答えを提示しなくていい

マネージャーは答えを持っているべき?
若手課長からお悩み相談を受けた。
曰く、「マネジメントに自信がない」とのことである。
そして、よくよく話を聞いてみると、彼の頭の中に「答えを提示しなければならない」というような考え方がこびり付いているような気がしたので、「必ずしも答えを提示しなければならない訳ではない」「過程を共有することも大事なことである」ということをアドバイスしてみた。
それについて彼がどのように感じたのかは定かではない。
でも、割と重要なことなのではないかと思ったので、今日はそれを文章化してみようと考えている。
それでは始めていこう。
世の中には指示をされたい人がいる
マネージャーとして仕事をしていると、「答えを欲する人」がそれなりに多くいることに気づく。
ここでいう答えというのは、「具体的な指示」に似た意味で、「これをやりなさい」というようなことを明確に指示して欲しい人が世の中には結構な数で存在することに、僕はマネージャーになってからまず驚いた。
これは裏を返せば、具体的な指示がなければ動くことができない人が多数存在することを意味する。
彼(彼女)らは考えるということを知らない。
自分でどのようにやったらいいかを考えるなんて思いも寄らない。
というか、「それを考えるのが管理職の仕事だろ!」とすら思っている。
これは僕にとってはカルチャーショックであった。
「そうか、世の中には指示をされたい人がいるのだな」と。
答えなんていらない
このようなタイプの人間は、チームの中に少なくとも1人か2人はいる(もしかしたらもっと多くいる場合もある)。
そして、そのような人たちに囲まれて仕事をしていると、いつの間にか「指示をしなければならない」と思うようになる。
また、その「指示」の内容にしても、抽象化せずに具体的に示すことが求められる。
今日のテーマで言えば、「答え」を求められるようになる訳だ。
そうすると、冒頭の彼のように、ある種強迫観念的に答えを提示しなければならないのではないか、と思うようになってしまう。
そんな必要はない。
それが僕からの「答え」である。
「万能であるべきだ」という呪縛
若い頃は特に、「自分は万能でなければならない」という考え方に支配されがちであると僕は思う。
それは自信のなさの裏返しで、「弱みを見せると舐められてしまう」と思ってしまうからである。
でも、考えてみればわかる通り、若手マネージャーがあらゆることに精通しているということはまずないし、周囲だってそんなことはわかっている。
となると、このような「強がり」は無意味であると言える。
また、そのような状態で提示された答えに対して、部下が素直に聞き入れるとは到底思えないのだけれど、そういう動きをついやってしまうのが人間という生き物である。
そこから離れる。
それができるようになると、マネジメントに対する恐怖心がだいぶ薄れると僕は思う。
マッチョな自己像からの離脱
具体的な指示や方針。
それを自信満々に示すマネージャー。
そんな自己像から自分を解放する。
そして、それはネガティブなことではない。
そのような考え方。
プロセスを共有することの大切さ
僕は何年もマネージャーをやってきて、プロセスを共有することの大切さを痛感している。
それはその方が部下の腹落ちを得やすく、結果的に早く大きな成果を手にすることができるからである。
でも、多くのマネージャーはプロセスを共有することをどうしてかやらない。
それはこれまで書いてきたように、「マネージャーは万能でなければならない」であるとか「具体的な指示をしなければならない」という考え方に囚われてるからだと僕は思う。
そして、それは自分だけでなく、周囲も、部下もそのように考えているのだ。
みんなものにしてしまう
そこから逃れる為に、プロセスを共有することをカジュアルにやってしまう。
もちろん、「丸投げ」ではいけないけれど、「答え」に達する途中のもの、出来合いのものを勇気を持って提示してみるのだ。
それはある種「恥を晒す」行為かもしれない。
自分の出来なさを開示する、そのような意味がないとは言えない。
でも、それが出来るようになれば、指示を待っている部下や、年下マネージャーだからと言ってへそを曲げている部下を巻き込めるようになる。
そうやって、自分ができない部分を部下に引き取ってもらうのだ。
そして、そのようなプロセスを経てできた戦略は、「みんなもの」になる。
誰かから「やれ!」と言われたものではなく、自分たちで考えたものになる。
それが腹落ちには重要だし、腹落ちさえしていれば行動に魂が宿るようになる。
行動に魂が宿っていれば、成果が出ることは言うまでもないだろう?
勇気を
「答えの提示」という呪縛から逃れるのは簡単だ。
勇気さえあればいい。
その一歩を踏み出すことさえできれば、自分が答えを提示できないことはむしろポジティブに働くことだってある。
そんなことをぜひやってみたらいいのではないか?
僕は彼にそんな話をしたのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
パーフェクショニズムからの離脱。
現代社会を生きる上でも、マネージャーとして働いていく上でも、大事な考え方だと僕は思っています。
欠点のない人間などいない。
そんな当たり前のことを、自分には適用できずにいる。
そんなもの捨てちまえよ。
それが僕が思うことです。
これは妥協ではありません。
パーフェクトは閉じた世界で、その先にこそ、それを超えたものがあります。
規定された世界、規定された完璧さ、を軽々と超えていきましょう。