働き方が多様化する中でのマネジメント

UnsplashKilimanjaro STUDIOzが撮影した写真

上手に任せる

改めて言うまでもなく、働き方が多様化している。

そして、それはコロナ以降更に加速した印象だ。

僕のチームでも、短時間勤務者、週休3日制度利用者、フレックス利用者、リモートワーカー、派遣社員など、様々な働き方を取る人が混在している。

そんな中でマネージャーはどのように振舞うべきなのだろうか?

一言で言うなら、「上手に任せる」ということである。

というか、それ以外どうしようもできない、というのが本当のところである。

それぞれの部下の、それぞれの状況を、逐次把握することはどう考えても不可能だ。

ただ、そうは言っても、完全に放任する訳にもいかない。

適時適切なタイミングでそれぞれの部下の状況を把握し、それぞれに合った対応策を講じること。

それは言うは易く行うは難しである。

でも、それが現代のマネージャーには求められている。

さて、それはどうやったら実現することができるのだろうか?

今日はそんな話である。

それでは始めていこう。

勘所を捉える

どのような物事にも「勘所」がある。

そして、僕はそれを捉えることに長けている。

そんなことを思う。

それぞれの要点を的確に突いていく

10年ほどマネージャーという仕事をやってきて、他者と比べて自分が優れていると思う所に、「ポイントを捉える」というところがあるように思う。

これは今日のテーマである働き方が多様化する中でのマネジメントにおいてはとても有用なスキルだ。

どこが要点なのか?

それに対応する為にはどうしたらいいのか?

マネージャーの仕事というのは、言ってみればこれだけである。

でも、それぞれの部下が、それぞれの働き方をすると、この要点が分散する。

旧来の働き方であれば大体似たような要点であったものが、それぞれのメンバーに合わせて多様化する、それが現代社会である。

それらを的確に突いていくこと。

それが現代のマネジメントなのだ。

「やりたいこと」と「できること」

では、その要点というのはどうやったら見出せるのか?

「感覚である」というのが僕の偽らざる答えではあるけれど、それではよくわからないと思うので、もう少しそれを嚙み砕いて言うなら、「何を重要視しているのか?」「何が得意なのか?」という2点から物事を考える、ということになると思う。

これは「やりたいこと」と「できること」という2軸から考える、というように言い換えることができる。

部下がやりたいことは何なのか?

そして、できること(得意なこと)は何なのか?

その2軸を考えて、その部下に最適なポジションを割り当てること。

これが冒頭にも書いた「上手に任せる」ということに繋がってくるのだと思う。

働き方の制約を考えても仕方がない

もちろん、ここには「働き方」という制約が付きまとってはいる。

様々な理由で、彼(彼女)らはそのような働き方の形態を選んでいる。

そこには不可抗力的な要素もあるだろう。

でも、それに拘泥していてもあまり意味がないのではないかと僕は思う。

確かに言いたいことはある。

ただ、それは彼(彼女)らに対してというよりは会社(や社会)の制度に対してであって、それを言ったとてすぐに何かが変わる訳でもない。

だとするなら、現状の中で何とか最適解を出していくしかない。

僕はそのように考える。

そして、最適解を出すためには、彼(彼女)らが最大限のパフォーマンスを出せるような状況を作るしかない。

単純にそう思うのである。

成果を尺度とする

また、これと合わせて大事な概念として、「成果を尺度とする」ということがある。

働き方は多様である。

それは先述したようにやむを得ない要因がある(場合がある)。

でも、それはそれとして、評価においては成果を基準に物事を考えるべきだと僕は考える。

もちろん、情状酌量の余地は多少あったっていいけれど、あくまでも基準とすべきなのは成果である。

これを変に捉えるから、おかしなことになってしまうのである。

成果ほど公正なものはない

どんな事情があるにせよ、成果を基準として評価を下すよう明言しておくこと。

これは厳しいように聞こえるかもしれないけれど、ある種公正な考え方だと僕は思っている。

働き方の多様化は止められない。

また、それを嘆いていても仕方がない。

でも、成果という尺度は変わらない。

どのような働き方を選ぶかは、それぞれの自由である。

でも、問われる成果は自由とはいかない。

各種の事情はわかるし、そこにはそれなりの主張したいことも含まれているだろう。

ただ、それはキリがない。

ラインを策定するのは不可能である。

だとしたら、成果は成果として、ある種乾いたものとして、評価すべきなのでは?

それが僕がこの多様化する時代の中で公正さを保つ為に必要なことだと考えている。

そして、その為にはもう少し成果の評価に対する考え方や価値観を改める必要があるのではないか?

いいとこ取りは不可能では?

多くの人の感覚は、未だに「プロセス重視」であると僕には感じられる。

もちろん、言いたいことはわかる。

やむを得ない事情があって、「可哀そうだから」という気持ちになるのは僕だって同様である。

たださ、とも思うのだ。

そこを変えられないのなら、働き方の多様化を許容するのもまた難しくなるのでは?

いいとこ取りは不可能だぜ?

そんな風に思うのだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

権利と義務。

権利を主張する為には、義務を履行する必要がある。

そんなことを思います。

でも、義務というのは何だか「強制」という響きをそこに纏っていて、下手をすればそれはハラスメントと捉えられかねない。

だったら、成果を問うしかないのでは?

それが僕が思うことです。

働き方は自由で構いませんが、成果は自由であるわけにはいきません。

淡々と成果を求めていきましょう。