マネジメントは生き方みたいなもの

1人よりもきっと多い潜在的な味方
何だか思想めいたタイトルである。
書いてみてちょっと嫌な気持ちになったけれど(僕は居酒屋のトイレにあるような親父の小言や相田みつをみたいな感じがあまり得意ではない)、今日のテーマとして掲げたものだし、そのような趣旨のことを書いてみたかったので、もう少し我慢してお付き合い願いたい。
そうなのだ。
仕事をしていると、それもマネジメントという仕事をしていると、毀誉褒貶、本当に色々なことがある。
その度に自信が揺らいでしまいそうになる。
でも、10年近くこの仕事を続けてきた僕が思うのは、「きちんと仕事をしていれば見ていてくれる人はいる」ということである。
ずっと前にこのブログの中に「1人の味方を見つけよう」ということを書いたけれど(確か本当に初期の頃だ)、今日の話はそれがどうやったら見つけられるか、という話に近いかもしれない。
そして、それはもしかしたら1人よりも多いかもしれない、というところに僕のこのブログを始めてからの成長があるような気もしている。
普段仕事をしている中では気づけないような潜在的な味方。
それを見つける方法とは?
というか、味方を生む方法とは?
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
問われ続け、疑われ続ける
仕事に対するスタンス。
それが露骨に出るのがマネジメントである。
そう言ったら言い過ぎかもしれないけれど、実際のところ本当にそのように感じている。
仕事において何を重視しているのか?
それを問われ続けるのがマネジメントであり、かつそれを疑われ続けるのがマネジメントなのだ。
生き方。それしかない。
そのように書くと、「確固たる自己」みたいなものが必要なのではないか、と思われる人もいるかもしれない。
どのような事態が起きても揺らがないような自信、それがないとやっていけない、そのように感じるかもしれない。
確かにそれらがあるに越したことはないとは思う。
でも、マネジメントという仕事をした(している)方なら、そんなものは持ちえないということを体感としてわかっているとも思う。
日々自信が喪失していく。
その中で信念を貫き通すのはなかなか困難なことである。
その際に拠り所となるのが、生き方である。
というか、それしかない、というか。
万人受けなど不可能
どう背伸びをしたって、自身を繕ったって、この僕はこの僕でしかない。
好きなものや嫌いなもの、それを誤魔化しながらやってはいるし、それはある程度成功したりもするのだけれど、何だかんだ言っても原点に戻ってくる、そんな感じである。
でも、だからと言って、その等身大の自分が万人受けするとは思えないし、実際に万人受けはしない。
ただ、そこで揺らがずに、ブレずに続けていくと、ふとした瞬間に味方がいることに気づくことがある。
それも1人だけでなく、それなりの数の味方がいることに。
孤軍奮闘・五里霧中
今日の話はその不思議さについての話と言えるのかもしれない。
何だか禅問答や哲学みたいなことを書いているような気もするけれど、それは求めようとして求められるものではない。
別に狙ってそっちの方向に進もうとした訳でもない。
どうにも気持ちが悪いから、そちらの方向に進まざるを得ないから、進んだだけであって、そこに何らかの打算があった訳ではない。
どちらかというと孤軍奮闘・五里霧中(・四面楚歌?)、そのような気分で進んできた訳である。
それも険しい顔で。
でも、ふと顔を上げると、そこにはいつの間にか日が差していて、そこにはそれなりの数の味方がいることに気づく。
自分なりの価値観や正義は独善と紙一重
自分なりの価値観や正義というのは、一歩間違えれば独善に繋がるものである。
そうやって孤立していく、というのはよく見られる現象ではある。
そして、僕自身もそのような傾向を持っていることは自覚している。
でも、今日の話は必ずしもそうではないのではないか、ということである。
外ではなく内へ
自分なりの価値観や正義を他者に向けるのではなく、自分に向けていくこと。
ある種の内省や葛藤のようなものを抱えていくこと。
それは孤独な作業ではある。
でも、その暗がりを抜けると、開けた場所に出る。
もちろん、まだ森の中ではある。
その先にはまた暗闇が広がっている。
ちょっとした踊り場。
でも、それがあるだけで、もう少しだけ先に進もうかという勇気が湧いてくる。
自己肯定感の減少との闘い
真っ当なことを言うこと。
真っ当な仕事をすること。
それがどうにも批判される世の中ではある。
そして、そのようなやり方は時代遅れなのかなとも自分でも思う。
ただ、そこで独善的にならず、他者にある程度寛容でありながら、自分の信念を貫いていると、静かな賛辞のようなものが得られることがある。
もちろん、それが何らかの力を持つ訳ではない。
ただの自己満足と言われれば、まあその通りだろうと僕だって思う。
でも、少なくとも自己卑下のようなものは減じることができる。
自己肯定感の減少を抑えることができる。
マネジメントとはこの自己肯定感の減少との闘いのようなものだ。
それが出来るか出来ないかでは、マネジメントの成否は大きく変わる。
そうやって、騙し騙し仕事をしていくしかないのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
普遍的な価値観のようなもの。
世代問わず、受け入れられる考え方。
僕はおじさんになりましたが、相変わらず若い世代からもそれなりの賛辞を得られています(勘違いかもしれませんが)。
それは誰かに阿るとか、ウケを狙うとか、そういうことをせず、淡々と自分の為すべきことをしているからだと自分では思っています。
そして、僕自身そのような自分と上手く折り合いを付けられるようになってきたというか。
独善や自分勝手、それと信念の維持のバランスは難しいですが、そのような綱渡り(タイトロープ・ダンシング)が出来れば、マネジメントという仕事はそれなりに楽しくなります。
時に宙返りでもかましてやりましょう。