膿を出したところで組織なんて良くならないからやめときな

UnsplashDiana Polekhinaが撮影した写真

組織開発への違和感

今日は「組織開発」というものへの違和感について書いていこうと思っている。

AIによると、組織開発とは、「組織のメンバー同士の関係性を高め、組織を活性化させる取り組みのこと」であるそうだ。

さて。

コロナ禍を経て、人員削減も進み、組織内部はギスギスしている。

それを打開する為に、会社の偉い人たちは組織開発を行おうとしている。

まあ気持ちはわかる。

そして、全くの無駄ではないとも思う。

ただ、労多くして功少なしというか、費用対効果が悪いというか、僕はそんなことを思ってしまう。

理想論は理解できる。

上手くいったらいいね、と僕も思う。

でも、コンサルが提案するような素晴らしい未来は残念ながら到来しない。

今日はそんな話である。

人的な問題に踏み込む覚悟があるか?

組織開発を進めるにあたって、その初期段階として「ガチ対話」というものがある。

これは組織の問題をその構成員たちがガチで話し合う、ということを意味する。

確かに、これはこれで必要な過程であると僕も思う。

でも、組織の問題の要因が「人」である場合、そこまで踏み込んで対処するという覚悟がないのであればやめた方がいいと僕は考えている。

人的な問題とそれ以外の問題

組織の問題には人的な問題それ以外の問題がある。

後者の問題であれば、ガチ対話によって改善が進むことはあるだろうと僕も思う。

でも、人が働く上で大事なのは人的な問題であることが多い。

そして、人的な問題というのは根が深く、良化することは殆どない。

僕はそのように考えている。

上司に問題があった場合、その人を外すことまで出来ますか?

例えば、上司に問題があり、その上司がいることで組織に閉塞感が生まれている、ということは、どの組織においてもよく起こり得る話であると思う。

もちろん、この「上司に問題がある」という内容については吟味すべきであって、本当に問題があるのか、ただ部下が不満のはけ口として言っているのか、はきちんと分けて捉える必要があることは言うまでもない。

さて。

ではそのような吟味の末、組織内のギスギス感の原因の大半が「上司に問題がある」ことだったとしよう。

そのような場合に、その上司をそのポジションから外すということまでやらなければ、ガチ対話の意味なんてない、と僕は考えている。

そして、実際のところ、そのような人事はまずもって起こらない。

となると、組織開発って何なの? と僕は思ってしまう。

キレイゴトでは解決しない

ガチ対話に話を戻す。

ここでよく起こる展開は、「不満暴露大会」である。

それも特定の上司に対しての。

コンサルはここで、「不満を言うのではなく、建設的な議論を!」「その為のファシリテ―トを!」なんて指示してくるのだけれど、そんなことは部下からすれば関係なく、日々の不満、恨みつらみが爆発する。

繰り返すが、そのような部下の意見は、必ずしも正しくない、と僕は考えている。

彼(彼女)らの不満なんてものを正面から捉える必要はない(だって自分のことしか考えていないし、その時の瞬間沸騰的な感情だけで物事を言うことが殆どだから)。

ただ、そうは言っても、それは厳然たる事実としてそこにある不満なのである。

それを除去する(もしくは緩和する)ことなくして、組織のギスギス感が減ることはない。

たくさんのキレイゴトを並べたところで、そこで働いている人の不満というのは「人」に集約する。

でも、その「人」を変えることはとても難しい。

だとすると、膿を出したところで何の意味があるのだろうか? と僕は思ってしまう。

もっと言うと、その不満の対象が例えば社長(もしくはそこまでではなくても、人事的に変えることが困難であるくらい偉い人)である場合、解決策なんてないよね、と僕は思うのだ。

表面的に対応が変わったように見えたとしても…

確かに、「部下からの意見を受けて、社長の対応が変わる」ということが100%起こらないとまでは言えない。

でも、まあ現実的には起こらないことが殆どだ。

表面上の対応は多少良くなったとしても、根本にある考え方や価値観は変わらない。

となると、組織内の不満だって変わらない。

それって、おかしなことを言っているのだろうか?

僕にはよくわからない。

少年誌と青年誌

組織開発はファンタジーだ。

僕はそう思う。

「皆が腹を割って話し合えば、心の底から理解し合える」なんて少年誌のようなことは起こらない。

「人の心の奥を知れば知るほど、人のことが嫌いになる」それが青年誌の常識なのだ。

それを理解しながらも(理解せず?)、コンサルはそれっぽい言葉で人事部辺りに吹き込む。

温室育ちの人事部はそれを鵜呑みにする。

「人は人と分かり合えるはずだ」

そうだね。

そうだったらいいね。

僕もそう思う。

でも、そんなことは起こらない。

ファンタジーとリアル

「それはやり方が悪いからだ!」

きっと人事部や、その奥にいるコンサルはそう言うだろう。

確かに、そうなのかもしれない。

ただ、営業をやっている身からすれば、クライアントにその責を求めるのってどうなのか、とも思ってしまう。

「これだけの素晴らしいものを作ったのだから売れるはずだ!」

「売れないのは、消費者がその良さを理解できない(馬鹿だ)からだ!」

そうやって日本の(電機)産業は衰退したのでは?

ファンタジーはファンタジーの中でやって頂ければいい。

僕は現実の中で、組織を良くすべく、違うやり方で活動していくつもりだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

理想と現実。

それを混同し、「理想が実現できないのは、そのやり方に問題があるからだ」考える人がとても多いように感じています。

確かに、そのような要素がないとまでは言えないでしょう。

やり方如何によって、改善の度合いが変わることは起こり得る。

でも、そもそもの製品(提案物)に問題があるとは考えないのでしょうか?

僕は「ユーザー側に問題がある」と言ってしまう会社には、やっぱり何らかの問題があると考えてしまいます。

もちろん、言わんとしていることはわからなくはありません。

ただ、それを言っちゃあおしまいなのでは?

組織開発についても同じニオイがします。

コンサルファームの言うことを鵜呑みにせず、適切な距離間で付き合っていきましょう。