「わからせる」ことも大事

実力を勘違いしている人達
成果主義や年功序列の廃止といった流れを受けて、年齢や経験年数ではなく、その実力をもって評価を行うべきだ、という考え方が徐々に広まってきているように感じる。
そして、それを僕は望ましいことだと考えている。
「働かないおじさん論」はやや安直過ぎるとは思うものの、職場にはたくさんの「働かない人たち」がいて、その人たちがなぜ厚遇されているのかと疑問に思うのは、ある意味では自然なことだと思うからだ。
ただ、それと共に、(若手を中心に)「勘違いしている人」も増えてきたように思う。
自分の実力を過大評価している人達。
それはそれでまた問題であるように感じる。
基本的に僕は実力主義に賛成であるが、それはある程度客観的な基準に基づいて行われるべきだとも思っている。
でも、残念ながら実力を「客観的な基準」で測るのはなかなか難しいことである。
かといって、そのような「勘違いしている人」たちを野放しにすることもできない。
さて、どうしたらいいのだろうか?
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
何によって評価されているのかわからない人の増加
実力と評価の乖離。
どの時代においても問題とされる事柄であるだろうけれど、昨今においても同様に問題となっている話である。
そこにはきっと分業化と成果主義が関係している。
個々人の仕事が分業化(専門化)することによって、被評価者の仕事がどの程度の難度であるのかが判然としない(またお互いの領域に立ち入らない)、ということが頻繁に起きるようになった。
加えて、成果主義の昂進によって、成果を過大にアピールすることが言わば日常化することとなった。
結果として、「何によって評価されているのかよくわからない人」が職場に溢れることとなった。
それは他者にとってはもちろんのこと、本人にとっても同様である。
本当の実力を試すことなく、そのまま来てしまった人たちの増加。
それが現代の職場の日常風景である。
二つの意味で働かない人達
もちろん、それで何の問題も起きないのであれば、それでいいのかもしれない。
「本当の実力」なんてものを知らなくても、日々が円滑に回るなら、そんなことに囚われる必要はない、それは確かにそうだろう。
ただ、冒頭にも書いたように、それによってたくさんの「働かない人たち」が職場には溢れるようになったと僕は思っている。
これは「意欲」という意味でもそうだし、「実力」という意味でもそうだ(というか、両方を兼ね備えているのが真の実力なのではないだろうか?)。
それにより、「真の成果」は凡庸なものになった。
喧伝されている成果とは大きく乖離するくらいに。
これを変える為にはどうしたらいいのだろうか?
相互理解が必要なのでは?
結構難しい問題であると僕は思う。
先述した通り、個々人の仕事は分業化されているし、成果(アピール)主義による評価の流れも大きくは変わらないだろうから。
でも、そうすると、「ガワ」だけ取り繕うことが良いことだ、と考える人が益々増加してしまうようにも思える。
結局のところ、僕たちは互いの仕事を知らないし、知ろうともしていないのだ。
そのような相互の無関心が、この問題に拍車をかけているようにも思える。
となると、「わからせる」為には、相互理解がそのヒントになるように思えてくる。
身の程を知る為に
もちろん、分業化の流れは変わらないだろうし、その仕事を真に理解するというところまで行くのは難しいだろう。
でも、今よりは知ることはできるのではないだろうか?
もう少しお互いの仕事に関心を持ち、そこで起こっていることに目を向けることで、その仕事がどのくらいの難易度のものなのかがわかってくるはずだ。
そして、それは自分自身の身の程を知ることにも繋がっていくのでは?
違う競技であっても
表現が難しいけれど、サッカー選手がセーリング選手の凄さを真に理解することは困難であるはずだ。
ただ、競技は違えど、同じアスリートとして共通する部分は間違いなくあるものだと僕は想像する。
そういう意味では、お互いの仕事を知り、そこに敬意を払うことによって、それぞれが自分の立ち位置をわかっていくのではないか?
そのような仮説を今僕は持っている。
お互いの仕事に興味を持とう
やや理想論的なきらいはある(僕は理想主義者なのだ)。
でも、若手を中心として、自分自身がどの程度の力を持っているのかを試さないままここまで来てしまったことを変えることはできないし、それ自体はある種仕方のないこと(本人に責がないこと)だとも思うのだ。
ただ、それをそのまま放置して、お互いに不幸になるのも違うような気がしている。
それぞれが実力を知ることで、自分も向上していく必要があるのではないかと思う人もその中には出てくるだろう。
僕自身ももう少し自分の仕事を理解して貰うような努力が必要なのだ、きっと。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
成果主義の影響なのか、以前と比べてお互いの仕事に無関心になってきたように感じています。
隣同士の机であっても、案外やっていることは知らないもので、それはそれでどうなのかなと僕は思っています。
一見すると、平穏な職場。
でも、何だかつまらないようにも思えます。
ただ、そうかと言って、現代の職場において「お互いの仕事を知る」ことをどうやったら実現できるのかはまだよくわかっていません。
このことについては、もう少し考えてみようと思っています。
引き続き読んでいただければ幸いです。