考える力をつけるには?

誰もが当然に考えられる?
「自分で考えない部下ばかりで困る」
そんな相談をよく受ける。
そして、その度に「では、どうやったら考えられるようになるのだろうか?」と思う。
また同時に、「そう相談してくるその人自身もきちんと考えることができているのだろうか?」とも思ってしまう。
「考える」というのは、「話す」や「聞く」と同じで、「誰もが当然にできるもの」と捉えられているような印象を僕は受ける。
でも、「考える」も「話す」も「聞く」も、それをある程度のレベルでやる為にはそれなりの作法が必要となる。
同じ「考える」でも、その水準は大きく異なる。
そういう意味では、部下だって「考えていない」訳ではないのだ。
その辺を理解した上で、ではどうやったらある程度高いレベルで考えられるようになるのか、というところに話を進めていこうと思っている。
それでは始めていこう。
「全て自己完結できるレベル」は求め過ぎでは?
満足のいくレベルの「考える」というのは一体どの程度なのだろうか?
その辺からこの議論を始めていこうと思っている。
でも、これがなかなか難しい。
多くの人達から相談を受ける僕が思うのは、皆その求めるレベルが高すぎるということである。
「確かにそれくらい考えられるようになれればいいけれど、それって現実的ではないのでは?」
そう感じてしまうことが多い。
その内容の多くは「全て自分で完結できるレベル」であって、そんな人は残念ながらマネージャー層だって殆どいない。
でも、そのような(僕からすれば)幻想を抱いている。
ここに問題があるような気がしている。
そして、それこそが考える力をつけることを阻害しているような気がするのだ。
考える力を付ける為には他人の力が必要
僕は考える力を付ける為には「補助輪」というか「支え」みたいなものが当然にあっていい、と思っている。
しかしながら、多くの人は「考えるなんてことは自分1人でできるものだし、当然にそうすべきだ」と思っているような気がしている。
この乖離。
考える力を付けるということは、他人の力を借りるということなのである。
マネージャーが相手役になるべき
誰しも「話をすることで自分の頭が整理される」「教えると身に付く」というような経験をしたことがあると思う。
それに似ている。
その相手役になるのがマネージャーなのである。
そして、その為には、「マネージャーと話をすることで自分の頭が整理される」というような感覚を部下に生じさせなければならない。
僕に相談をしてくるマネージャーの多くは、たぶんそれをせずに、部下を突き放してしまっているのだと思う。
自分一人で考えられる部下はいない
確かに、独立独歩でそれを身に付けられる部下もいる。
そういう部下は放っておいていい。
でも、その種の部下は(超)希少種である。
大半の部下は自分一人で考えることは出来ない。
なので、自分一人で完結させるのではなく、マネージャーがその補助者として脇に立ち、部下が考えるのをサポートしていく。
これこそが部下に考える力を付けていくことだと思うのだ。
「円滑でないこと」が考える為には重要
これは一言で言うなら、コミュニケーションである。
ただ、世間一般で言われるコミュニケーションとはちょっと違う。
「意思疎通を円滑に行うこと」を一般的なコミュニケーションとするなら、それとはちょっと違うのである。
どちらかというと「円滑に行わないこと」が考える力を付ける為には重要となる。
「それってどういうこと?」「こんなイメージで言っているの?」というような適切なツッコミを挟むことで、部下に考えさせ、表現させることを繰り返していく。
それは到底円滑とは言い難く、行きつ戻りつ、つっかえつっかえ、みたいなイメージである。
それをひたすらにやることでしか、部下は考えられるようにならない。
僕はそう思うのである。
もう1人の自分との対話
そして、ある程度この期間を経ると、マネージャーなしでもそれができるようになる。
というのも、自分ともう1人の自分をそこに想定し、架空の対話をそこで行えるようになるからである。
アイディアを思いついたとして、それをもう1人の自分に話してみる。
そこで適切なツッコミが入り、アイディアが修正されていく。
そのような過程を経ることが、僕が思う「考える」ということである。
そして、ある程度ブラッシュアップされたアイディアが、マネージャーの所に来るようになる。
それを基に、今度はマネージャーと対話をしていく。
これが僕が思う1つの完成形である。
対等な対話ができる状態
ご注意いただきたいのは、この段階ですら、「補助輪」は取れていないということである。
自己完結までは僕は求めていない。
ただ、対話以前の部下とはそのコミュニケーションのレベルが大きく変わっている。
どちらかが教え諭すわけではなく、アイディアというものを間に置いた状態で、対等にそのことについて話ができるような状況。
それが「考える部下」が現出した状態である。
考えるのは1人で行う行為ではない
考えるという行為は1人で行うものではない。
それは僕だって同様である。
というか、「全てを自己完結できる人」はもしかしたら「考えていない」とすら言えるのかもしれない。
そう言った幻想から離れ、部下と地道に対話をしていくことが重要なのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「考える」というのは奥深い話である。
そんなことを思います。
そして、それを他者に伝えるところにもハードルが生じます。
なので、それを同時に行ってしまうことが重要なのかなと僕は考えています。
過程を共有すること。
それを実現するのが対話であり、マネジメントです。
深い対話を繰り返していきましょう。