本当の膿は出せないし、出さなくてもいい

UnsplashAccurayが撮影した写真

日和ってるだけ?

組織内に問題があり、それに誰しもが気付いているとする。

でも、そこに触れると、組織自体が大きく揺らぐ可能性がある。

そんな時、あなたならどうするだろうか?

もちろん、あなたが持つ権限の範囲にもよるだろう。

あなた1人で決められることなのか、そうでないのか、によっても判断は変わり得る、それはそうだろう。

この問いに対して、多くの人は「できるだけ触れないようにする」というスタンスを取る。

それに対し、マネージャーに成り立ての頃には「何を日和見主義者が」と思っていたけれど、今の僕にはそのようなスタンスを取ってしまう気持ちもよくわかる。

それはただ単に日和っている訳ではなく(その場合も多いにあるが)、そこに手を突っ込むことで組織がぐちゃぐちゃになり、再起不能になる可能性が高いことを考えて、敢えて触れないという選択肢を取っている場合があるのだ。

そして、そのようなスタンスを取りながらも、組織として成果を出す方法は存在する。

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

外科的なアプローチ

問題へのアプローチ方法。

それが今日の議題である。

以前の僕は、この問題に対して、直接的かつ外科的なアプローチが望ましいと考えていたように思う。

「問題を摘出することで、組織が根治に向かう」

そのようなイメージ。

漢方的なアプローチ

でも、当然ながら外科的なアプローチは身体にダメージを与える

それに対しても、「組織が良くなる為なら、多少のダメージは仕方がない」

そのように僕も考えていた。

それが今は少し違う。

「間接的かつ漢方的なやり方もあるのではないか?」

そう思うのである。

まどろっこしいが、これしかないのでは?

間接的かつ漢方的なアプローチはまどろっこしい。

視認しづらいし、成果もすぐには発現されない。

でも、本当に組織を少しでも良くしたいと考えるなら、これ以外の方法はないのではないかとも思う。

組織の問題の大半は人

残念ながら、人はなかなか変わらない。

そして、往々にして組織における問題の大半は人(属人的)である。

もちろん、人事異動など、人自体を動かしてしまえる可能性があるのであれば、それに越したことはないけれど、実際問題として人を動かすというのは中々困難を伴うものでもある。

となると、漸進的に進むしかないのではないか?

そんなことを思うのだ。

膿なんてない(というかそれだけを取り出すことはできない)

また、組織内に膿というものがあるとして、以前の僕はそれを出さなければ組織が良くなることはないと考えていたようにも思う。

でも、今の僕は少し違う。

膿を出せるならそれに越したことはないけれど、膿を抱えたままでも何とかやっていく方法はある、そんな風に思うのだ。

というか、たぶん本来の意味における膿というものは出せないものだとも考えている。

それは何か個別的なものではなく、複合的なものである。

ある部分を切除したとしても、それは簡単に転移し得る。

そして、切除したことによって余計に悪くなったりもする。

となると、ある一面だけを見るのではなく、全体を捉える必要がある訳で、全体へのアプローチを取る際に、膿を出すという考え方はそぐわないように思うのである。

共感者を増やす

では、漸進的に進むというのは具体的にはどのように実現したらいいのだろうか?

抽象的な話にはなるが、僕はそこにいる成員たちの考え方のベースを上げることが必要であると考えている。

そして、その為には、まず自分が考えていることを話し、そこにいる成員たちの一定数に共感を覚えてもらうことで、仲間を増やしていく必要があるように思う。

そのような仲間が増えていくことで、組織内における「良い行動」と呼ばれるものの質が変わっていく。

結果、以前と比べて組織が少しだけ良い状態になっていく。

こんなイメージである。

スタンスの表明

そう考えると、組織内に問題があると考えた時に、まず取るべき方法は、それに対する考え方(スタンス)を表明することとなる。

もちろん、この表明の仕方は結構難しい。

露骨かつ直接的にアプローチをすると、余計な反発を招く場合があるから。

なので、迂回的にその問題に対して近づくようにする。

表現が難しいが、直接的にその問題に対して明言するのではなく、間接的にそれが問題であるということをそこはかとなく表明する、そんな感じである。

覚悟はあるぜ?

それは冒頭に書いたように、ある種日和見主義的ではある。

でも、組織を壊すことなく、チームを分裂させることなく、良い方向に向かわせる為には、これ以外に方法はないのだろうとも思うのだ。

また、日和見主義とは違うのは、そこに主体的に関わっていく覚悟は持っているということである。

覚悟を持たない訳ではなく、ただ単純にアプローチの方法が違うだけなのである。

時間をかけて組織を変えようと思っているし、それに伴う痛みを背負う覚悟も持っている。

でも、一気呵成にやって崩壊させるのではなく、じわじわとコトを進めていくというこのイメージ。

それができれば、組織を変えることは(困難であることには変わりはないが)可能であるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「組織が良くなることはない」

それはまあ言ってみれば常識みたいな話なのかもしれません。

というか、「人を変えない限り」という「条件付き常識」なのかもしれません。

それでも、それを何とかしたいと願うなら、今日みたいなアプローチ方法は参考になるかもしれません。

覚悟を持って、ジワジワとコトを進めていきましょう。