やらないとできない

ナニモノ化願望
今日のタイトルはダブルミーニングで、「やらないとできるようにはならない」という意味と、「やらない」と「できない」という2つの単語の意味の違い、について書いていこうと思っている。
これは部下の育成において、最近特に強く感じていることである。
コスパなのかタイパなのか、その根元にある考え方はわからないけれど、多くの若手たちは「ナニモノか」になりたがってはいるものの、それが特段の努力もなく、一気に手に入るものだ(入ってしかるべきだ)という考え方を持っているような気がしている。
でも残念ながら(そして当然ながら)、そんなことは起こらない。
それなりの時間と労力を費やさない限りは、何かができるようにはならない。
また、そこには「できない時間」というか「できない自分」というか、そういったものを受け入れる必要性が出てくる。
それを経ずして、できる自分にはなり得ない。
今日はそんな話である。
それでは始めていこう。
できないからやらないの?
「できないからやらない」
そのような態度を取る人が増えたように思う。
これは何も若手に限ったことではない。
仕事の分業化が進む中で、自分の専門外のことはハナからはやろうとしない人がとても多くいるようになったことを感じる。
これはプレイヤーならまだ理解できるが、管理職になってもそのようなスタンスで仕事をしている人がいるので、僕からすれば大きな驚きである。
そして、それがある程度許容されていることにも。
成長はないぜ?
苦手なもの、やったことがないもの、専門外のもの、そういったものはやらないで済むならそれに越したことはない。
恥やパフォーマンスの低さを晒さなくて済むから。
でも、そのままの状態では成長はない。
そこに早く気づくべきなのだ。
苦闘の中に成長がある
「やらない」ことと、「できない」ことは違う。
できない物事でも、やることはできる。
なので、まずはやってみることが重要だ。
その苦闘の中に成長があると僕は思う。
苦労せず成長することは可能なのか?
もちろん、いらない苦労はしなくていい、そのような考え方は理解できる。
できるだけ失敗をせず、すんなりと成長して行けるなら、その方が望ましいことは言うまでもないだろう。
でも、そんなことって現実に起こり得るのだろうか?
僕にはここがよくわからない。
なぜ仕事となると話が変わってしまうのだろうか?
スポーツでも、音楽でも、絵画でも、初めから上手にできるということはまずないだろう。
もちろん、才能の有無や程度によって、筋が良いとか悪いとか、そういうことは生じ得るとは思うけれど、初心者の内はどうやったって下手なのが当たり前である。
それを恥だと思う人はいないはずだ。
そして、そこから練習して上達していくということにも異論はないはずである。
でも、これが仕事の話となると、変わってくるようだ。
できない仕事が目の前に現れた時、初めてだからできないというのは、ある種当たり前の話である。
ただ、できないことをやらなければ、上達していくこともまたないのも当たり前の話だろう?
それを最初から避けていたら、成長などあり得ない。
まずはやってみることが大切なのである。
勇気の問題
もちろん、ここには周囲のフォローが不可欠だ。
でも、ハナから取り組もうとすらしないのであれば、フォローなどしようもない。
そこに飛び込めるか否か。
それはもしかしたら勇気の問題なのかもしれない。
少年マンガの世界だけでなく
大人になってから、勇気の話をすることは殆どないだろう。
ただ、仕事をしていて思うのは、勇気というのは結構大事な要素であるということである。
これがあれば、成長することができる。
特に現代のような、答えのない時代においては、勇気がより一層重要になると僕は考えている。
できない自分と向き合う時間の重要性
サントリーの鳥井信治郎の「やってみなはれ」という言葉。
失敗を極端に恐れる若手たちが増えた昨今において、この言葉はまた違う語感を持つようになってきたように思う。
やる為には勇気がいる。
それはできない自分と向き合う勇気だ。
コスパ思想は、そのようなできない自分と向き合う時間を捨象しようとする。
できるだけその時間が少ない方が望ましいと考えようとする。
でも、本当にコスパを突き詰めていくなら、その時間程有用なものは僕はないと思う。
そこで成長できるのだから。
その結果、パフォーマンスが改善し、成果が伸びるようになるのだから。
超短期的なコスパに意味なんてない
若手のコスパには時間軸がない。
超短期的なコストパフォーマンスに意味なんてないのに、彼(彼女)らは一様にそれを気にしている。
そんな暇があればやってみればいいのに、そこでうじうじと悩んでいる。
やらなければできるようにはならない。
「やらない」と「できない」は違う。
彼(彼女)らに欠けているのは、勇気なのだ。
異世界転生モノ
跳躍した先にいる自分を描いても、今の自分がジャンプしなければ、そのような自分にはなれない。
異世界転生みたいなこと、オレだけレベルアップみたいなことは、現実には起こり得ない。
そのような願望の現れ。
彼(彼女)らの仕事観には、そんな臭いを感じてしまう。
おじさんの戯言
「若い頃の苦労は勝手でもしろ」
そのようなおじさんくさい話になった。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
模倣可能性と微小な差異に対する異常なまでの拘り。
そんなことをメンバー(特に若手社員)に対して感じることがあります。
「ナニモノ」かになる為には、レアリティが必要なはずですが、彼(彼女)らにはそのレアリティという概念がどういうものなのかすらわからないように僕には映ります。
目が覚めたら、素晴らしい自分がそこにいるわけではありません。
レアキャラになるべく、努力をしていきましょう。