仕事がつまらないのだが

UnsplashFilip Mishevskiが撮影した写真

辞めたい訳ではないのだが…

最近仕事がつまらない。

と言っても、別に辞めたいなとか思っている訳ではないのだ。

単純に面白くない、それだけなのである。

もちろん、これはある程度マネジメントが機能しており、やることがなくなってしまった、ということではある。

チームが上手くいっているサインではある。

言わば贅沢な話なのだ。

と言っても、そんなことはわかっていても、つまらないものはつまらない。

さて、どうしたものだろうか?

というか、皆さんはどのようにしてモチベーションを維持しているのだろうか?

今日はそんな話をしてみようと考えている。

それでは始めていこう。

マネージャーは暇そうでいい

チームが機能し出すと、マネージャーは暇になる。

それは「課長は暇そうでいい」と言い続けている僕からすれば、理想的な状態である。

マネージャーが色々なことをしている状態というのは、残念ながら良い状態とは言えないのであって、暇であるというのはチームが巡航速度で進んでいることの証左であり、何も憂うことはない。

それはわかってはいる。

ただ、僕個人の話で言えば退屈なのである。

ないものねだり

別に何か面白いことがある訳ではない。

もちろん、それは僕が願ってそのようにしたから訪れた状態ではある。

そうなりたいと思い、チーム内を整えたから、そうなったのである。

何とも人間というのは贅沢な生き物である。

暇になれば暇になったと文句を言う。

それを望んでいた過去の自分のことなどすぐに忘れ、勝手なことばかり言っている。

それはわかっている。

ただ、かといって、忙しい状態になったらなったで、それに対して文句を言い出すのも目に見えている。

困ったものである。

中年の危機

おじさんになって、仕事がつまらなくなった。

そこには色々な要因があると思う。

自分の力量の把握、キャリアの限界点、仕事というものへの客観的な視点の獲得、それらが合わさって、モチベーションが低下している。

それはやむを得ないことではある。

というか、おじさんになってもモチベーションを維持しているというのはそれはそれでちょっと違うような気もしている。

仕事など人生の一部に過ぎないのだから。

「面白さ」の変化

「いやいや、そうは言っても、人生における大部分を占めるのが仕事なのだから、面白いに越したことはないでしょ?」

それはそうなのである。

でも、中年以降の仕事における「面白さ」というのはどういうものなのだろうか、とは考えてしまう。

それは若い頃の「面白さ」とはまた違った種類のものであるような気がしている。

また、マネージャーに成りたての頃の「面白さ」とも違うような気がしているのだ。

能力の発揮

若い頃における僕にとっての仕事の面白さとは、「能力の発揮」であった。

自分の力を発揮し、難題を解決していくことに面白さを感じていた。

それも他の人にできないような難易度であればあるほど、脳汁が出ていたような気がする。

その傾向は確かに今だって残っているけれど、僕自身の能力が向上した(要領が良くなった?)ことによって、そのような難度の高い仕事に興奮することも少なくなってしまったのが現在地点である。

部下を育てる

また、マネージャーに成りたての頃には「部下を育てる」ことに面白さを感じていた。

どうしようもないというか、パッとしない部下に対して、僕なりの視座を示すことで、その部下が変わっていくことにやりがいを感じていたように思う。

もちろん、今だってそのような感覚はある。

でも、こちらもこなれてきたというか、この部下に対してはこのようなアプローチをすれば、これくらいの成長が見込めるというのがある程度わかるようになってしまったので、面白さという意味では半減してしまったような感覚を持っている。

そして、現在。

どのような状態になったら、仕事を面白いと感じるようになるのだろうか?

それがまだ見つからないのである。

小器用な自分

僕は大抵の仕事は器用にこなすことができる。

それも(自分で言うのも何であるが)ある程度高いレベルで行うことができる。

たとえそれが「未知の仕事」であったとしても、勘所を押さえ、それなりのアウトプットを出すことができる。

そこに充実感がないとは言えない。

でも、面白くはないのである。

いや、仕事というのは元来そんなものなのだろうか?

中年の「普通」

確かに周りを見渡しても、中年以降で仕事が面白くて仕方がないと感じている人は皆無である。

「中年の危機の真っ最中」、そんな感じではある。

だから、別にそれは「危機」ですらないのかもしれない。

それが「普通」なのだ、きっと。

そのような「普通」の状態の中で、どのように働いていけばいいのだろうか?

終わりを考えること

僕は最近、将来のことを考えている。

それは今の仕事が終わった後のことだ。

それを考えている時、僕は少しだけ今の仕事が楽しく感じられる。

惰性というか、日々の延長線上ではなく、終わりがあることを想像することで、現在の仕事に潤いを見出すこと。

と言っても、まだまだ先の話ではある。

でも、そのように考えることで、今が少しだけ引き締まるように感じている。

そうやって僕は何とかモチベーションを保っている。

何だか何の意味もないブログになってしまった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

死を想定すること。

今日の話を究極的に進めていくなら、そういうことなのかもしれません。

でも、それはちょっと行き過ぎているようにも感じます。

そこまで根源的な話ではなく、ぼんやりとこの日常のつまらなさを解消する方法はないかな、というのが今日の話です。

明日も(できれば前向きに)仕事に向かう為の動機。

それを最近の僕はずっと探しています。

何かアイディアがあれば教えて頂けたら幸いです。