やりたいことやろうぜ

UnsplashJason Leungが撮影した写真

リスク回避の話ばかり

リスクを取りたがらない人達に囲まれてウンザリし続けている。

その中で思うのは「やりたいことやろう」ということである。

多くの人がリスクをどうやってヘッジしていくかを考え、火の粉が降りかかってこないことを最善としている中で、僕は小島よしおばりに「そんなの関係ねえ!」と地団駄しているのが現在である。

口を開けばリスク回避の話しかしない大人達。

それはたまたま僕のいる環境がそうなのではなく、日本社会がそのような雰囲気になってしまっているようにも思える(そうでないことを願ってはいるが)。

もちろん、これは「無謀」を意味しない。

自暴自棄になっているわけでもない。

ただ、意思というか欲望というか、能動性みたいなものがなければ仕事なんてしている価値がないし、もっと言えば生きている意味がないように思うのだ。

マネジメントという仕事がリスク回避的な業務内容を内在していることを承知の上で、僕は今そんなことを考えている。

今日も愚痴めいた話になりそうだ。

それでは始めていこう。

オレはリスクを取るよ

リスクを取る人の不在を嘆くのにも疲れてきた。

そんなことを思う。

そして、そのように嘆いていても何も変わらないとも。

そんな問答を繰り返してきて、だったらオレはリスクを取るよ、と思って実際にそれを実行している。

実際にやってみると案外どうにかなるものだというのが正直なところである。

どうぞどうぞどうぞ

もちろん、ここで言うリスクテイクというのもそこまで大きなものではない。

僕からすればそんなものはリスクの範疇に入らないくらい小さなものではある。

でも、それすらやろうとしない人ばかりになって、じゃあオレやりますよ(どうぞどうぞ)、みたいな(ダチョウ俱楽部的な)状況になっている。

皆が僕の失敗を心待ちにしている状況。

とても不健康だと僕は思う。

ただ、それがリアルな現代ニッポン社会であるとも感じるのだ。

リスクを取らなくなって早30年

リスクを取りたがらない人ばかりになったのは、その方がコスパが良いからである。

リスクを取って失敗すると、もう再起不能な世の中であるからである。

そのような状況の中で誰がリスクを取るのか?

取るはずがない。

合理的に考えるなら、誰だってリスクを取らない選択を取る。

そうやって僕たちはこの30年以上停滞し続けている。

正直者が馬鹿を見る社会

そこには確かに政治の問題もあるだろう。

でも、僕が仕事をしながら思うのは、それだけではないのはないか、ということである。

いや、それも含めて政治の問題だと言われれば確かにそうなのかもしれないけれど、リスクを取る人を叩く社会の仕組みというか、失敗すると立ち上がれなくなってしまう状況というか、その方が合理的だと考えられてしまう環境というか、そういうものが根底にあるような気がしている。

これは僕が日頃から言っている「正直者が馬鹿を見る」社会である。

リスクを取るのはただの馬鹿

リスクを取っても取らなくても報酬が同じなのであれば、リスクを取るのはただの馬鹿である。

というか、リスクを取る人はその分だけリスクが上乗せされている訳で、そんなものを選ぶ人はどうかしている。

それが現状なのだ。

平等と公平と公正の問題

僕は成果主義にはたくさんの問題があると思ってはいるけれど、現状に比べればマシなのではないかと思っている。

それは現状が「やってもやらなくても同じ」という方向に偏り過ぎているように感じるからである。

もちろん、平等は尊重すべきだ。

それは理解できる。

でも、不公平なのでは?

というか、不公正なのでは?

公正が足りない日本社会

僕は平等よりも公平よりも公正が足りないのが現代日本社会であると考えている。

そして、その中でリスクを取るのはただの馬鹿であるとも思っている。

そんな状況で僕はリスクを取っている。

やりたいことやろうぜと扇動している。

それはこのブログを立ち上げた時の問題意識がずっとそこにはあるからだ。

何もせず批判だけをする奴にはなりたくない

僕は日本社会にはマネジメントが不足していると考えてこのブログを立ち上げた。

それを改善することで少しは日本が良くなるのではないかと思った訳だ。

それは青臭い夢想ではある。

でも、何もせずに批判だけをしている奴にはなりたくなかったのだ。

僕ごときの1票で何かが変わる訳ではない。が…

僕は自分ができる環境の中で最大限のことをやる。

というか、それしかやりようがない。

それは選挙における投票行動に似ていて、何ももたらさないというのが現実ではある。

ただ、それは選挙に行かないというのとは違うはずだ。

実はポジティブな所信表明

結局のところ、僕たちがこの日本社会を作っている訳で、「誰か」がこのような状況にしている訳ではない。

現在のような状況を作り上げている要因の1つに僕は間違いなく含まれている。

僕はそれに加担している(共犯関係にある)。

それは嫌なのだ。

だから、僕は無意味だと思われるかもしれないけれど、リスクを取り、やりたいことをやっている。

そのような人が増えたらいいなとは思うものの、それは難しいだろうなとも思っている。

ただ、それでもいいや、というのが現在地点である。

愚痴を言おうとしたら、結構ポジティブな所信表明になった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

僕は共犯者的思考を持ってこの世界を生きています。

「この世界がこのような状態である責任の一端は自分にもある」と考えること。

そしてその上で、どのように行動するか?

その答えの1つがこのブログです。

遠くから見えれば何の意味ももたらさない行動。

でも、それは何もしないということとは違うはずです。

自己満足に過ぎなくても、やりたいことをやっていきましょう。