部下の階層を意識してみる

UnsplashMert Kahveciが撮影した写真

部下との関係性が悩みの種である人は多い

今日はややきな臭い話を。

部下と話が合わない、どうしてもそりが合わない、そのように悩んでいるマネージャーは多いと思う。

僕もこの10年の悩みの大半はソレであった。

ただ、考え方によっては、その悩みを多少なりとも緩和できるかもしれないとも最近は思っている。

それが今日のテーマである「部下の階層を意識すること」である。

「階層」という言葉には、ネガティブな響きがあり、なんというか「階級」とか「差別」とか「格差」とか、そのようなイメージを喚起させる。

そして、僕が今日言わんとしていることについてもそのような要素が含まれている。

なので、そのようなことに嫌悪感を覚える人は、ここでこのブログを閉じ、是非とも他の有意義なことに時間を使って欲しい。

ここからはそのような話に耐えられる人(かつ現実的な解決策を知りたいと思う人)に向けて書いていこうと考えている。

それでは始めていこう。

階級社会

人にはそれぞれの文化的背景がある。

それは生まれた時の教育や経済状況に左右される。

これは厳然たる事実だ。

日本ではあまり露見されないが、海外に目を転じれば、階級というのは現代でも変わらず存在していることに異論を唱える人はいないだろう。

例えば、イギリスにおいては、話す言語自体が違うというように、そもそもの文化資本とも呼べるようなものが異なっている(インドの話は言うまでもないだろう)。

そして、それぞれの階級間で交わることは基本的にはタブーとされている。

それは余計な衝突を避ける為である。

物理的な距離を空ける

文化的背景が違う者同士が近接すると、問題が生じる可能性が高まる。

それは善悪とか、好悪とかそういう話ではなく、「そういうものだ」としか僕には言いようがない。

文化資本が異なれば、価値観や考え方も変わる。

価値観や考え方が違う者同士の話は、どう考えても合うはずがない。

もちろん、それを着地させるべく努力は必要であるとは思う。

でも、それにも限界はある。

となると、無用な衝突を避けるべく、物理的な距離を空けるというのはある種人類の知恵であるとも言える。

そして、それは部下との関係性においても当てはまるような気がするのだ。

多様性の尊重と権利と義務

10年ほどマネジメントという仕事をやってきた。

その中で思うのは、人間は多様であり、色々な人がいる、という言ってみれば当たり前の事実である。

でも、そのような当たり前の話は、実際に仕事をしていく上では結構なインパクトをもたらす。

「多様性の尊重」というのは、僕自身も賛成で、そうすべきだし、そのような方向に進むべきだと思うけれど、一方でその限界もあることはきちんと認識をしておくべきなのではないかと考えている。

ここには、最近僕がここでもよく書いている「権利意識の拡大(義務規範の縮小)」みたいなことも関係している。

「みんな違ってみんな良い」訳ではない。

その中でもやるべきことはあるし、最低限の規範みたいなものは必要だと僕は考える。

ただし、ここに問題が生じる。

「最低限の規範」が人によってそれぞれ異なるということである。

規範の濫立

表現が難しいが、社会的含意や合意のようなものが解け、「それぞれの規範」というものが前面に出てきたのが現代という時代であると僕は考えている。

そして、それ自体は基本的にはまあ望ましいことなのではないかとも思っている。

でも、同時に、そのような規範の濫立(乱立)が生じると、マネジメントの難易度は上がる。

「こうしろ!」と言えばそれで良かった時代に比べて、それぞれの規範や価値観に合わせた対応をしなければならないから。

その際に1つ考えておくと楽になるのが、部下の階層という概念なのではないか、そんな風に思うのだ。

文化的背景の違い

部下と話が合わない時、どうしても価値観が折り合えない時、僕たちは自分のマネジメント力のなさに不安を覚えてしまう。

もちろん、その力を付ける為に努力を続けることは必要だ。

でも、そこには同時に限界もある。

そして、その限界を規定する要因の1つとして、部下との文化的背景の違いというものがあるように思うのだ。

上下ということではなく

これは自分の文化的背景が優れており、それを誇示するということとは大きく異なる。

逆の場合だって往々にある。

上下ということではなく、あくまでも差異の話なのだ。

そのような両者が存在する時、折り合いをつける為の難易度はどうしたって上昇する。

それはあなただけでなく、誰だってそうなのだ。

だから、必要以上に自分の力のなさを嘆く必要はない。

それが今日僕が言いたかったことである。

「みんな平等」ではない

どうしても日本社会では「みんな平等」という概念が幅を利かせがちだ。

僕はそれに対して、「そうあったらいいね」とは思うけれど、一方でそのような概念が日々生きる上で邪魔になっている場合もあるよな、ということも同時に思う。

残念ながら、人は平等はない。

そこに差異は確実に存在する。

それを直視する必要まではないと思うものの、目を背けるのもまた違うのではないか。

そんなことを僕は考えながら仕事をしている。

予定通りきな臭い話になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「一線を引く」というのは大事な考え方であると思いますが、それを悪いことであると捉える人も(多く)いて、僕にはそれがあまりよく理解できません。

「人間は近づくことが良いことである」と盲目的に信じている人達の方がかえって揉めていたりするのに、彼(彼女)らはそのようには考えないようです。

距離を取ることは必ずしも悪いことではありません。

適切な距離感を取っていきましょう。

キャリア論

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