心を売って金を稼ぐ

思春期の中学生のような話
今日は思春期の中学生みたいな話をする。
マネジメントという仕事を10年近く続けてきた。
そして、時々タイトルみたいなことを思う。
「心を売って、金を稼ぐ」
もちろん、本当に若い頃に比べれば、僕は図太く、鈍感になった。
ただ、それでも時々心がささくれ立つことがあって、その時に「何でこんな仕事やってんだろうなあ…」と思うことになる。
でも、それは僕だけではないようで、だからこそFIREみたいな話が世間でも一般的になった訳で、みな仕事からの離脱を夢想しながら働いているのかもしれない。
「もし、生活に困らないだけの収入が確保されるなら、あなたは今の仕事を続けますか?」
この問いに対して、僕は声高らかに「NO!」と言うだろう。
というか、そこまでして働く必要なんてあるのだろうか、そんなことまで思ってしまう。
今日はマネジメントという話とはちょっと違うかもしれないけれど、そんな話(愚痴?)をしていこうと思っている。
それでは始めていこう。
曲がったことが嫌いな自分も嫌い
「理不尽なことで怒られる」
「下げなくてもいい頭を下げる」
何だかひどく日本人的な話だけれど、そんなことを思う時がある。
そして、僕はそのような振る舞いがとても苦手でもある。
いつもこのブログを読んで下さっている方ならわかると思うけれど、僕は曲がったことが嫌いであり、おじさんになった今でも、そこには強い拘りがある。
もう少し器用に出来たらいいとは思うものの、上手に出来ず、またその上手に出来ない自分に自己嫌悪を抱いたりもする。
「仕事は仕事である」
「割り切ってやればいい」
そんな偉そうなことをブログでものたまっているけれど、実際の僕はそんな調子である。
当たり前のことができない苦しさ
僕は営業の仕事をしている。
だから、お客様から叱られることもある。
大抵は部下が何かをしてしまった、お客様にご迷惑をお掛けしてしまった、そのようなことから始まる。
そして、お客様のところに向かい、お話をお伺いすると、大抵の場合はお客様の仰っていることが正しく、こちらの対応がマズいことが多い。
その度に心がギュッと痛くなる。
それを社内に持ち帰って、どうにかしてリカバリーする術はないかと上司に掛け合っても、杓子定規な回答ばかりであり、また会社としてそのように対応すべきであるという判断になることも多く、そこでまた辛くなってしまう。
「なぜこんな簡単なこともできないのか!」
お客様の言うことはごもっともであり、僕もそのように思う。
でも、僕が思う方向性での対応は会社の方針もあり、することができない。
このジレンマ。
それが僕はとても嫌である。
わかってはいるものの…
もちろん、こんなことは特別なことではなく、どこにだってある話なのだとは思う。
そして、そのようなことだけで「仕事辞めたいな…」と思う程僕はもうナイーブでもなくなってしまった。
ただ、同時に「それってやっぱりおかしいよな」とも思う。
「もう少し何とかならないものか」
そのようなことを思う。
でも、何ともならない。
「それって仕事としてどうなん?」
「それで金貰ってるってどうなん?」
そんなことを思ってしまうのだ。
罰ゲームをやって金を稼ぐ
たくさんの理不尽なこと。
それに巻き込まれるのがマネジメントという仕事なのかもしれない。
様々な利害が重なり合い、その渦の中で揉まれるのがマネージャーというものなのかもしれない。
その痛みを僕は金に換えている。
これはよく言われる話である「管理職はそれ込みの報酬である」ということをただ言い換えているだけなのかもしれない。
でも、それだったらそんな報酬なんていらないから、もう少し真っ当な仕事をしたいよな、とも思ってしまう。
というか、だから皆「管理職は罰ゲームだ」と言うのだろう。
「罰ゲームをやって金を稼ぐ」
何だか出来の悪いコメディのようだ。
ボランティア・ワーク?
僕は自分で仕事のやり方をコントロールするのが好きだ。
だから、プレイヤー業務は向いていると思う。
自己管理できるし、誰に指図されずとも、規律を保つことができる。
それは僕の長所だと思う。
でも、マネージャー業務は違う。
僕の思いの寄らないところで思いの寄らないことが起こり、それも突発的に起こり、それに四六時中振り回されるというのがマネジメントという仕事であるから。
そして、そこにたくさんの関係者がいること、そのそれぞれの利害がそれなりに理解できてしまうことにも僕は疲れてしまう。
とても不機嫌そうな顔の人たち。
不誠実とまでは言えないけれど、狭量で、責任感のない人たち。
その中で僕はバランスを取る仕事をずっと続けている。
それは別に求められているものではないのかもしれない。
僕が勝手にそのようなことをしているだけであり、誰も何とも思っていないのかもしれない。
「だったら、やめてしまえばいいのに」
自分でもそう思うけれど、それができないのが、自分でもとても辛いのである。
ただ甘えているだけ?
たくさんの理不尽。
それに伴うそれなりの対価。
結局のところ、僕はそれで上手い飯を食っている訳であり、ただ甘えたことを言っているだけ、そう思えなくもない。
変な話をしてしまった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
対価が少なくなってもいいから、もう少し気楽な仕事を。
多くの人が思うことを、僕も考えています。
日本はとても良い国だと思いますし、僕も好きですが、時々とても息苦しいなと思う時があります。
その要因の1つとして「働き方」があるのではないかとも思っています。
そしてその働き方を規定している要素の1つにマネジメントがあるのではないか、それを変えなければならないのではないかと考え、僕はこのブログを立ち上げた訳です。
まだ道半ばではありますが、少しでも良くなることを願って、もう少し続けていこうと思っています。
引き続き読んで頂けたら幸いです。