線を引くと対立が生まれる

UnsplashWill Francisが撮影した写真

こちら側とあちら側

今日は組織に蔓延るセクショナリズムについて書いていこうと考えている。

また、それを打開するための方法として、「境界線を曖昧にする」ことを提案しようと思っている。

ジョブ型雇用ジョブ・ディスクリプションの話が昨今広がってきたけれど、そしてそれは良いものだと捉えられているようだけれど、僕はちょっと懐疑的である。

というか、実際問題として実現不可能なのではないかと感じている。

自分の仕事の範囲がどこまでなのか、仕事をどのように定義するか、というのは概念としてはよくわかるし、そうあったらいいなとは思うけれど、どちらかというと理想主義に近いものであって、そのような考え方を持ち出すことが却って対立を生むことになるのではないかとすら思っている。

ジョブ型雇用(ジョブ・ディスクリプション)というのは、「線引き」のことである。

でも、境界線を定めると、「こちら側」「あちら側」が生まれる。

そして、それは対立を生じさせる(歴史を振り返るまでもないだろう)。

もしかしたら線を引かなかったら生じなかったであろう対立まで引き寄せて。

それに対して、(何だかイメージは良くないようけれど)境界線を曖昧にしてみたらいいのではないかと僕は今考えている。

周辺にいくほどぼやけていく境界線。

それは必ずしもネガティブなことではないのでは?

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

曖昧性の排除は良いこと?

日本社会の曖昧性。

それが組織の活力を奪っている。

だから曖昧性を排除し、境界線を明確にすべきである。

そのような考え方が普遍的になっているような気がしている。

そして、僕もその論調には賛成方向である。

というか、「であった」という方が適切かもしれない。

今の僕はそのような論調に対してやや懐疑的になっている。

というのも、自分が仕事をしていても、組織を分けると、また役割を明確化すると、そこに要らぬ対立が生まれて、かえって生産性を下げているような事態に直面することが増えているからである。

強制力がなければ人間は動かない

いつの頃からか、「アメリカ型マネジメント」が盲目的に良いものだと信じられ、「日本型マネジメントは遅れているからアメリカ型マネジメントを導入すべきだ」ということがある種当然のように言われるようになったと感じている。

そして、僕もその片棒を担いでいたような気もする。

ただ、マネージャーとしてもうすぐ10年になろうとしている僕が最近思うのは、真にセクションを分け、その人のジョブを明確化する為には、解雇権や減給権を伴う必要がある、ということである。

これがなければ、強制力が働かないから。

そして、人間というのは、往々にして「やらなくていいことはやらない」という(怠惰な)生き物であるから。

権利を主張し、義務は履行しない者が得をする社会

僕は中途半端にジョブ型雇用が日本に導入された(されつつある)ことによって、「権利を主張するが、義務は履行しない者」が圧倒的に得をするような状態が生まれてしまったと感じている。

それによって、多数の善意の人達が蔑ろにされ、やる気を失ってしまったと思っている。

結果もたらされたのは、モラールの崩壊というか、タガが外れたような現在の状況である。

「それは私の仕事ではない」と平気で言い放つ多くの人達。

それに対し、対抗する術を持たないマネジメント層。

仕事の領域を狭める為の正当性を付与してしまったジョブ型雇用

自分の仕事の領域を狭めれば狭めるほど得になる状況の中で、誰が進んで「間に落ちる仕事」をやろうとなんてするだろうか?

錦の御旗のようなジョブ・ディスクリプション。

仕事の領域を狭めることに正当性を付与してしまったジョブ型雇用。

それと共に、日本企業の強さも失われてしまったのではないか?

僕はそんなことを考えている。

責任の不明確性は問題ではあるが…

確かに仕事の領域を定めると責任の範囲が明確化するし、責任の範囲が不明確であることは日本社会における大きな問題であると思う。

それによって、多数の不幸な人たちが生まれてきたことも事実である。

でも、上記したように、ジョブ型雇用はその解決策ではない。

だとしたら、何が解決策になり得るのか?

ジョブという円の境界線がぼやけ、重なり合っている状態

僕が今考えていることは「境界線を曖昧にすること」である。

もしくは、「ジョブの拡大」のようなイメージである。

そして、ここには「ジョブという円の重なり合い」も関係している。

何らかのセクションに、その個人が単独に属しているから、問題になるのではないか?

そんな問題意識を僕は持っている。

仕事の複業化

こちら側に自分が属していて、あちら側に自分が属していないのであれば、こちら側の仕事を減らし、あちら側に仕事を押し付けることは有効な戦略である。

でも、あちら側にも自分が属しているのであれば、その効果は消える。

これは「仕事の複(副ではなく)業化」と言い換えても良いかもしれない。

様々なチームに、自分が属しているような状態。

自分のジョブが拡大することと、様々なチームに自分が属することが、同時に進行していくことで、境界線がぼやけ、その意味を失くしていくような状態。

それがジョブ型雇用の進化版なのではないか?

まだ概念段階ではあるけれど、僕はそんなことを考えている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「○○課」とか「○○部」とか名称を付けるから、そこに対立が生まれるのではないか?

そんなことを考えています。

それはもしかしたら、そのような対立構造を作ることで、競争意識が生まれ、成果が伸長する、というようなことを(会社側が)企図して作られたものなのかもしれません。

でも、終身雇用でも年功序列でもなくなってきた現代において、そのような対立構造(煽り)に意味があるのでしょうか?

僕が今考えているのは仕事の複業化(のようなもの)です。

仮に課とか部とかを分けたとしても、様々なチームに同時に属していたら、対立構造を弱められるのではないか?

利害が対立するから人間関係は面倒なことになる訳で、それが同じ方向に向くのであればもう少し気持ちよく働けるようになるのでは?

やや理想論的なきらいはありますが、方向性としては悪くないような気がしています。

何か良いアイディアがあれば教えていただけたら幸いです。