弛緩した組織

UnsplashKatie Barrettが撮影した写真

権利だけ主張する人の圧勝

組織が弛緩している。

というか、モラルやモラールが崩壊している。

そんなことを思う時がある。

いつの頃からか、「休みはきちんととりましょう」であるとか「残業はなくしましょう」とか「フレキシブルな働き方を尊重しましょう」とか、そういった類の話が普遍化するようになって、組織から規律が失われていったように感じている。

もちろん、その原因(発端)は組織側にある。

今までロクな対応もせず、従業員を酷使し、都合よく使ってきた会社側に対して、その対抗策というか、自己防衛策というか、そのような側面からこのような話が広がっていったのだろう。

ただ、その結果、色々なところに歪みが出てきている。

片方に「そうは言ってもきちんと義務を履行する人」がおり、もう片方に「権利だけを主張する人」がいる。

そして、「権利だけを主張する人」の方が圧倒的に優勢になっている。

結果、「義務を履行する人」に仕事が偏り、だからと言って報われる訳でもなく、何だか真面目に働いていることが馬鹿らしく思えてくる、そんな状態が続き、組織からモラルやモラールが失われていった、それが現在である。

そのような現状に対し、マネージャーは何の術も持たない。

ただ打たれ続け、責任を負わされ続ける。

それってやっぱりおかしくないか?

今日はそんな話である。

ルール策定は悪手

「ルールを定めると、かえって上手くいかなくなる」

これが僕が10年近くマネジメントをやってきた実感である。

「ルールで縛る運営をやりだしたら、チームは崩壊へ向かう」

これを聞いて、「ん?」と感じる方もいると思うので、もう少し詳しく説明する。

「ルールの範囲ならOK!」なのか?

ルールを定めると、「そのルールの範囲内ならOK!」と考える人が生まれてくる。

そりゃそうである。

それがルールというものの本来的な意味であり意義であるから。

でも、仮に「ルールの範囲内ならOK」であったとしても、「流石にそれってどうなの?」と思うようなことは日常的に起こり得る。

例えば休暇を取るのは従業員の権利ではあるけれど、チームの全員が同じ日に休みを取ったら流石にマズいと誰もが思うだろう。

ただ、そんなことはルールに明文化されている訳ではない。

だから、厳密に言えばこれだって「ルールの範囲内」であり、「OK」であるはずなのだ。

それを真正面から主張されれば、僕たちマネージャーに対抗する術はない。

下手をしたら、「休みを取らせないのはパワハラだ!」というようなことにだってなり得る。

でも、仕事の運営上、本当に全員が同時に休まれたらとても厳しい事態になることは明白である。

このような事態。

それが職場のあちらこちらで起きているように僕には感じられる。

ルールと解釈

ルールを作ると、ルールを上手に解釈し、自分の都合の良いように利用する者が出てくる。

反面、その空白を埋めようとしてくれる者もいる。

でも、後者が報われることはない。

となると、後者は段々と馬鹿らしくなってくる。

「なぜ自分がアイツの仕事の穴埋めばかりをしなければならないのか?」と。

ルールを破っている訳ではないところに難しさがある

ただ、ここで難しいのは、前者が別にルールを破っている訳ではないという点である。

定められたルールの範囲内で、権利を主張することは何ら悪いことではない。

むしろそれが奨励されていたりもする。

「会社が有給取得を推進しているのに、逆になんであなたは休まないんですか?」

そのように非難されたりもする。

それも間違ってはいない。

でもさ、というのが今日の話である。

どうぞお好きに

僕は権利の主張は好きなだけやればいいと考えている。

それもルールがあるなら、その範囲の中でなら何でもやればいいと思っている。

でも、「それだけではないよね」ということは、少なくともマネジメント層以上の中では共有されているべきではないかとも思っている。

線を引かないこと(曖昧であること)は劣勢ではあるが…

僕は「正直者が馬鹿を見ない」状態を望んでいる。

「真面目に働いている人が報われる」ことを願っている。

それはルールで明文化できるものではない。

でも、そこに確実に存在しているものだとも思っている。

これは「常識」や「良識」「文化」や「倫理」、そのような言葉と言い換えることができるのかもしれない。

そして、それらのものは「不確かだ!」と否定され易い時代であることも十分に理解している。

「そのような暗黙の了解や無言の圧力があるから、休みづらいんじゃないか!」

そのような言説が大勢を占めるであろうこともわかっている。

でも、本当にそうなのだろうか?

権利と義務と評価と処遇

繰り返すが、僕は権利の主張は好きなだけやればいいと思っている。

ただ、そこには「評価」が伴うべきだし、その評価如何によって「処遇」に差が出ることも必要だと思っている。

ルールに明文化されていないことであっても、権利には義務が伴うよなと自ら考え、チームの為に働こうとする者が報われるべきなのではないか?

確かに義務を履行すべきだとはルールには書いていないのかもしれない。

そしてご時世的にそれは書けないのかもしれないし、書いてはいけないのかもしれない。

でも、僕はそういう人を評価したいと思うのだ。

弛緩した組織で働くのはもうウンザリだから。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

やりたいもん勝ち。

言ったもん勝ち。

そういう状況に疲れてしまっています。

もちろん、やるのも言うのも自由です。

でも、自由には対価が伴います。

それを認識した上で是非行って頂きたいものです。

好き勝手やりたい人はその人たちだけで独立して頂けないでしょうか?(マネージャーも含めて)

僕はそうじゃない人たちと仕事をしていたいと考えています。

何だか変な話になりましたが、引き続き読んで頂けたら幸いです。