょう。