一流(と呼ばれるもの)に触れる

UnsplashRapha Wildeが撮影した写真

グラグラと揺れる価値観

マネジメントという仕事をやっていると「何が正しいのだろう?」と思う時がある。

例えば部下に話をする際でも、自分の言ったことが正しかったのかわからないまま仕事を続けなければならないのがこの仕事である。

その答えが出るのが(出るとして)10年後とか、そのような時間軸がある一方、日々の決断は決断として求められていく。

すると、自分の中の軸がよくわからなくなってしまう。

ここに他者からの評価が加わる。

他者はこちらの想いなどお構いなく、好きなことを好きなだけ言ってくる。

調子が良い時にはそれにも対処できるのだけれど、ちょっと弱っている時にはそのような何気ない言葉にグラグラと揺さぶられてしまったりもする。

そんな日常の中で、自分の軸を取り戻すために僕がやっていることの1つに一流(と呼ばれるもの)に触れるということがある。

世の中で良いとされているものに触れること。

それによって自分自身の価値判断軸を考えてみること。

時にはそんなことが必要なのではないか?

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

判断の精度を上げるために

マネジメントという仕事をしていると、色々な価値観があって、それに翻弄されることが日常となる。

もちろん、僕自身はしっかりと自分の軸を持っていると自負しているし、ちょっとやそっとではそれが揺さぶられることもないとも思っている。

でも、それを確固たるものというか、もう少し精度の高いものにしたいなあと思う時があるのも事実で、その方法の1つとして今日のテーマのような話があると考えている。

自信がなかった

これはある種「自信の付け方」と言い換えてもいいのかもしれない。

僕はマネージャーになってからずっと自信がなかった。

自分の判断が正しいのかどうか、それが不安なまま仕事を続けてきた。

そして、その解を教えてくれる人や、サポートをしてくれる人は皆無だった。

だから、自分でそれを見つけなければならなかった訳だ。

意識高い系の匂いが…

その時に僕が参考にしたのが、自分の仕事の業界に囚われない、一流と呼ばれる人たちの仕事や作品である。

それも出来れば五感で感じるのが望ましいと思っている。

昨今は簡単にスクリーンを通してそのような情報を得ることができるし、それで確かに多少なりとも参考にはなるのかもしれない。

でも、ライブ感というか、肌で感じるものは別格であるというのが僕の考えである。

と、ここまで書いてきて、「意識高い系」の匂いが充満してきたような気もするので、そこまで肩肘張らなくてもいいということを以下加えて書いていく。

「こんなものか」と思うこと

「一流」と(呼ばれるもの)というのは何でもいいと僕は思っている。

もちろん、上記したように「世間」で言われているような一流に触れることも重要だ。

絵画でもいいし、高級レストランに行くでもいいし、旅館やホテルで接客を受けるでもいい。

エンタメ方向なら、ライブに行くとか、映画を見るとか、スポーツを観戦するとか、そういうものでも構わない。

移動手段でも、ファーストクラスに乗ってみるとか、グランクラスを利用してみるとか、そんなものでも構わない。

とにかく、世間で良いとされているものを一回味わってみる。

そして、「こんなものか」と思うこと。

それが大事であるように思う。

一流と呼ばれるものはそこまで多くないし、たかが知れている

僕自身はこのような体験を通して、(偉そうであるが)「自分もそんなに捨てたものではないな」と思えるようになった。

これは上記したようなサービスなどが期待外れだったということを意味する訳ではない。

一流のものは一流のものとして、とても素晴らしいものだと思うし、中には本当に心を揺さぶられるようなものもあった。

でも、一方で、「そこまででもないよな」と感じるものがたくさんあったのも事実である。

そのような経験を通して、不遜ながら僕が思うのは、大抵の人が言ってくるのはその程度の話であるし、何か想像を絶するような素晴らしいことというのは世の中にはそんなにない、という言わば当たり前のことである。

面倒な回路を辿って

非常に面倒くさい考え方だとは思うけれど、このような回路を通じてしか僕は自分の自信を回復することができなかった。

ただ、同時にそれによって、自分の日々の判断や価値観がそこまで的外れでないことがわかったことも事実である。

「世の中にはそこまで素晴らしいことはない」というか、「言うても限界がある」というか、そのようなシニカルな見方を通して、僕は少しだけ自分自身の仕事振りを評価できるようになった。

一流に削られるのもまた一興

マネジメントという仕事は本当に心身を削られる仕事だ。

でも、その削られ具合が地味であるというか、目立たないというか、苦労の度合いが見えづらい仕事でもあると思っている。

そんな中でもしあなたが自信を喪失してしまいそうになったら、今日書いたような経験をしてみればいいのではないかというのが僕からの提案である。

もしかしたら、それが一流過ぎて打ちのめされることもあるかもしれない。

でもそれならそれでモチベーションになるのもまた事実だと僕は思うのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

「会社で何か言ってくる人の中に一流はいない」

というか、「一流のものを味わったことすらない」

そういう不遜さを感じることでしか、僕は自信を回復することができませんでした。

そういう意味においても、今回の話は多くの人にはあまり参考にならないかもしれません(多くの人はそこまで重症ではないはずなので)。

でも、もしそのように感じるくらい打ちのめされてしまった時には、今日の話は少しだけ参考になるかもしれません。

自分に合った自信の回復方法を見つけていきましょう。