相互不可侵条約による停滞

仕事のソロプレイ化
役職者たちの相互不可侵条約。
職階が上がれば上がるほど、お互いに余計なことは言わないというあの感じ。
それによって、職場には停滞感が漂っている。
そんなことを思う。
いつの頃からか、仕事におけるチームプレイが減り、ソロプレイが増えた。
何を契機としてそのようになったのかは定かではないけれど、気が付けばこうなっていた、それが現在地点である。
それはある種ジョブ・ディスクリプションによって正当化されたものと言えるのかもしれない。
各自が自分の仕事の領域を定め、それ以外のことはやらないし、口出しもしない。
こうして職場は一見平穏になった。
でも、それって本当に良いことなのだろうか?
「それは私の仕事ではない」という言葉。
問題があっても見て見ぬふり。
それを変えるには「仲よくケンカする」しかない。
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
一見何の問題もないけれど…
「物凄く問題があり、崩壊寸前という訳ではないのだけれど、どんよりとした停滞感があり、将来的にはかなりマズい状況になっていることがほぼ確実に予見されること」
現在の職場について僕が感じるのはこのようなことだ。
毎日を平穏無事に過ごしていくには、何の問題もない。
見ようとしなければ、特に見えるものでもない。
ただ、それが本当に毎日続くなら、確実に悪い将来が訪れること。
その気配が確実に忍び寄っていること。
それはきっと当社だけではなく、日本社会全体に言えることであるような気がしている。
問題の先送りを続けて早30年
別に今日や明日のメシに困る訳ではない。
また、少なくとも自分が役職者として在籍している間に大きな問題が起きる可能性も低いだろう。
そのような問題の先送り。
それは昨日今日始まった訳ではない。
この30年間、そんな感じである。
そういう意味では、「何も起きなかったじゃないか!」という言説は一定程度真理を帯びている、と言えなくもない。
大きなトラブルが起きた訳でもなく、今日もメシにありつけているのだから。
ただ、本当にそれでいいのだろうか?
生産性の圧倒的な低さ
徐々に死んでいくこの状況。
体が壊死しているようなあの感じ。
これは経済指標によく表れている。
日本の2023年の1人当たり名目GDPは世界34位という体たらくである。
また、他国が年々その数値を伸ばしているのに対し、日本は年々低下し続けている。
これは「名目」GDPなので、為替が関係しているのは事実だろう。
ただ、それを鑑みてもどうなのだろうか?(というか、円安になっているのは国力の低下の証左と言えなくもないのではないか?)
もちろん、GDPだけが国力を測る指標ではないのはその通りだろう。
また、幸福度の尺度として適切でないのもその通りと言えるのかもしれない。
ただ、そのような要因を差し引いたとしても、日本が停滞していないとは言えないだろう。
マネジメント不全はずっと変わっていない
「日本社会の問題点として、マネジメント不全がある」
それが僕がこのブログを立ち上げた時の問題意識である。
それは現在も変わっていない。
そして、そのマネジメント不全の改善に向けて必要なことは、相互不可侵条約の破棄である。
自分の仕事の領域から出ること。
境界線を明確にせず、ぼんやりとさせること。
それが必要なのかなと考えている。
調整文化
ただ、それは言うは易く行うは難しである。
「余計なことはするな」
それが日本社会で上手に生きる術であるから。
それが体に染みついてしまっているから。
空気を読み合って、お互いに不干渉でありながら、上手に物事を調整させていくこと。
それはある意味では僕たちの長所であるとも言える。
でも、その長所を僕たちはいつの頃からか失ってしまった。
業務外の時間を共に過ごすことで育まれた心理的安全性
それはたぶん勤務時間外の活動(例えば「飲みにケーション」)の減少とも関係している。
飲み会や社内行事、そのような仕事以外での付き合いによって、僕たちは相互に仕事以外の側面を知り、ある意味では現在流行りの「心理的安全性」を担保していたと言える。
もちろん空気は読み合うのだけれど、本当に言わなければならないことは言うというか、適切に領土侵害をするというか、そのような関係性が維持されていたと思う。
それはもう現在には存在しない。
そして、それを復活させることも適切ではない。
となると、どうしたらいいのだろうか?
言うのは簡単
心理的安全性の確保。
言葉で言うのは簡単だ。
でも、それがなされないから、皆相互不可侵条約を結び、城壁の中に閉じこもっているのだ。
それを壊すには?
対話をするしかないのでは?
冒頭に「仲よくケンカする」しかない、と僕は書いた。
ただ、仲よくケンカする為には、言いたいことを言っても大丈夫だと思えるような関係性が築けていないといけない。
そして、そのような関係性を構築する為には、やっぱり話をするしかないのだ。
結局のところ、「対話」こそが問題の解決策なのだと僕は思う。
それは仕事以外の場で行われなくても良いのだと思う。
飲みにケーションを復活させなくても、何とかなると僕は考えている(続きは次回で書こうと思っている)。
対話を。
対話を。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
尻切れトンボのようになってしまいました。
ただ、今回の話はとても根深いもので、そう簡単に記述したり、解決したりできるものではないのかなとも思っています。
たぶん僕らは良かれと思って空気を読み始めたはずです。
でも、それがいつの頃からか不信感に繋がり、「我干渉せず」というのが大人の作法のように扱われるようになりました。
「それやめね?」というのが僕からの提言です。
面と向かって言うこともなく、陰で文句ばかり言うのは子供の振る舞いです。
トムとジェリーのような関係性を築いていきましょう。